もっと何かに頼ってもいいんだよ
つい最近、知り合いから「社交不安症」という言葉を教えてもらった。
言葉通り、人や社会と交わることが不安になってしまうことで、病院に通って治療する人もいるらしい。
具体的な症状の例に、こんなものがあると言う。
「仕事の会議で複数人の前で話をするときに、必要以上に緊張し過ぎてしまい、顔が真っ赤になったり何を言ってるのかわからなくなったりする」
それを聞いて、とても驚いた。
なぜならその症状は僕が長い間付き合ってきたものであって、まさか通院するようなものだとは思わなかったからだ。
思い返せば、物心ついた時から人前で話をするのはあまり得意でなかったと思うけれど、はっきりと苦手を自覚した出来事を覚えている。
高校時代の保健体育の授業だ。
一人一人がテーマを決めてレポートを作り、教壇に立ってクラスメイトに調べた内容を発表する授業があった。
クラスメイトたちが淡々と、堂々と発表を進めていたけれど、僕は自分の番が迫ってくるにつれて、心臓のドキドキする音の速度が上がってくのに気付いてすごく不安になっていた。
みんなみたいに教壇に立てば、淡々と発表できるのではないかと淡い期待を抱いていたけれど、いざ自分の番になった時には全然ダメだった。
レポートを持つ手も、声も、震えが止まらなかった。
それが恥ずかしくて自分の顔がどんどん真っ赤になっていくのがわかって、大量の汗をかいた。
その様子を見て、クラスメイトが少し笑っているのが目に入った。
半分泣きそうになりながら発表を終える頃には、額にかいた汗が手に持っていたレポート用紙の上に落ち過ぎてしまって、文字が滲んで読みづらくなっていた。
僕の発表を聴き終わった先生は開口一番、
「なんだよ。普段話しているみたいに話せば良いのに」
と言った。
すごく惨めな気持ちで自分の席に戻ったのを覚えている。
大学生に上がってからも同じだった。
年を重ねれば大勢の前で話をするのは得意になるんじゃないか、慣れの問題なんじゃないか、そう思っていたけれど、できないままだった。
バイトで、ゼミで、サークルや講座で、「ひとり一言挨拶してください」と言われた瞬間、心臓の鼓動のスピードが、グッと加速してしまう。
話す時には必要以上に早口になってしまったり、途中で着地点を見失って訳がわからない話になってしまったりした。
大汗をかいて、顔が真っ赤になったのは毎回だった。
だから就職活動も苦労した。
集団面接やグループワークが苦手で、ことごとく落ちた。
書類は通っても、最初の複数人で話す、かしこまった場を突破するのが、難関だった。
ただ、僕のその症状が全く出ないシチュエーションもある。
1対1か、1対2くらいの個人面接だ。
あまり緊張しないのだ。
頭がクリアになって、思っていることを落ち着いて話すことができる。
個人面接は高確率で通過した。新卒で入った会社は、選考フローのほとんどが個人面接だった。
集団面接しかない世界に生まれていたら、僕は社会人になることはできなかっただろう。
社会人になってからも、僕は相変わらずだった。
上司と一対一で面談したり、個々で打ち合わせしたりするのは苦ではないけれど、部署のミーティングで複数人で報告し合うことや、大勢の前で挨拶することはすごく苦手。
大勢がいるかしこまった場で話し終えた後は、自分のダメなところ、ボロが出まくってしまった気がして、ものすごく落ち込んだ。
翌日の朝になっても上手に話せない自分が頭から離れなくて、数日経たないと気分は晴れなかった。
だけど、ここ数年で大きく変わったことがある。
コロナでリモートになったことだ。
リモートワークをしていても、大勢の人の前で話すことも、複数人が参加する会議を仕切らないといけないことも、たくさんある。
そしてそれは、かなり緊張するものだ。
だけどパソコン画面越しに発表することができるようになってから、人に気付かれずにカンペを見られるようになった。リアルな場しかなかった頃にはカンペを見ながら話すなんてなかなかなかったし、用意している人も少なかった気もする。
僕は、デジタルでコミュニケーションを取るようになってから、カンペをフル活用するようになった。
はじめは、1分にも満たない簡単な挨拶に、カンペを用意するなんて、良い歳して恥ずかしいことなんじゃないかと思うこともあった。
だけどカンペを用意しておけばなんとかマシに話せるし、話終わった後に自己嫌悪感も多少薄まった。
ただカンペを用意してもなお、アドリブで話さないといけない状況はやはり多いし、あるからと言って相変わらず心臓はドキドキしてしまう。
この感じは、僕はこれからも死ぬまで付き合い続けないといけないのかもしれない。
つい先日、講演会やイベントでプレゼンをする経験が豊富で、社内で一番話をするのがうまい役員と、一対一で会議をした。
役員は、渋い顔をして僕に打ち明け話をしてきた。
「最近直属の部下からの評価が低くてさ、オレなんか必要ないんじゃないかって、すごく気分が落ちてたんだよね」
その人は話が上手なのもあるけれど、そもそも仕事がバリバリにできて落ち込むとは無縁そうに見えた人なので、そんな風に考えることがあるのかと、とてもびっくりした。
僕に出来ることがあれば何でも言ってくださいと伝えると、すごく嬉しい言葉が返ってきた。
「オレ、太さんの作る資料、完璧だと思う。めっちゃわかりやすくて、すごく伝わるから。これからも信頼してるよ」
たしかに、プレゼンや会議の資料を作るのは社会人になってからそこそこうまくなったかもと、自覚していた。
それは、話すのが不得意で会議でうまく話せるか自信がない分、なんとか資料だけでもわかりやすく作っておこうと、少しずつ努力を重ねたおかげな気がする。
役員と話して、話すことが苦手な自分だからこそ、できるようになったこともあったんだなあ、と気付かされた。
話すことにこだわらずに、書いて伝えれば良いのか。
できないことをできるようにするのはとても素晴らしいことだし、それが一番だと思う。
ただ、人間はそこまで万能にできていない。
誰でも苦手なことはあるし、どう足掻いてもできないことはある。
ある程度歳も重ねてきたし、むしろできない自分を受け入れて見つめ直した上で、できないなりになんとかするにはどうしたら良いかを考えた方がいいんじゃないだろうか。
僕は大勢の前で流暢に、上手に、話をできるようになりたいという思いは相変わらず持っているけれど、これから恥じることなく、色んなものに頼っていこうと思う。
カンペに、自分の資料を作る力に、話をするのがうまい役員に。
できなかったら、できないなりのやり方をしよう。
もっと色んなことに頼ることで、人を怖がらずに、楽しく誰かと話せるようになれたら良いなあ、と今は思っている。
かぞえうた / ヒグチアイ