狐(もし)→平野ノラ(しもしも)
「適当に流す」
というメモをつけていた。日々思いついたタイミングで書きなぐった字は、ときどき自分でも解読困難なときがあるが、今日はどうにか読み取れた。メモを見ながら、その言葉の文脈について思い出してみる。
クオリティのことを気にして、物事が停滞するよりかは、とにかく「動かす」という推進力を持たせるために、という意識に切り替えたら、タスクは「適当に流す」でいいかもしれない。そういう意味合いだったように思う。まじめに考えすぎる性格がゆえに、力を抜く、適当さを重んじてみて、メリハリあるシーソーゲームを繰り広げようとしている。
なんにせよ、メモはおもしろい。書いたことを、こうやって振り返る時間こそがおもしろいし、尊い。
「もし=妖怪、もしもし=人間」
というメモを一昨日あたりにつけていて、見返しながら、関連資料を読み返した。もともと”妖怪としての”狐を紹介する流れで、(人間に化けた)狐か人間かを見分けるときに、「もし」と言ってくればそれは狐で、「もしもし」と言ってくれば人間であるという注釈があったのだ。
その流れで芋づる式に思い出したのが、荒俣宏の『妖怪巡礼団(集英社)』であり、団員同士の挨拶の際に「もしもし」と呼び合っていたこと。あー、あれとこれは繋がった話なんだなぁ、と新たな文脈のつながりを引き出しにしまった。
そして、「もしもし」の流れから急に「しもしも」を思い出し、YouTubeで平野ノラのバブリーネタをいくつか観てしまった。じっくり観たのは初めてだったかも。この流れで、きつね(芸人)のネタも観ようかと思ったけどそこはグッと我慢した。
狐から平野ノラへ。メモを読み返すこと、それをもとに新たな検索をかけてみることで、情報と記憶の広がりが出てくる。だから、メモはおもしろい。
あ、そういえば、noteのスキを押してもらったときのメッセージを微妙に設定し直して、「大見謝」「見謝」「中見謝」「小見謝」「末見謝」としておきました。日々のおみくじ的なものとしてどうぞ。ちなみに、大見謝(おおみじゃ)ってのは本名で、沖縄の名字でござい。