京急の街「金沢文庫」|だって静かな場所に行きたくなったんだ。
静かな場所に行きたくなったんだ。
まるで一つの思想のもとに作られた仮想空間のような、
それでいて、五感を心地よく刺激するようなリアルな世界に。
僕は京急線金沢文庫駅、称名寺を訪れた。
金沢文庫駅は京急本線の駅、KK49。横浜と横須賀中央の間くらいだろうか。
海に近い小さな街。快特が停まり、品川から36分だ。
その名の由来は日本最古の武家文庫である「金沢文庫」。歴史上では鎌倉時代に北条氏が建立の後、隣の称名寺がその管理を引き継ぐ。
今は「神奈川県立金沢文庫」として歴史博物館となっている。
だって今日の光は特別だったから
2020年10月24日。
この光は特別だった。
朝、妻を車で職場まで送っているときに、「なんて美しい空なんだろう」と思った。
強すぎず、でも立体感を表現するにはこの上ないくらい力強い光が秋の途切れ途切れな雲にあたっていて、いつも自分が過ごしている世界とは違うように感じられた。
昼が過ぎて太陽が西に傾いても、心地よい光がさすことは変わらず、僕は写真を撮りに出かけた。
僕自身の状態もいつもと違った。今日はぐちゃぐちゃとして、いろんな感情や人の臭いが塗り重ねられたような街に行く気にはなれなかった。
朝見た、まるで別世界のような美しい空間のイメージをもう少し味わいたい。
そう思って僕は称名寺まで車を走らせた。
池をつくり、そこに橋をかけ、一つの世界としたのだろう
称名寺は閑静な住宅街の中にある。
石畳のも参道にいくつかの住宅街が並んでいて、境内へ向かうなかで徐々に気持ちを落ち着かせる雰囲気がある。
石標を作る会社なのだろうか、アパートのような建物の横に石標が積まれている。日が石にあたる感じ好きだ。石の表面の質感が際立って見えるように感じる。
寺の墓の入口に立つ茅葺きの門もいい感じだ。
夕日は傾きがあるから、まるでスポットライトのようになる。
なにかわからない菩薩の背中にもスポットライトがさして、その方に丁寧にかけられたボロ布を照らしていた。
境内に入る門はとても立派だ。
だいぶ古いように感じる。今日の光はそういうものの質感を際立たせる。カメラを向けて露出を調整すると、もののそういう一面が現れてくる。そのものの過ごした時間や、朽ちていきながら耐えている様が。
池とそこにかかる橋。門をくぐるとまずその世界が広がる。
この世界は特別だ。例えばこの世界がVRだと言われても、「あぁ、そうだろうな」と思う。
五感はリアルに感じているのに、いつも過ごしている世界とは別のように感じる。
そしてその感覚がまるで最初から意図して設計されているようなのだ。
この世界を作った人は最初から、この2020年10月24日のような光が射し込んだ瞬間を想像して作ったんじゃないかと思うような、そんな作り込まれた世界に感じる。
ものの配置、四季や一日という様々な時間の流れのなかで移ろう光や天候、その空間に入ったときの人間の感情や感覚さえも。。。
この世界を作ったその人は、この池、この橋をどういうつもりで配置したのだろう。
この世界で行うこと
池にかかる橋。鴨が水の上をいく様をぼーっと見ながら、その橋の手摺に手をかける。
そこにある手を見て、ついカメラを向けてしまった。
ああ、自分の手もこの寺の木や石のように、朽ち、老いていっている。
それは絶望でもなく希望でもなく、ただそうなんだと時間を感じるというか、この世界のなかの一部であることが自然に感じるというか、そんな不思議な感覚だった。
一人で部屋にいて老いを感じると、悲しい気持ちになったりすることがあるが、ここではそういうことがない。
池の周辺を見るとぽつぽつと人がいて、各々がなにかを考えているのか考えていないのか、ただじっと仏像を見つめたり、景色を眺めたりしている。
この場、時間を提供すること。これが宗教なのかも、とも思う。これが宗教、というか、宗教がやってきたことの一つであり本質、というべきか。
帰りがけ、池の横にある堂に目を奪われた。
近づくと、鉄製朽ちた賽銭箱だけがある。
中も見えず、外にはなにもない。
ただ、この堂の前に立つとさらに別世界に来たような感じがする。別世界のなかのずっと奥。屋根裏にネズミがいるようで、その走る音だけが聞こえる。
僕は賽銭箱にお金を入れることもなく、ただ立って、リラックスしていく自分の脳を感じた。
夕日が落ちそうになり、僕は境内をでた。
称名寺の世界からログアウトし、このリアルワールドに帰ってきたのだった。