「くん」か「さん」で人は傷つく
「坂本環さ〜ん。あれ、おかしいな」
きっと私の顔は引きつっていた。瞳に宿っていた光はみるみる失われていっただろう。
口を真一文字に結ぶことだけで精一杯だった。心臓の音は体の中で大きく鳴り響き、児童たちが困惑する空気が教室に充満していた。私はその空気を、全て自分に向けられた非難のように感じていた。早く返事をしろよ、と急かされているようだった。
「あ、坂本環くん。坂本環くん!先生、女の子だと思っちゃった」
教室にどっと笑い声が鳴り響く。
「あ、笑わないと」。一拍遅れて笑った私は、泣きそうになったのをぐっと我慢した。波にさらわれたような感覚だったなと、振り返った今思う。どうしようもできず、自分にとって不快な音だけに包まれていたあの状況を。
入学式の前に、学校で受けた知能テストのことを覚えている。
母と一緒に兄の通う小学校に行って、簡単な計算をしたりひらがなを書いたりした。父方の祖母に買ってもらったエメラルド色の塗装がされた鉛筆をウキウキしながら使った。図形のテストで見本通りのひし形がかけず、勇気を振り絞って教室にいた女の人に声をかけた。
「これ失敗しちゃった」
「いいわよ、その隣に書けば」
そんなことしていいんだ!と思った。間違えて書いた図形の隣に一生懸命、ひし形を書いた。見本と同じようにかけて嬉しかった。終わった後、母にそのことを言って笑いあった。ちょっぴりの失敗と、失敗してもリトライが許されたことがなんだか面白くて、楽しい学校の記憶になった。
知能テストから数日だったか、数週間だったか経った4月。
ど緊張の入学式を終え、新しい教科書の表紙に折り目をつけ始めた頃のことだったと思う。
まだ全員の名前を覚えていない担任の先生は、慣れない男女混合名簿を使って毎朝全員の名前を読み上げた。男子児童には「くん」、女子児童には「さん」をつけて、はっきりと大きな声で。
私は出席番号が5番か6番で、列の一番後ろ、教室の最後方の席だった。
「坂本環さ〜ん」
なんとなく予期していた。しょうたとか、りょうとか、たいちとか、そういう名前の同級生と同じ名前の人はテレビで見るのに、「環」という名前を持つ人を見たことがなかった。
「いい名前だね」って言ってくれるのは大抵がおじいちゃんやおばあちゃん世代で、若い人の名前ではないんじゃないかと思っていた。女性に多い名前だとも言われていた。
「女の子かと思っちゃった」と担任の先生が言ったあと、教室で笑った同級生たちもよく分からない人ばかりで怖かった。同じ保育園の人たちはほとんど隣のクラスにいて、同じクラスになったのは約40人中1人か2人だった。知らない同級生たちは休み時間に「〇〇幼稚園だったでしょ!」と話していて、幼稚園はお金持ちがいくものと思っていた私はなんだか居心地が悪かった。
そんな同級生たちに笑われ、その声に飲み込まれたのだ。体の中に入った嘲笑は私をどんどんと蝕み、私の心は傷ついていった。
私の小学校は男女でペアになり、机をくっつけて授業を受けていた。
傷ついていた私は隣の席だった気の弱そうな女の子をいじめた。
男であることを誇示するように力でいじめた。殴ったり蹴ったりするわけではないが、机をガタガタとゆらし、消しゴムのカスを大袈裟に払って女の子に飛ばし、常に睨んでいた。当時は、なぜこんなにむかむかしていたのか分からなかった。その子に当たることでしか、自分の中にあるもやもやを払う方法がなかったのだと思う。
隣の席の子をいじめている恐竜が主人公の絵本「となりのせきの ますだくん」をその女の子が読んでいて、それを当て付けかと思った私は、さらに机をガタガタと揺らしたり、わかりやすく机を離したりしていた。祖母にもらったエメラルドの鉛筆をかじるようになったのもこの頃からだった。
私の隣の席は、毎日入れ替わるようになった。同じ列の女の子たちが日替わりで1つずつ回り、私の隣の席にきた。私は基本無視していた。でも後に、中学校で私を救ってくれることになるミキが隣にきた時だけは、私の機嫌がうまく収まっていたことを覚えている。ミルクティーが好きという、なんとも小学生らしい普通の会話をしたことが今でも鮮明に蘇る。そんな普通の記憶が鮮明に残るほど、私の学校生活は荒れていたんだと思う。
私の性自認は男である。
性自認とは自分が認識している性別のこと。男の人もいれば、女の人もいる。そして両方の人もいるし、どちらでもない人もいる。
私は「男」であるのに、「女」と間違えられたことに腹が立っていた。それは「女」を毛嫌いしているわけではなくて、自分ではない何かに当てはめられたことがものすごく気持ち悪かったのだ。その結果、女の子への暴力につながってしまった。
名前で性別を間違えられるという出来事は、小学校2年になっても変わらなかった。
担任の先生が、定年前の女性の先生になった。
「坂本環さん、あ、男の子か!ははは」。
先生が豪快に笑うと、1年生の頃から同じクラスだった同級生もつられて笑った。私はまた泣きそうになったが、その感覚を無視して仮面を被った。
「やめてくださいよ〜もお〜〜」私の一言で、教室は更なる笑い声に包まれるようになった。
そこから私は自分の性自認を放り投げた。
「たまこよ〜うふふ」
