勝ち負けだと思ったら、負けだよ。
ここ数日、精神状態があまり良くなかった。
原因は、仕事である。
最近、関わる人が増えたり、関わっていた人との関わり方が深くなったりして、その分生じたストレスをボディーブローのように食らい続けたような感覚だ。
嫌な感情や嫌な面が見えてしまう瞬間は、自分のエネルギッシュな部分を根こそぎ取っ払ってしまうような気持ちにさせられる。
すごくダメージが大きくて、一度負の感情が渦巻いてしまうと、そこから抜け出すのが大変だ。
好きだと思って近づいたのに、結果として嫌いになって離れてしまう的な、「何を今さら人にそんな期待をしてるんだよ、バーカ」みたいなこともあって、なおさら疲弊した。
そんな感情と向き合い続けた一週間の終わりの夜、僕が辿り着いたのは、ひょっとすると自分は勝とうとし過ぎているんじゃないか、ということだった。
このモードに自分が陥ってしまった最初のきっかけは、今の会社に入ってから一番力を入れて進めてきた仕事のプロジェクトに、否定的な反応をされたことだった。
否定というか、ちょっと小馬鹿にしながら、「そんなの意味あるの?」的なあの感じだ。
「やる人がやったら、もっと意味があるものになるのに」的な感じも含まれている。
自分なりに、色んな人と関わって、試行錯誤しながら何とか前に進めて、最近は軌道に乗ってきた手応えもあった。
だからこそ、僕はその否定的な反応をした人に、脊髄反射的に反応してしまった。
条件が揃わない中で自分がこんなにやってきたのに、なんとか形にしてきたのに。
なぜわかってもらえないんだ、とはじめは悶々とした。理解してもらいたかった。
悶々とした感情を、その人にぶつける機会はなくて、自分からぶつけようとする勇気も出なくて、抱えたままにした結果、いつしか「この人より自分の方が頑張っているし、上手く仕事を進めている」みたいなことを考えるようになっていた。
自分の仕事を、いや自分のことを、その人に理解してもらいたい。
はじめはそう思っていたけれど、気付けば、その人のことを見下ろそうとしている自分がいることに気づいた。
気持ちを理解してもらおうとせずに、わからせようとした時点で、終わりなんじゃないか。
思えば、今まで壊れてしまった人間関係の末路は、そういう感情を持ってしまったが故だったと思う。
少し鼻に付くような、自分を軽視するような発言をされると我慢できず、その分、上になってやろうという感情が湧く。
つまり、相手に勝ちに行こうとしてしまうということだ。
その人との思い出や、良かったことなんて忘れたフリをして、勝ちに行った結果、縁がなくなってしまう。
嫌なことをされたら、言われたら、嫌なことには変わりない。
だけどおっさんに向かって着実に歩みを進めているいま、そろそろいなせるような人間になりたいなあ、と思う。
いなすことは難しいけれど、いなすことができずに、こんな感情を抱えながら生きる日々は、自分の首を絞めている。
負の感情のウエイトが高い状態で生きている時点で、僕の人生は負けだ。
勝とうとした結果、負けてるのだ。
まずは鼻息荒く土俵に立つ自分から幽体離脱して、その人と自分を眺めることからはじめないといけないのかもしれない。
戦わずに勝つ、なんてことができるようになったら、カッコ良いおっさんになれるだろうか。
クリープ / クリープハイプ
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