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「ゆるキャン△」に学ぶ、イデアを羨みヘコむならDVDでも見れば良い。

シャボン玉消えた とばずに消えた 産まれてすぐに こわれて消えた

『シャボン玉』より引用 野口雨情作詞



2021年3月。私のささやかな望みは、シャボン玉のように音もなく消えた。

それは世情を思えば至極まっとうな判断で、そして個人的にも覚悟をしていたものであった。フジロック21より、海外アーティストの出演を断念する知らせだ。

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(終わった…:『FUJI ROCK FESTIVAL』公式HPより引用)

去年約束したように、今年は去年の分も含めた2年分のエネルギーで、苗場で楽しめるように進めていきます。でもコロナウイルスの影響はまだ収まった訳ではありません。(中略)海外からのアーティストの出演を断念。感染予防のガイダンスに従い観客数を減らす。徹底した感染症対策。(中略)これが出した結論です。

『FUJI ROCK FESTIVAL』公式HP(「コロナ禍で開催する特別なフジロック」を目指します。)より引用


フジロックは世界からアーティストが集まる、日本最大級のロックフェスティバルだ。


私が初めてフジロックに行ったのが2010年。それからは余程のことがない限り、ほぼ毎年通うようになった。毎年7月末はまとまった休暇を取り、友人や時には嫁さんと一緒に、前日の夜から苗場に向かうことが決まりごとのようになっていた。

お目当ては海外アーティストだった。Radiohead, Björk, Nine Inch Nailsなどと、普段聞くことが出来ないアーティストを山奥のだだっ広い会場で聞くことが本当に楽しみだった。


個人的に思い出深いのは2015年のFoo Fightersだ。カート・コバーンの自殺によって幕を閉じたNirvanaのドラマー、デイヴ・グロールがフロントマンを務めるのだが、来日直前にデイヴが骨折するというハプニングがあった。

Foo Fightersは初日のヘッドライナー。初めて見る予定だったバンドの悲報に「今年は無理かな…」と肩を落とした私の想像を斜め上に行く形で、デイヴはステージに立った。

・・・いや、座っていた。




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(玉座に座るデイヴ:『Fuji Rock Express 2015』より引用)


自作の王座に座りながら、デイヴは全18曲を熱唱した。途中、ステージ映像に自分が骨折した時の映像を流して笑いを取るなど、まさに逆境を逆手に取った素晴らしいライブであった。

座りながらも圧巻のパフォーマンスを披露したデイヴの姿と異様な盛り上がりをみせたグリーンステージを、私は決して忘れることはないだろう。願うならばもう一度、苗場で「All My Life」を聞きたいものだ。


(これは骨折してない時の:『Foo Fighters Live All My Life Rock am Ring 2015』より引用)



フジロックに行くと大小違いはあれど、毎回このような感動がある。奇跡のようなメンバーが揃ったAtoms For Peace, ラストライブで最後までアンコールがやまなかったThe music, 落雷と豪雨から死を覚悟させられたNine Inch Nailsなど、どれも他の音楽フェスでは味わえない経験だったと思う。

これは、いくつもの非日常感が揃ったゆえに生まれた感動だと私は考えている。めったに見ることが出来ない海外アーティストの参戦, 音楽を聞くためだけに行う4泊5日のキャンプ生活, 下手したら死ぬかもしれない厳しい自然環境と、フジロックにはいくつもの非日常が詰まっていた。


ところが今年は海外アーティストの出演断念によって、非日常感を担う大きなピースが欠けることとなった。少なくとも私はいつものように楽しむことは出来ないだろう。

それでも一路の望みは持っていた。再結成したNUMBER GIRLや東京事変、平沢進やBABY METALなどがヘッドライナーとして出演するならば、やはり行きたいと思えるかもしれない。



しかし2021年4月、私は二度死ぬこととなる。

第1弾出演ラインナップ発表で明らかとなったヘッドライナーを見て腰が抜けた。

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(ロッキンかな??:『FUJI ROCK FESTIVAL』公式Twitterより引用)


らっ・・・らっ、らららRADWIMPS!?!?