オカマキャラ(※差別用語ですが当時のことを克明に書くためにあえて記します)を演じ、笑いをとった。男子児童からはウケずに白い目を向けられた。でも、私はこうやることしかなかった。また男になってしまうと、私は自分が女性に間違えられることに耐えられず、女子児童に暴力を向けることしかできなくなる。「女」に間違えられることがどんどんと怖くなる。
こんな生活は小学校4年生まで続いた。
「たまこ〜」そうやって呼ばれるのにも慣れた。男の子の友達はほぼ0だった。女の子と一緒に帰り、放課後も一緒に遊んでいた。もともと犬が好きだったこともあり、コーギーや柴犬の書かれたメモ帳を集めたりした。ピンクやオレンジ色の筆箱を持って、ラメの付いたキーホルダーを集めた。それらが純粋に好きだったというのもあるが、それよりもそれを持っていることで女の子に同化できると思っていた。そうすれば女の子と仲良くなれると思っていたし、実際に仲良くなっていった。
小学校4年の秋だったと思う。
運動会だったか音楽会だったか、学年全体で取り組む行事の話し合いが、図工室で行われた。他のクラスにいた保育園から知っている友達と久しぶりに顔を合わせた。
「おお〜環〜」
弱小少年野球チームに入っていた私と対照的に、強豪サッカチームで切磋琢磨していた友達たちは、男らしくかっこよく見えた。それはなんというか、本来の輝きというか、アディダスやナイキのシャツが普通に似合って見えた。
一方、私と言えば、「これだったら変に思われないかな」と同級生の女の子と話し合って買ったデニム地に水色のラインがひかれた筆箱を、机に遠慮がちに置いていた。それが急に恥ずかしくなって、机の下にそっと隠した。それは女である自分が恥ずかしいのではない。女ではない、女という性自認でもない私が、女の子に化け、その行動が自分を守るためであるということが恥ずかしくなったのだ。「女」というものを都合のいい時にだけ使っている自分自身がこの上なく恥ずかしかった。
家に帰り、持っていた他の筆箱や犬のメモ帳を捨てた。「これからどうやって男になればいいんだろう。男ってなんだろう」そう漠然と考えていた。
「くん」か「さん」で区別され呼ばれることで、私は自分を守るための間違ったジェンダー観を作り上げ、それがどんどんと肥大して抱えきれなくなっていた。それを手放したとき、私は生き方が分からなくなった。
その後、なぜか分からないが一番仲良くしていた女の子の友達が私から離れ、不登校になってしまった。私を中心に集まっていた仲良しグループは散らばり、各々の塾や習い事に集中していくこととなった。私が作った虚像であるジェンダー観が周りの同級生たちにも影響力を持っていたのだろう。それが風船のようにパンと弾け、みんなの思い出も記憶も無くなってしまったのかもしれない。
一方、私は小学校5年でこれまで一緒のクラスになったことのないような同級生に出会い、ある意味0から生き直すことができた。本当に恵まれていたと思う。もしそれがなかったら、今頃どうなっていたのだろうか。
私は、「くん」か「さん」で呼ばれることで苦しみ、歪み、自分の性自認や望む性表現(※この場合は振る舞いや持ち物、服装などについて)ではないことをやることでしか周りとの友好関係を築くことができなくなってしまっていた。
今でも男性と仲良くなる時、女性に対しては感じない居心地の悪さを感じる瞬間がある。相手が自分の性別をどう思っているのだろうかと考えてしまう。小学校1年生の時の担任のように、私を女だと思っていて、あった瞬間にそのことを言われたらどう反応すればいいのだろう、と。
また、オカマキャラを演じた時に全く笑わなかった男友達のような態度を再度取られたらと思うと恐ろしいままである。
女性に対しても、複数の女性が話してるところに入っていくのはなんだか苦手に思う日があったりする。私が被っていた女の仮面を簡単に見破られてしまうと思っているからだろう。女性が複数になったら、私は仮面をかぶるだけでは辻褄を合わせることができなくなると思う。
LGBTQの当事者だと気づいた今、私はこの性別やジェンダーの問題は誰でも触れることのあるものだと再認識している。
友達が当事者かもしれない。
同性に惹かれていることに突然気付くこともある。
自分の性別に違和感を抱くようになることもある。
性的少数者の相手から告白を受けることがあるかもしれない。
そもそも戸籍上の性別を、自分の性自認だと思っていることも、LGBTQの当事者ではないかもしれないが、性別やジェンダーということからは切り離せない存在でいることの証左だ。
それなのに、現実を前にして目をつむり、「くん」か「さん」で呼び続けるようなことを繰り返さないで欲しい。その裏で苦しみ、性自認を歪め、時には性的指向や性表現さえも歪めざるを得ない人が実際に生まれてしまっていたのだから。
<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。
▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。
▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(友人談)という自覚があったから。
▽太は、私が死ぬほど尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。
▽将来の夢はシェアハウスの管理人。好きな作家は辻村深月