見出し画像

出来の良い姉はアホな弟が心底羨ましい、というとても暗いお話

物心ついた頃から大抵の事は何でも器用にこなしてずっとしっかり者で反抗期もなく心配をかけなかった立派な長女のわたし。

学生の頃は常に上から10番以内に入るくらいには勉強もできた。
人望もあって生徒会長も部長もやったし、先生からも信頼されていて色んな行事で引っ張りだこだった。
母親はスーパーで同級生の母親に会う度「おもちちゃんはいつも本当に立派ねぇ」と言われていた。
東京に出て1人暮らしして、誰にも迷惑をかけずに時には困難に出くわしてもなんとか踏ん張って誰にも言わずに1人で乗り越え、耐え抜いてきた。

そんなわたしが、勉強もできず仕事も続かず30過ぎても1度も家を出て暮らした事の無い弟の事を心底羨ましいと思ってる事、

死んでも誰にも気づかれないだろう。
もはやこれはそれを残しておくだめだけの遺書のようなものである。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐----------
ずっとずっと、なぜこんなにも自分は自己肯定感が低いのか…というかほぼ皆無なのだろう、と疑問に思っていた。家族関係は悪くなかったし友達もいたしなんの問題もない人生だと思っていたのに。
色々と考えて、本を読んだりもして、思い起こせば反抗期といえる反抗期がなかったことが問題なのかもしれないと思い始めたのはここ数年、35歳も超えた頃だった。

きっかけは些細なこと。
18歳で家を出てから早20年弱、ここまでかかった生活費ってどれくらいなんだろう?とふと思いつきで計算してみたことだった。

電気代をざっくり月に3000円〜4000円くらいとして。
ガスもそれくらい?水道代は2ヶ月で5000円〜6000円くらいか。全体的にちょっと安く見積もってるけど。
食費は外食を抜いたとしてたぶん15000円〜20000円くらいか。これもかなりざっくり。

ここまで足してみて家賃も平均したものを足したらぼんやりと1ヶ月あたりの必要固定費だけで10万円と仮定して、10×12ヶ月×20年…2400万円!?すごいやん!?ほんとに!?計算合ってる?

ずいぶん頑張ってきたんだな自分…と思うと同時にふと思い出す9歳下の唯一の弟のこと。

あれ、あの人、実家出てないな。
てことは10×18歳以降の金額を貯め込んだとしても不思議はないけど…まぁありそうにはないな。というか貯金自体あるかも怪しい。

弟は小さい頃から、姉である自分と比べると色んな発達が遅かった。
勉学的なこともだけれど体の成長も、なんなら髪が生えるのも遅かった。

本人が覚えてないくらい小さい頃は欲しい物を買ってもらえないと絵に描いたようにおもちゃ売り場に転がって火がついたかのように大泣きしたこともあった。弟が生まれる前からそういう子供が本当に嫌いで軽蔑してきたわたしはまさか身内にそんなことをする生物が来るとは思っていなかったからもはや絶望だった。他人のフリをしてそそくさと遠ざかることに必死だった。
成長してからは男の子なだけあって両親とわたしを驚かせることも多々あるやんちゃ坊主に育ち、ふざけて玄関に転げ落ちてガラス戸に飛び込んで(これは事故だけど)危うく大怪我する直前までいったり。
わたしが1度も実行しなかった「親の財布からお金を盗る」もあったし、スーパーでバトルえんぴつを盗んで危うく警察のお世話になりかけたこともあった。
正義感も倫理観も強かったわたしは本当にこんなことする人間がいるのかと驚いたし、恐怖だったし、血が繋がっていることが信じられなかった。
こいつはまともな人の心がない、大人になったら間違いなく大犯罪者になるからそれまでにわたしの手で始末しなければ、と思った。

大人になってからは車を買って1週間で大事故を起こした。
タイヤが取れてもはや原型を留めない車の横で何故か無傷の弟がピースしている画像が父から送られて来たとき思わず「幽霊?」と返信したことは覚えている。運だけはある奴だ。
ちなみに保険屋さんが「加入して1週間で全損事故は初めてです」と苦笑いしていたらしい。弟、めっちゃ得してる。


