無意識の暴力の恐ろしさ
ヴィクティム・ブレーミングの根底は何か
ヴィクティム・ブレーミングという言葉を知っているだろうか。
色々見ているとこの言葉が目に入った。
一言で言うと被害者非難。被害にあった人の不幸を自業自得と捉えることだ。病院、事件、いじめなどその人に起こった出来事を個人の道徳レベルにすり替え非難の対象にする事である。どうやら意識的だけではなく、無意識にするという話もある。いわば無意識の暴力だ。
性被害にあった人はこれに合う事が多い。お前が悪い、嘘をついている、お金目的だ、服装が悪い。
伊藤詩織さんの事件もまさにそうだと私は思っている。心身共に苦しんでいる人をさらに陥れる行為だ。
誰が好んで自分にが受けた事、人には言いたくない事を公言するのか。そこにヴィクティム・ブレーミング。そしてそれを何度も繰り返すセカンドレイプ。
その根底には女性蔑視があると思う。弱い立場のものが強い立場のものに刃向かうな。そんな無意識の刷り込みがあると私は思っている。そしてこれは男性だけが持っているのではなく、女性自身も男性に刃向かうな。という気持ちを持っていると私は思っている。
痴漢にあった時のこと
若い頃痴漢にあった。あった時に私は駅に届けた。その時警官から言われた言葉は「あなたのスカートが短い事が原因だ」という言葉だった。
ちなみにスカートは膝丈であり、通常はミニスカートとは呼ばないカテゴリのものだ。私はそこに反論し「これはミニではないですよね。膝丈でありミニではないですよね」というと、「そういうふうに書いておかなきゃいけないんですよ」と返された。
その時は20代前半。今の私なら言い返していただろうがその時はどう返していいかわからず返せなかった。
この出来事もヴィクティム・ブレーミングにあたると思っている。被害者に原因があるというふうに持っていったからだ。
短いスカートを履いたから痴漢をされるという前に、相手がどんな格好であろうと他人の体を触るということに問題があるのではないか。
これは、あなたの素敵な持ち物が見えてしまったから仕方ないんですよと言い、物を取る事と同じだと思っている。
持っている人に責任はないはずだ。自分のものなんだから。それを持っている人が悪いとなる。いいものだったら「それを見せびらかしたから取られたのだ」という事にするのだろうか。
それは泥棒する犯罪者の言い分であり、決して良いことではない。
そして問題は被害を受けたのに、受けた人のせいにしてさらに相手を陥れようとする事だ。それを警官がするのだからどうしようもない。
無意識の罪
これはあえて(相手を傷つける)だけではない、無意識や良かれと思ってということもあると思う。
「あなたに必要だから出来事が起こったのよ」「神様は必要ない事は与えないわ、必要だからころあなたに起こったのよ」という言葉は本当に辛い出来事を受けた人に向ける最低な言葉だと思っている。
自分が言うならいい、人からは絶対に言われたくない言葉だ。
これらの言葉を言う人は本当に辛い目にあっていないのではないかと私は思っている。本当に辛い事を経験した人はその言葉が辛い時、どれだけ他人を傷つけるかが少なくともわかるに違いないと思っている。
私がレイプされた時、私は周りに詳細に伝えた。その時の自称アドラーカウンセラーから受けた言葉が最悪だった。
「あなたに起こった事には目的があったのよ。あなたがレイプされた目的は何?」
お前は死ねと正直思った。何がアドラーだ、何がカウンセラーだ。何が目的論だ。
お前のような輩がカウンセラーなどと名乗るなと思った。
あれからカウンセラーという職業に怪しさを感じている。私に嫌な言葉正しくヴィクティム・ブレーミングを浴びせた人たちの半分は自称カウンセラーやコーチという職業を名乗っているからだ。
彼らはきちんとした教育を受けないまま上部だけの資格を取っている。高額なセミナーを受講したら誰でもカウンセラーになれるという幻想をもち、未熟なままで肩書きを名乗っている人たちがいる。
そんなセミナーを増やす事は罪を作っていると私は思っているし、中途半端なカウンセラーやコーチは人を傷つける前に辞めて欲しいと思うのが正直な気持ちだ。
下着云々は加害者の為ではない
アメリカの裁判で10代半ばの女性が男性からレイプされた時Tバックを履いていたことで法廷で何度も確認され、後に彼女が自殺したという事件があるようだ。
これもヴィクティム・ブレーミングであり、セカンドレイプだ。どんな下着を履いてようとはたまた下着を履いてなかろうと関係ない。加害者が問題であるはずなのに被害者が悪いことに話をすり替えようとしている。
Tバックは誰かのために履くものではないと私は思っている。私自身よく履く、そしてそれは服に下着がうつさない為に履くのだ。下着が服にうつった方がよろしくない、だからTバックやレースの下着をつける。
普段は人に見せるものではない下着を法廷で見せられた女性は傷ついた所ではない。そして実際彼女は亡くなった。
日本の法律のおかしさ
裁判が終わった。ここからどうなるかはわからないが今の日本ではまだまだ難しいのだろうと思っている。親からの虐待であっても子供が求めたからという判決で加害者である親が無罪となる事には驚きしかない。
そもそも子供が求めたとしても親は自身の子供に性行為をすべきではない。それに応えること自体がおかしい。それを無視した判決をした裁判官は人間の心を持っていないように感じたし、想像力が欠如していると私は感じた。
そんな日本だからこそ、どこかで変わらなければいけないのではないかと私は思っている。