大人になって増えるのは、寂しさだけじゃない
最近、友人との距離を感じることが増えた。
特にこの1年は人と気軽に会いづらいし、年齢的に人生のステージが変化するタイミングなのだろう。
僕は今年の2月で29になった。20代がもうすぐ終わる。
周りの友人を見渡すと、会社で大きい仕事を任されていたり、結婚や出産・パートナーとの同棲のようなプライベートな変化を迎えていたり。
みんな、結構慌ただしくしている。
僕自身も結婚して2年以上が経ち、仕事は面倒を見ないといけない後輩が何人もできたし、ほとんどのことは自分で判断しないといけない。てんやわんやだ。
今までみたいに自分を中心に据えて、気分に任せて仕事したり、直感的に恋愛をしたり、朝まで憂さ晴らしに飲んだり、思い付きで週末に旅行したり、そんなことは一切なくなった。
最近、数年前の自分を投影したような小説や映画と出会うことが多い。
昨年出版されたカツセマサヒコさんの『明け方の若者たち』では就職したての23,24歳の、大ヒットしている映画『花束みたいな恋をした』では20~25歳にかけての、東京の若者が描かれている。
登場人物たちとは大体同い年で、彼ら彼女らがきのこ帝国をBGMに生きる時代はまさに僕が生きてきた時代であり、懐かしさを感じる。
『明け方の若者たち』で就職したばかりの20代前半を「マジックアワー」と呼んでいたけれど、まさに言葉通りだ。
僕にとってもそうだった。
そして、色んな意味で戻れないあの頃が、友人と会うことが大きく減ったせいか、無性に恋しく感じることがある。歳を重ねれば重ねるほど、戻れない日々に焦がれることはどんどん増えていくのだろうか。
子どもだった頃が遠くなっていく寂しさを少しずつ感じていた今日この頃で、20代を共に濃密に過ごした友人の1人、佐伯と久しぶりに会うことができた。今週、ランチに行った。
佐伯は、大学時代からの友人だ。
職場の最寄駅は同じで会おうぜと言い合っていたけれど、在宅が増えたとかそういう理由もあって、約一年半は会っていなかった。
佐伯から結婚の報告が来たのをきっかけに、僕たちはようやく顔を合わせることができた。
佐伯と過ごした「マジックアワー」は、僕にとってこれからもずっと忘れられない、大切な時間だ。
大学に入学してすぐの頃、大講義室で行われていたオリエンテーションで、僕と佐伯は出会った。大学特有の友だち作りに気後れしてもう1人で良いやと思っていた矢先のことだった。
隣に座っていた、人を品定めしなさそうな佐伯の顔を見て、コイツならなんか大丈夫そうだなと話しかけてみると、偶然にも僕らは同じクラスだった。
最初から喋りやすかったけれど、距離感を詰めるのにはちょっとだけ苦労した記憶がある。一緒にフットサルサークルを作ろうとして少し揉めて失敗したり、佐伯に誘われて入ったバンドサークルですぐに僕が幽霊部員になってしまったり。仲が悪くなってしまいそうな出来事が、何回か起きた。
けれど不思議と縁が切れることはなく、一緒に時間を過ごせば過ごすほど仲が深まった友人だ。
一緒にカラオケに行ったり、飲みに行ったり、遊ぶだけで満足していた佐伯との関係が変化した転機は、大学2年生の秋頃。
ゼミの試験だ。
学部の中でも王道で、大手企業への内定実績が多いゼミがいくつかあって、それが3年生になると始まる。
人気ゼミは希望者が殺到するので、入るためには試験を受ける必要があった。
佐伯も僕も、なんとなく周りに流されて、他の同級生と同じようにコミュ力が高いフリをして、色々と準備してゼミに入るための試験を受けた。
僕たちは、呆気なく落ちた。
4年生から必須で入ることが決まっているゼミがあった僕はまあいいやと思っていたけれど、それもない佐伯は落ちたことに、そして面接の内容にショックを受けていた。
「ディズニーランドにみんなで行くけど、そこで君はどう振る舞う?って聞かれたんだけど。
無理。オレみんなでディズニーとか無理。役割あるのも無理。」
もともと真面目でも不真面目でもない中途半端さで、大人数で群れることも苦手だった僕らの特性を、今は大手で働いているであろう先輩たちはしっかりと見抜いていた。
僕も、たかだか1年か2年長く生きているだけの先輩に「君はなぜそんな性格なの?どんな背景があるの?ちょっと掘り下げてみようよ」と言われてフリーズし、その場で落ちたことを自覚していた。
無理を繰り返す佐伯と、気持ちは一緒だった。
王道路線から早々に脱落した僕らは、変なスイッチが入った。
佐伯はすごいダサいバンド名のオリジナルバンドを組んでライブをしたり、プログラミングの勉強に励んだりしていた。
僕も、小学生に勉強を教えるボランティアを始めたり、意識の高い学生が集まるコミュニティに出入りしたりし始めた。
それぞれがもがいていたある日、何かを見つけようと必死になっていた2人の点と点が一致する。
環と出会ったきっかけでもある音楽コミュニティに出入りするようになった僕は、頭の中が音楽で埋め尽くされて、音楽で何かをしなくてはいけないという義務感に駆られていた。