奴は小さい頃からとても偏食だった。一緒に住んでいた頃(年の差があるので弟が9歳のときにわたしは実家を出ている)はおかずはほぼ口にせず、白飯をおかずに白飯を食べるような奴だった。
それから20年くらい経った今でも、たまに実家に帰った時にこのおかずが嫌いだのあれはないかだの、母親にいちいち文句をつけている姿が本当に嫌いだ。

だってお前さ、家にお金入れてないやろ?仕事だって時給につられて変な夜勤の仕事見つけては3ヶ月もしないうちに辞めやがってよ、そんなんの繰り返しでよ、仕事なんてしてなくても家にいたら飯が出てきて電気が通っててエアコンがついて風呂にお湯も溜めてあって、この子が好きだから、って母親が色んな漬物やら和菓子買ってきて冷蔵庫に揃えられてる生活がどれだけ恵まれてるかなんて知らんやろ? 水道代の請求書見て「今月水道代払う月か…」ってがっかりしたり住民税の紙見てヒィヒィ言う生活をよ。
買い忘れたらわさびもしょうがもにんにくも無いんやで。知らんやろ。


そう考えたら両親も嫌いになってくる。なんでこんな奴に、どう考えても出来のいい姉であるわたしには!なんの施しも!なかったのに!
こんなクソみてぇな弟に成人以降どれだけ金をかけてきたんだよ!

悔しかった。1度も仕送りなんて貰ったこともなかったわたし。たまに実家に帰って一緒にスーパーに行ったとき「べったら漬け買ってこう」「大福も買ってこう」と母に気にかけてもらえる弟。
羨ましかった。わたしだって箱に入ったたくさんのレトルト食品とか、冷凍のおかずとか、ダンボールの底の方に1万円と手紙が入ってるとか、経験してみたかったのに。
母はわたしの好きな食べ物が何か、知ってるだろうか。たぶん知らない。

小さい頃から何でもできたわたし。何もできなかった弟。
弟に少しでもできることが増えると嬉しそうに泣いてそれをわたしに話す父。わたしが上手に踊れたこと、ピアノを弾けたことで泣いてくれたことあったかな。なかったと思うな。

手をかけなくてもみるみるうちに立派に育ってしまった娘は、何もしなくても大丈夫だから気にならない。
手をかけないとどうしようもない息子は、気にかけなければならないけど、その分成長がわかりやすく見えるから、ダイレクトにかわいい。

この差は一体なんだろう。考えれば考えるほど、悔しくて、悲しくて、羨ましくて、泣けてくる。
わたしだって心配してほしかったんだ。気にかけてほしかった。
これなら何もできないバカな方が良かったよ。出来ることが多い方が褒めてもらえて愛されると思ってたんだよ。
そういえば大黒摩季も言ってたな…真っ白な馬に乗った王子様に選ばれるのは何にもできないお嬢様って。そういうことか。そういうことだ。

この事に気がついてから何度泣いただろう。お風呂で、リビングで、時には猫を抱きしめながら、なんで0対10であいつが愛されているんだろう、と泣いたか。
そうだ、あいつはお金も出してないのに、うんこやおしっこの処理もしないのに、可愛い猫までいやがる。しかも何匹も。わたしは猫と暮らすために引っ越しまでしてさ…なんだよもう、ほんとに。


わかってる。悪いのは弟ではない。両親だ。弟はただそこに生まれてきて存在しているだけ。わさびも、しょうがも、にんにくも、冷蔵庫に置いてあるから使っているだけ。電気だって、通ってるから使う。ただそれだけだ。

うちの両親は少し変わっている。小さい頃父親に「おもちの好きになる男の子は普通だからつまらない。もっとやんちゃで手がつけられないような男の子がいい」と言われた。父自体、小さい頃やんちゃで(多分詳細は書けないようなやんちゃ)そういう「弟子」みたいな男の子がいいのだと思う。
弟はその点そこまでのヤンキー的なやんちゃ、な男ではない。でも同性だしわたしよりかはわかりやすく共鳴できる部分があるのだと思う。