まさかRADWIMPSのような邦楽ド真ん中のキラキラバンドが、フジロックのヘッドライナーになるとは…こんな世界線が実現するとは思わなかった。前前前世の私だって予想だにしなかっただろう。

ひょっとしたら気づかないうちに、交通事故にあって異世界転生していたのかもしれない。

底辺社員だった俺が転生したらフジロックのヘッドライナーがRADWIMPSだった件 〜海外アーティストが見たかったけどもう遅い〜



兎にも角にも、今年はフジロックに行く可能性が完全に無くなった。ライブに行かないことも悲しいが、キャンプが出来ないことも同じくらい悲しい。

せめて『ゆるキャン△』を読んで、キャンプの楽しさを思い出していきたい。



プラトンから見た『ゆるキャン△』

『ゆるキャン△』は女子高生たちのゆるい日常を描く近年ではよくある漫画のスタイルであるが、登場人物がアウトドア趣味を持っていることが本作のアイデンティティだ。

アニメだけではなく実写ドラマも2期に突入、ファンが聖地巡礼やキャンプグッズを買い漁るなど、人気も影響力も大きいヒット作品である。

オフシーズンの一人キャンプが好きな日本の女子高校生・志摩リン。リンが富士山の麓で冬の一人キャンプを楽しんでいたところ、日帰りのつもりが日没まで居眠りして遭難しかけていた同じ本栖高校の生徒・各務原なでしこを助ける。

『ゆるキャン△』Wikipedia より引用


個人的な経験として、日常系漫画は読む人を選ぶ。オススメの漫画を問われた時もなんとなく日常系漫画は勧めにくい。読んでいてハラハラドキドキしないし、大きな感動も得られにくいからだ。

・・・こうやって特徴を並べていくと、一体何が良くて読んでいるのか分からなくなるが、個人的に『ゆるキャン△』は読んでいて心地よい漫画である。登場人物の誰もが嫌な目に合わないし、いつもほのぼの、そしてハッピーなラストが約束されている。


例えば、登場人物の志摩リンはソロキャンに大きな魅力を感じており、それゆえ積極的に他人とのかかわり合いを持つ描写が少なかった。しかし、物語冒頭で助けた各務原なでしことの交流をきっかけに、徐々に人間関係が良い方向に変化していく。

かたくなに集団キャンプの機会を避けてきたリンが、野外活動サークルの面々と共にクリスマスキャンプを楽しむ姿を見て、読者は「いい友達をもったな、リン」と唐突に父親ヅラをすることとなる。

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(読者の娘となるリン:『ゆるキャン△』4巻より引用 あfろ著)


このように『ゆるキャン△』では、多くの読者が得ることが出来なかったであろう理想的な学生時代が、可愛らしい女の子のキャラクターによって次々と実現されていく。


プラトン(BC427~BC347没)は、私達の魂が天上界にいた時にイデア(ものごとの真の姿であり原型)を見ているが、肉体を得た現世ではそれを忘れてしまうので、イデアを思い出すことこそが学習であるという、イデア論を説いた。

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(プラトンとアリストテレス:『アテナイの学堂』Wikipediaより引用 ラファエロ・サンティ著)


プラトン風に解釈するならば、「こんな学生時代を送りたかったな」という学生時代のイデアが、『ゆるキャン△』では体現されていることになる。要するに『ゆるキャン△』はイデアの話だった。

Tips!:『ゆるキャン△』はイデアの話


腹を割って話せる友だちと、キャンプという少し特別な場所で、ちょっとした奇跡を共有する。そして嫌なことは何一つ登場しない(更に言うと男性キャラクターすらほぼ登場しない)世界観は、特定の読者にガッチリハマるのだと思う(少なくとも私はハマッた)。


加えてキャンプ描写が実に良い。

キャンプをしたことある人ならわかると思うが、テント泊はそれなりに過酷だ。夏はクソ暑いし冬はガチガチに寒い、テント内に虫が入ることなぞ日常茶飯事、遊びから帰ってきたら豪雨でテントごと浸水していた、なんて経験もある。

しかし『ゆるキャン△』はイデアの話なので、理想的なキャンプライフ、つまりキャンプの良いところだけがふんわりと集まって構成されている。そのため、テントが浸水していた過去を忘れて、自然とまたキャンプに行きたいなと思わされるのだ。

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(キャンプライフのイデア:『ゆるキャン△』1巻より引用 あfろ著)


