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中学受験 撤退よもやま話

子供が約1年、中学受験塾に通ってやめた。
始めたきっかけは、私が中学受験して受かった学校が楽しく、やってよかったから。
自分が経験してよかったものを、勧めたことがきっかけだ。
子供は好奇心がある方だし勉強も苦手ではなかったが、
撤退したのは、本人が塾に行くのをいやがるようになったから。
「塾に行きたくない」と言ったとき、私は内心ちょっとほっとした。
これで、いろんなことから解放される。

今の中学受験は、自分の子供時代と比較しても圧倒的に親の労力が大きい。
送迎はもちろん、日々の宿題管理、テスト対策、スケジュール管理など。
入った当初は、「計画を立てるのも子供がするものだ」と思っていたが、
とにかく、宿題量も、テストの頻度も、何もかもが昔と比べて多い。
これを子供だけでまわしていくのは、飛びぬけて勉強と自己管理のできる成熟した子供に限られるだろう。

週に3回通塾し、土日どちらかは塾のテストでつぶれる。
それまで土日は、県内の公園行脚をしているような我が家においては、家族の時間を『獲られる』感覚が強かった。
私の時代は、テキストもぺらぺらだった。
問題だってこんなに難しくなかった。
親もこんなに子供の勉強にしゃしゃり出てこなかった。

中学受験業界の本を読むと、「昔とは量も質も違う。親の時代とは違うんです」と書かれている。
そうか。子供への負荷量があまりにも大きく、キャパオーバーになった部分を親が一緒に背負う。それが今の時代の中学受験なのだ。
《中学受験は親の受験》、よく聞くフレーズがやっと腹落ちする。
受験ブログを覗くと、
「家に業務用の大型コピー機があると、間違えた問題だけコピーして子供だけのオリジナル復習問題集ができます!便利!!」と、意気揚々と書いてあった。まじか。
そんなん置く場所ないし、そこまで私はできないわ とため息がでた。


この、親の労力が大きいってところが、中学受験が病みやすいポイントなんだと思う。
「私がこんだけやってるから、こんなに対策したんだから、子供の成績もちょっとは上がるんじゃないか」と、子供へ期待してしまう。
でも、期待は期待。
期待は常に、現実よりいつも少しだけ高いので、
かえってきた成績をみてがっかりしてるわけではなくても、
表情や声のトーンで「親の期待に届いていない」ことは伝わる。
そして子供は自信をなくす。
〝親の期待に応えられない自分〟が毎月のテストごとに、薄く薄くミルフィーユのように積みあがっていく。
この負のスパイラルに、私が耐えられなくなった。


中学受験界には 泣く子も黙るカリスマ、佐藤ママがいる。
佐藤ママは、子供4人が全員 東大理Ⅲに合格しており、
その教育ノウハウ的なものを 世に発信している人だ。
私は、彼女についてそれ以上のことを知らない。
一度、テレビか何かで「中高時代に恋愛などいらない」と言い切っているのを見て、かなり徹底した教育方針を持っている人なのかな、という認識しかない。

子育てをしている方ならわかると思うが、
子供はみんな性格が違う。
好きな遊びも ハマるものも 響く言葉も 傷つくポイントも人それぞれ。
同じ対応をしても返ってくる反応は全然違う。それこそ、子供が4人いたら四者四様だろう。
その4人が同じ大学の同じ学部に行くというのは、おそらく大いに大人側の誘導もあると感じる。
佐藤ママのお子さんたちはもともと優秀で知的好奇心が高く、佐藤ママも子供をやる気にさせたりメンタルフォローがうまいのかもしれない。
それでも、そこに、
「親ががんばれば、子供を誘導できていい結果を出すことができる」という、塾や受験業界が勧めてくる考え方が 透けて見えるのだ。
ほんまかな、それ。

中学受験は親もメンタルがつらくなる。
なんのために、時間と労力と精神的な自分のリソースをここにかけてるんだ?
そんな時に、佐藤ママをふと思い出すのだ。
「あの佐藤ママもやりきって見事結果も出てるんだから。
親ががんばれば、結果はついてくるはず」と、自分を奮い立たせるのだ。


佐藤家のことは 佐藤ママやその子供たちにしかわからない。
中学受験の塾だって合う子には合うし、受験そのものが向いてる、やってよかったという親子も一定数いると思う。
ただ、うちの子には受験塾でのやり方は合わなかったし、
私も、子供の勉強のフォローにここまで首を突っ込んで、勝手に期待して私の期待値が高かったことで子供を傷つけていたと思う。
うちの子は管理されるのが嫌だし、私も管理するのは嫌だ。
楽しくいきたい。
生きて、元気で、楽しそうならオッケー。
それでいいかなと思ってる。




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