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「無駄」や「手間」が「薬になる」

 「毒にも薬にもなるもの」。

 「お酒」なんてのはわかりやすく、毒にも薬にもなる(もともとは、薬として飲まれ始めたもののはずだけど、用法要領を間違っちゃうとアレよね…..という話で)。

 週1とはいえバーカウンターに立つ身としては、薬になりうるお酒を提供しようと心がけてるし、物理的(身体的)はもちろん、精神的にやわらぐものであればいいなと考えている。

 こっからは毒は無視して薬の話をば。

 何が薬になりえるのだろう。これは"精神"に作用するほうとして。人によって違うからおもしろいし、むつかしい選択でもある。

 誠に勝手な翻訳にはなるけど、「薬になる」とは「ととのう」状態に近いんじゃないだろうか。サウナで使われるようになった、あの「ととのう」。自律神経にいいかんじに響くよねぇ、みたいなイメージ。

 「なんか落ち着く」「なんか切り替えられそう」「なんか頭がすっきりする」みたいなリセットなのか新たなスタートがつくれそうな状態。そのための日課は、薬になりうる。

たとえば坂口恭平さんの『自分の薬をつくる』を参考にいえば、家庭菜園などで「土を触る」ってのもその一つだろう。ぼくの場合、こうやってnoteも含む「文章を綴る」ことが薬になっている自覚がある。書くことはヘルスケアなのだなぁと。

 元メジャーリーガーのイチロー選手が、打席に立つたびに「バットを立てる」ことをしていたのも、あれはととのえるためのルーティンだったかもしれない。毎日の「カレー」もそうなのかしら。

 食に関連することでいえば、朝起きてコーヒーを飲むときにわざわざ豆を挽き「ハンドドリップで淹れる」というのも処方の時間になりうる。というか、自分の薬になっているっけな。そんなのスティックタイプや機械を使えばすぐにコーヒーなんて飲めちゃうのだけど、人によっては「無駄」と感じるその「手間」に効用があるといいますか

 そういえば、以前ちょっとした会議で、その最初の雑談テーマとして「何をしてるときがあなたにとって"ととのう"時間ですか?」ってのを投げかけたときがあった。いろいろ答えが返ってきておもしろった記憶がある。相手にとって大事なことが読み取れる時間になったし(目的以外の会話って忘れがちだけどクソ貴重だよね)。

 こっからは、ただの日記のような。ぼやきのような。

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