母親は正直何を考えているかあまりわからないところがある。一言で言うなら「もんわり」した雰囲気。チャキチャキ系のわたしとは正反対、でもおっとり暗いというわけではない。体は154cmと小さいが声は170cm超えのわたしがうるせー!と注意するくらいバカでかい。
あまり核心に触れるような会話をしたことがないのだ。そして自分が少しでも不利になる、責められるような状態になると発狂する。RPGだとしたら「スキル:発狂」とつきそうなくらいにいきなり発狂する。これが小さい頃は怖かった。今では心からこれを軽蔑している。客観的に自分を見れない、会話が成り立たない大人が嫌いだ。


もうわかってる。ここまで懸命に分析して、ずっとわかってる。親は神様ではない。親だって人間だ。「好きな人間」「好きじゃない人間」「嫌いな人間」「どれにも当てはまらない人間」がいる。

多分わたしはもう「どれにも当てはまらない」んだと思う。
親だって好き嫌いがあるし、子供のことだけ考えて生きているわけではない。そんな中手をかけないとどうしようもない自立していない子供と何もしなくても遠くで元気に生きている子供がいたら。
後者のことは忘れてしまうだろう。

一度だけ酔った勢いでこの苦しい気持ちをほんの少しだけ、やんわりと伝えたことがある。
答えは「なーに言ってんの」だった。わたしが苦しんで、溜め込んで、おかしくなってしまうなんて想像は1ミリも浮かばないのであろう。そうなりたいと、高い建物の屋上を探そうと思ったことだってなきにしもあらずなのに。

それから実家とは明確に距離を置いている。実家は同じ関東にあるが母親にはもう1年以上会っていない。父はたまに思い出したように来訪してくるが母はついても来ない。父とも食事をしておしまい。正直疲れるしいなくなった後にここまで3500字強綴ったような気持ちが渦巻いて何日も取れなくなるから会いたくはない。


人を愛するには自分を愛さないとならないという言葉はよくできているなと思う。親にだって上手く愛されることができなかったような人間が赤の他人に愛されるわけがない、そう思ってしまうから誰のことも愛せない。死ぬまでこのままだろうなと思う。もうそこは完全に諦めている。

あれ、じゃあ結局、愛されるような人間になれなかったわたしが悪いんじゃん。
答えが出た。自己肯定感皆無になってしまった理由。これが最終着地。愛される人間になれなかった自分が悪い。おしまい。

好かれる自分になれなかったのが悪い。ある程度の事はできて、ある程度の心配をかけられるような、親心を引っ張り出せる茶目っ気のある人間になれなかった自分が。
弟なんてもってのほか、なんっにも悪くない。ただの八つ当たりだ。…てめぇもひとり暮らししろよ、とは思うけど。

人を愛せないのはもう仕方ない、けどこの先もずっとひとりで生きていくと決めたのにその唯一の「自分」を愛せないのはネックなのではないか。
今は大丈夫だとしても、大嫌いな人と永遠に暮らしていくようなものだ。いつかそれを、大嫌いな自分を、追い出したくなって、どうにかしたくなってしまうのではないか。そんな恐怖心がある。


そろそろ覚悟を決めなくてはならない。友人は少ないけど家族とは仲がいいから大丈夫、怖くないと思って生きてきたがもうそれすらも無くしてしまったのだ。ひとりであることに、大嫌いな自分と生きていくということに向き合わなければならない。
こんな恐怖はない。大丈夫だろうか、大丈夫でないといけない。

──────────
と、ここまで書いてこんな暗い恨みつらみ…な話をどう上手く締めようかなと思っていた矢先、父から突如連絡があり叔父が癌だということを知らされた。いきなり吐血して病院に行ったところ胃がんが発覚したらしい。去年の5月にわたしが手術した後、祖母、弟、もうひとりの祖母と続いてからこの叔父で5人目の病人だ。

わたし、というか我が家は昨年から本当にうまくいかない。うまくいったりもするが、うまくいかないことが多数だ。拗ねている場合ではなくなった。ほんとにね、なんなんだろうね…。
とにかく今は叔父の無事を祈るばかり。わたしのこの後の人生を憂うのは、そのあとだ。




いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集