作中のキャンプ道具も現実世界にあるものが描かれているので、道具を揃えたい欲も唆られる。私は上記画像にあるHelinoxの大きいやつが欲しくなった。(しかしフジロックでは昨年からHelinoxが使用禁止になったので、思いとどまって良かった。イデアには危険がいっぱい。


このように『ゆるキャン△』は嫌なことが一切起きないがゆえに安心して癒やされる良質な作品であると同時に、得ることが難しい理想的なキャンプライフや学生生活に思いを馳せることが出来る、よく出来た一石二鳥漫画なのだ。


人気漫画×人気番組

そんな『ゆるキャン△』が驚きのコラボを果たした。その相手こそ、カルト的な人気を誇る北海道のローカル番組『水曜どうでしょう』だ。

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(ゆるキャン△×水曜どうでしょう:アニメ『ゆるキャン△』公式Twitterより引用)

(1/6の夢旅人:『TVアニメ「ゆるキャン△」MV~1/6の夢旅人2002ver.~』Youtubeより引用)

1996年10月10日(10月9日深夜)に放送を開始。レギュラー出演者は鈴井貴之と大泉洋のタレント2人、ロケ同行ディレクターに藤村忠寿ディレクターと嬉野雅道ディレクターの2人。基本的にこの4人が過酷な旅を行い、その模様を放送する。

『水曜どうでしょう』Wikipediaより引用


思えば最新12巻でも『水曜どうでしょう』を意識したカットが多くあった。唐突に登場人物が読者に語りかける姿は、『水曜どうでしょう』おなじみの前枠だ。

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(様式美:『ゆるキャン△』12巻より引用 あfろ著)



私は『水曜どうでしょう』の大ファンである。俗に言う「どうでしょう藩士」(水曜どうでしょうファンの総称)だ。道民ではないのでリアルタイムで見ていたわけではないが、『どうでしょうリターンズ』(再放送版)から入り、全放送を二桁周回くらいは見ている。

DVD全集はもちろん揃え、聖地である旧HTB社屋や平岸高台公園にも訪れ、番組で登場した少林山達磨寺にも友人を騙して向かい、達磨を買う道中に撮ったビデオをどうでしょう風に編集して自分の結婚式の二次会で流すという、察しの通り面倒くさいオタクおじさんである。


熱狂的なファンのひとりの意見として、『水曜どうでしょう』は苦しみのない『ゆるキャン△』の世界感とは程遠い。

基本的に旅の雰囲気は緩いが、やってる事は過酷だ。車の旅では、オーストラリア縦断、北極圏突入、アメリカ横断、ヨーロッパ完全制覇。原付きの旅では、日本やベトナム縦断。きっと普通の人は耐えられない。あの4人だから突然ヒザを叩きながら精神崩壊したり、お尻がランブータンになったりする程度ですんでいるのだろう。

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(汁が出るいきおい:『水曜どうでしょう』原付きベトナム縦断1800キロより引用 北海道テレビ制作)


このようにすべてを癒やす『ゆるキャン△』とは程遠い世界なのだが、しかし私は『水曜どうでしょう』に何度も救われた。

特にツライ時期ほど彼らの旅を見て、大の大人が自分のクリームパンを勝手に食われて激怒するシーンを見て、私は爆笑し、明日ものらりくらり生きようと思うことが出来た。これは『ゆるキャン△』とはまた違った心の癒やされ方だ。



心の内の共有と笑いの効果

当マガジンで何度も登場した『われわれはなぜ嘘つきで自意識過剰でお人好しなのか』では、チンパンジーのような私達の祖先が、森を離れ過酷なサバンナで生き延び進化したその過程こそが、今のヒトを創り上げたと説く、進化心理学の名著である。

本著にて、ヒトは進化の途中で自分の思いを他者と分かり合いたいという願望を持ち、この気持ちこそが進化の上で圧倒的なアドバンテージとなる社会的なつながりを生んだと述べられている。

進化によって与えられたあらゆる傾向の中でも、わたしが思うに、自分の心の内を他者と共有したいという願望こそが、人間を食物連鎖の頂点へと押し上げるうえでもっとも重要な役割を果たしたのではないだろうか。

