「なんとかできる」と思えるのは少しずつ積み上げたから
先月は転職前の有給消化期間でせっかくの長い休みだったけれど、飲み会や旅行がコロナの影響で続々キャンセルになった。
そこでたまった鬱憤を晴らしたくて、思い付きで髪を染めることにした。
東京リベンジャーズに出てくる不良か、BTSのメンバーみたいになってやろうと思うと、すごくワクワクした。
髪を染めるのをお願いしたのは、高校時代の同級生・目黒だ。
目黒は親の反対を押し切って、大学を一年生の時に中退。専門学校に通って美容師になり、同級生より一足先に社会に出た。
カラーリストという専門職でコツコツと頑張ってきて、今は雇われ店長になっている。
スペシャリストな上に責任者でもある彼を、気分転換のおふざけに付き合わせるのは少し気が引けたけれど、昔のよしみで頼むと快く引き受けてくれた。
目黒と会うのは、2年ぶりだった。
店に入ると、高校の教室にいたときみたいに、ダラっとした格好で携帯をいじっていた。
前後にお客さんがいなかったからのんびり待ってたらしい。
店長になってテンパったりしてるのかなとか想像していたけれど、目黒は昔と全く変わらずローテンションで淡々としていた。
シャンプーをしてもらってから、何色にする?と聞かれる。
不良みたいな真っ金髪か、K-POPアイドルみたいな奇抜な色にしてくれと頼むと、「お前が真っ金髪にしたらカズレーザーみたいに芸人臭くなりそうだし、真っ赤にしたらダサいyoutuberみたいになっちゃうよ」と諭された。
だったらオシャレにしようぜという結論に至り、シルバーっぽい色に染めて、徐々に色の変化を楽しめるような髪型にしてもらうことにした。
染めてもらいながら、お互いの近況報告になる。
家族や共通の友だちの話なんかもしたけれど、なんとなく仕事の話が多くなっていった。
目黒は僕に似て理想主義なところがあったから、自分が美容師だったら考えそうなことをふと思いついて、聞いてみた。
「やっぱり、最終的には流行の髪型を生み出したいとか思うの?」
それはないね、と目黒は即答した。
今は美容師からトレンドが生まれることはほとんどないらしい。美容師になったばかりの頃と違って、インスタやYouTubeがメジャーになって流行の生まれ方がよくわからなくなったし、お客さんが求める髪型の種類も細分化されたという。ヒット曲が生まれなくなったJ-POPみたいだなと思った。
SNSでバズることを狙う美容師もいるんだけど、と前置きした上で目黒はこう続けた。
「流行りの髪型を生むとか、センスを突き詰めるとか、そういうのを目指すのはやめた。美容の世界も最近は科学的でさ。根拠を持って積み上げていくと、ちゃんと結果が出るし、お客さんがまた来てくれたりするんだよね。オレにはそのやり方が合っていて、そのやり方で頑張ろうと思ってる」
思っていた以上にカッコ良い答えが来たので「ほえー」と間抜けな相槌を打ちつつも、目黒の言っていることは、すごく腑に落ちていた。
自分が最近考えていたことは、目黒と少し似ている。
企画やプロモーション畑でこれまで仕事をしてきた僕は、社会人になったばかりの頃はなにかと目立つことがやりたいと考えていた。
斬新なイベントの実績を作って業界でも有名な人になりたい、大規模なプロモーションやPRを仕掛けてインタビューされたい、恥ずかしながらそんなことばかり考えていた。
だからこそ、希望していた仕事が割り当てられないと、愚痴ばかりこぼした。やりたかった仕事に取り組んでいた時には、自分よりセンスが良さそうな人、結果を出している人を羨んだ。
ただそんな自分を変えたのは、4年以上勤めた前職の広告系の制作会社での、いろんなお客さんと重ねた一つ一つの仕事だ。
前職での僕は、消費者向けの派手な仕事より、役所やお堅いメーカーの仕事をする機会が多かった。世の中に大きく仕掛ける、というよりは、限られた人にしっかり届ける、というものが多かった。
最初はその仕事を地味だなあと思っていた。
どちらかと言うと大きく仕掛ける仕事をやりたかったから、モチベーションが上がらないこともあった。
自分に力量が足りなくてトンチンカンなことを言って、お客さんを怒らせてしまって凹んで、やっぱりこっちじゃないよと思うこともあった。
だけど、いま目の前にある仕事はそれでしかないと割り切って数を重ねていくうちに、段々とお客さんの勘所がわかるようになった。
そうすると、自分のやった仕事が感謝されることが、徐々に増えていった。
感謝されると、とても嬉しかった。
世の中を変えられた訳ではないけれど、目の前にいるお客さんの悩みを解決して、笑顔が見られた瞬間は、何物にも変え難かった。
自分の仕事で喜んでくれている人が少ないながらもいることを認識したとき、少しだけ自信がついた。
会社員になったばかりの頃に理想としていた、世の中に大きく届ける仕事ではない。
だけど目の前のお客さんに感謝されるたび、その理想はどんどんどうでも良いものになっていった。
僕のやり方で、欲しいと思う人に、届ける仕事をしていこう。
最近は、そう思うようになった。
目黒も、僕も、実態のない順位表でのナンバーワンを目指すことはやめたのだろう。
決して夢や野心を失って、もう大人になったからとか、そういう諦めではないと思う。
僕たちは、働いていく中での喜びを知って、それを得るために頑張る、という生き方をきっと身につけたのだ。
僕は今月から新しい職場で、今度は自社のサービスを、広めたりサポートしたりする仕事をしている。
お客さんではなく、同じ会社の仲間を助ける仕事だ。
勝手が違うから、最初から怯む場面もあった。
環や、仲の良い友だちに少し相談もした。
30代で会社を変えるのは、即戦力として期待されているのであって、それ相応の結果を求められるから、甘くない。
でもだからと言って、僕は僕から離れることはできない。
自分の想像の範囲内でだけ、理想だけで突っ走ったところで、何も得られないこともわかっている。
だからこそ、目黒と同じように、目の前の人を笑顔にするために、一つずつ積み上げていけば良い。
僕がお守りのように大切にしている小説で、宮下奈都さんの「羊と鋼の森」という作品がある。
ピアノの調律師になったばかりの主人公が、少しずつ成長していくストーリーだ。
クライマックスに差し掛かったところで、起きてしまったトラブルを、なんとか乗り越えるシーンがある。
そのときの主人公の心情は、とても印象的だ。
「あの頃から、何も変わっていない。ただ増えたのは、少しの技術と、少しの経験、あとは絶対になんとかしようという覚悟だけだ」
飛躍的に能力が上がった訳ではない。
でも、僕もそれなりの経験を積んできた。
だからこそ、なんとかゴールに辿り着こう、そんな風に思うことはできる。
自分ひとりでは無理なことも多いから、そうなったらとにかく調べ尽くして、それでもダメなら色んな人に話を聞こう。
そして自分なりにこれかもしれないという答えを出して、チャレンジして、失敗したらまた原因を考えよう。
そして、覚悟を持って恐れずにチャレンジしよう。
僕の仕事も、美容師や調律師も、同じことが言えるはずだ。
少しの経験の積み重ねで出来上がった根拠を頼りに、覚悟を持って、さらに積み上げていく。
大丈夫。
僕たちならなんとかできる。
完熟宣言 / シャムキャッツ