喫煙所でタバコを吸っていた佐伯を見つけて、いきなり声をかけた。
「おい、ライブハウスでイベントやるぞ」
佐伯は二つ返事で快諾した。
イベントをやるということだけを決めた僕たちは、大学の食堂で、2人の家のそばにあったマックで、渋谷の安い居酒屋で、何度も作戦会議をした。
週に何回も下北や渋谷のライブハウスに通って良さそうなバンドにオファーして、ライブの告知のフライヤーを作って、Twitterをまめに更新して、手伝ってくれるようになった友だちと喧嘩して、、みたいなことを無我夢中にやった。
はじめて僕たちが企画したイベントを終えた時の爽快感は、凄まじかった。
打ち上げで朝まで飲んだ帰り道は綺麗な青空だった。
やろうと思えば、何もないと思っていた自分たちでも、ゼロから何かを作り上げることはできる。
これからは何にでもなれる、僕らにできないことなんて一つもない。僕らは、何かを持っている。
僕はそう信じたし、佐伯もおそらく同じことを思っていた。
社会人になってからのはじめの三年間は、まさに「明け方の若者たち」の主人公たちが高円寺で「マジックアワー」を過ごしていた頃、僕たちは吉祥寺や渋谷でよく遊んだ。
地方に飛ばされてやりたくなかった仕事を担当していた僕は、頻繁に東京に戻ってきていた。
就活をしないで、大学生の頃から勉強していたプログラミングで起業した佐伯とは、よく会っていた。
2人とも、真面目に働いていたし、ちゃんとお金を稼いでいたけれど、どこか物足りなさを感じていた。
あの時のイベントみたいなことやりたいよなあとか、SNSでカッコいいことをやっている少し年上の人たちを見つけてこうなりたいとか、スーツ着て仕事するってありえないよなあとか。
もやもやした気持ちをツマミにして、いつかは何かになれる、何かをできると話しながら、アルコールを口にした。
2ヶ月に1回、東京に戻って佐伯に愚痴をこぼしたりもっとできるよなあと漠然とした未来を夢みたりする時間は、今思うと気楽でしかなくて、とても楽しかった。
ただ、そんな日々にも終わりが来た。
僕と佐伯にとっての2回目の転機、25歳の時のことだ。
僕は新卒の会社を辞めて、転職して東京に戻ることになった。
たまたま同じタイミングで、佐伯も自分の会社を畳んで、就職することになった。
それぞれがモヤモヤした時間を楽しみながらも、やっぱり打破しようと、次に向かったのだ。
これからも情報交換しようぜとか、これからも一緒に何かやろうぜ、とかその時は話していたけれど、今思えばこれが僕らにとっての「マジックアワー」の終わりだったんだと思う。
それからはお互い忙しくなって連絡する頻度は減ったし、時間制限付きで大人っぽくご飯だけ食べるようになるようなことも増えて、付き合い方が変わった。
気づけば2人ともスーツで仕事をしていたし、何かを一緒にやることも特になかった。
ここでようやく、今週佐伯とランチに行った時の話だ。
1年半ぶりに会った僕らは、2人が過ごした「マジックアワー」の思い出話や、お互いの今の仕事やプライベートの話を、たくさんした。
佐伯の奥さんの話を聞くと、彼の性格を理解している人だということがわかる。佐伯がこれから良い人生を送るためのパートナーと巡り会えたことに、嬉しい気持ちになった。
お互い一通り話し終えてコーヒーを飲みながら、もうすぐ終わる20代を少しだけ振り返った。
2人とも、楽しかったね、と言い合うことができた。
出会って仲良くなってから、大学生らしい時間を過ごし、ゼミで落選してからは自分にできることを不器用に見つけて、社会人になってからは悩んだけれど、お互い今はなんとかやっていける場所を見つけられた。
僕たち2人の間には、いつまでも笑いながら話せるような思い出がたくさんできていた。
店を出て佐伯と別れてから、僕は改めて色々と考えていた。
やっぱり彼と話しながら思ったけど、僕らにとって20代前半は「マジックアワー」だった。とても輝いていた。
その頃にはもう戻れない、という事実はどうしても寂しい。
でも、そんな時間を過ごすことができた自分の人生に、喜びを感じる。
寂しいという気持ちは、喜びや楽しさと表裏一体だ。
今日、佐伯との1時間ちょっとのランチは、すごく楽しかった。
昔の話だけではなくて、今の話もできたことが嬉しい。
これから先も、今日みたいな時間は必ず来る。
そして、お互いが、これからの人生で多くの時間を過ごし、喜びをもたらしてくれるようなパートナーと出会えていることが、幸せだと感じた。
ああ いつまでも 私のそばで その涙を見せてよ
花は咲き 虹がかかる
ああ 君はまた 大人になって 喜びも増える
そんなこと祈ってるよ 白い光の朝に
僕たちがこれから迎える30代、40代、50代、60代、70代、その先も。
大人になればなるほど戻れない寂しさは多分増える。
羨ましく思うこともあるだろう。
だけどその分、喜びともきっとたくさん出会える、そう信じている。
白い光の朝に / 平賀さち枝とホームカミングス
<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。