『われわれはなぜ嘘つきで自意識過剰でお人好しなのか』ウィリアム フォン ヒッペル著


猛獣が住むサバンナで隠れる場所もない私達の祖先は、協力し狩りをすることで種を繋いだ。非協力的な個体は群れから追い出され淘汰される環境下で、他人の考えを知ることや自分の心を理解してもらうことは、生き延びるために大きな意味を持つ。

そしてこの大きな願望を円滑にするのが笑いだ。


ソフィー・スコットが笑いを題材に登壇した『TED』で、興味深い知見が述べられていた。

私たちが誰かといて笑うのは、本当に冗談が面白いからではありません。「理解してますよ」と笑いによって示しているのです。相手に賛同していて、同じグループの一員だよと、相手への好意を示すために笑っているんです。

『TED -Why we laugh』より引用 ソフィー・スコット


笑うことで自分が敵対関係ではない、あなたの仲間と意思表示をすることが出来る。サバンナにいた私達の祖先にとって、あるいは社会的つながりを得た私達にとって、相手への好意を示すことは自分の居場所を確保するためにとても有効な行為である。

しかし疑問が残る。確かに私は『水曜どうでしょう』を見て大いに笑っているが、これによって誰かに賛同した、居場所を得たというわけではない。では何故『水曜どうでしょう』によって救いを得られたと感じるのか。


ソフィー・スコットは更に次のように述べた。

親密な関係性に着目する場合、笑いは実に素晴らしく有益な指標なのです。笑いは感情をどう「一緒に」調整しているかを示すからです。私たちは好意を伝えるために笑いあっているだけではなく、心地よさを一緒に生み出しているんです。

『TED -Why we laugh』より引用 ソフィー・スコット

例えばあなたがとてもシリアスな場面で盛大に失敗したとする。あなたはとてもバツが悪いが、一緒にいた友人が笑い飛ばしてくれた時、その場は和やかなムードとなり困難な場面から切り抜けることが出来る。


『水曜どうでしょう』が持つパワーの源はここにある。どんなにシリアスで緊迫した場面でも、彼らは笑いながらするりと乗り越える。たとえドイツの道端で野宿をする羽目になっても、「ここをキャンプ地とする」と爆笑しながらやり過ごしてしまうのだ。

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(野宿決定:『水曜どうでしょう』ヨーロッパリベンジより引用)


笑いは伝搬しやすい。誰しもつられ笑いをした経験はあるだろう。それはテレビ番組からであっても同様に、彼らの笑いの力は私達が現世で直面する困難な場面も調整し、心地よさを生み出してくれる。



まとめ

『ゆるキャン△』の世界は本当に理想的だ。嫌なことが起きない世界で、素敵な友人とキャンプをし、自然の中で見つける小さな幸せを描く本作は、まさにイデアを具体化した世界観である。

しかしながら、私達の世界はイデアとは程遠い。それなりに悪いことも起きるし、今年もフジロックに行けない。テンションが下がることも多々ある。自分のことは棚に上げ、相対的な価値観から私利私欲に奔走する視野の狭い人を見ると辟易する。簡単にいうと、クソだるいだ。


ただ、イデアとこの世のギャップを羨んだりヘコんだりする必要はない。


現世にはあなたを癒やすツールが山のようにある。心に余裕がある時は、『ゆるキャン△』のような綺麗な物語を読んで癒やされれば良いし、そんな余裕もない時は、お気に入りの笑えるDVDを見れば良い。

DVDから伝染した本物の笑いは、きっとあなたに他人と分かり合える心地よさをお裾分けしてくれることだろう。

・・・たとえその笑いが罵り合いから生まれたものであっても。




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(ダマしダマされ罵りあい:『水曜どうでしょう』四国八十八ヶ所Ⅱより引用 北海道テレビ制作)



蛇足

今回の記事はプラトンのイデア論を乱用しているが、さすがにプラトンの『国家』を読んでいるわけではなく、学生時代の記憶で書いている。それゆえ、内容が間違っているかもしれない点をご容赦頂きたい。(今更感がすごい)

なにしろ『国家』は上下巻で1000頁超えの骨太本なので、スズムシくらいの脳みそしかない私はぶっちゃけ読んでられない。ちゃんと理解したい、かつ自由な時間がある方は是非下記をご一読頂きたい。


それでは。

(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』

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