空を見上げてじっと待つこと
Chat GPTが世の中に登場した影響は、自分の仕事にも出てきている。
うんうん唸りながら企画書を書いたり、方向性を決めたりするような仕事が、一瞬で片付けられるようになる未来が見えてきた。
AIが発達すればするほど自分の仕事の多くは代替される。浮いた時間をどう活かすかという話になってきたな、と今年に入ってから強く感じている。
今の世の中は、本当に効率重視だ。
「タイパ」という言葉に代表されるように、いかに短時間でタスクをこなすか、知識を取り入れるかが、トレンドになっている。
若い人たちを中心に、映画やドラマは倍速視聴するのが当たり前、なんて人もいる。
そのことが悪いことだとは思わない。
その分、得られる何か、生み出される何かがあるだろう。
そのおかげで手に入れた豊かさもあるのだと思う。
一方で、失われたものもある。
自分の人生を振り返ると、ガラケーの携帯電話を持ち始めてから、ガラケーがスマホに変わってからの2段階で、大きく人生が変わった気がしている。
それは、「集中力」だと思う。
僕が1番頭の切れ味が良かったのは、中学3年生の頃だと思っている。
高校受験の勉強をしていたその頃、携帯電話は持っていなかった。
目の前の勉強、日々の物事に真正面から向き合い、吸収力がすごくあった。
学力はもちろん、人間として、周りの人たちが言うことを解釈する力がぐんぐん上がった時期だ。
何にでもなれる気がしたし、自分には可能性が無限に広がっている気がしていた。
10代の若さゆえ、ということもあるだろうけれど、それが失われたのは携帯電話を持ち始めた高校入学前からだ。
生きる時間を携帯電話に侵食されはじめてから、目の前のことに夢中になる余裕が失われた。
メールの返事をしなきゃ、最新のニュースをチェックしなきゃ、そう思うようになり、目の前のことがおざなりになることが増えた。
自分が生きる現実への集中力が続かなくなってきたのだ。
トドメはスマホの出現で、便利なアプリケーションをダウンロードすればするほど、現実世界がぼやけていった。
大学生になり、社会人になり、仕事でもスマホを活用するようになった。そうなってくると、プライベートと仕事の境目が薄く、効率化するためのツールのせいで、嫌なことを引きずるようになり、逆に効率は悪くなった。
そこに、いま対話型AIが登場したのだ。
これ以上便利になると、自分の人生に集中できなくなってしまうのではないだろうか。
昨日、ここ数年で頻繁に足を運んでいる座間市・相模原市で行われている大凧祭りに参加した。
大凧祭りは、「タイパ」重視の世の中から逆行した祭りだ。
100畳サイズの凧を、自然の風を利用して宙に舞わせるのが、祭りの内容。
風が吹かないと、凧はうんともすんともしないので、ひたすら風を待つ。なかなか舞うことがないし、舞ったとしてもすぐに落ちてしまうことも多い。
祭りの目玉を見ている時間より、待っている時間の方が長い。
まさに、タイパはめちゃくちゃ悪い。
昨日も、会場に着いて木陰にレジャーシートを敷いてから数十分は、待ち時間だった。
家族が話しているのを横耳に、僕は体調が少し悪かったこともあり、目を閉じて木陰の涼しさを感じていた。
すると、風が吹き抜けていくのがとても心地よくて、力が抜けていくのがわかった。
目を開けて周りを見渡すと、家族連れがご飯を食べたりお酒を飲んだりしながら、談笑していた。
そこには、通勤電車に乗っている時と違って、深刻な顔でスマホを触っている人などいなくて、目の前の人や景色と向き合っている人ばかりだった。
普段からこんな風に目の前のことに集中して生きられたら、もっと自分の人生を生きられるんじゃないだろうか。
そうこうしているうちに、風が出てきて大凧に動きがありそうな雰囲気になったので、木陰から出て炎天下で大凧が舞うのを待つことにした。
それから、数十分経ったのちに、「最近で1番長い間舞っていたのではないか」という話し声が聞こえるくらい、大凧は青空に綺麗に舞った。
大凧が舞ったのを見届けて、すぐに帰った。
周りも、同じように帰る人が多かった。
待つ時間の方が長かったけれど、帰り道の歩く脚は重たくないし、あれやこれやとしていた考え事もどうでもよくなっていた。
最近、メジャーリーグですら、タイパが悪い部分を見直して、スピーディーに試合を運営するようになったと、新聞で読んだ。
ますます、僕らは便利にスピーディーに、いろんなコンテンツや娯楽を楽しめる時代を生きることになるのかもしれない。
僕自身、それらをどんどん享受しながら生きていくと思う。
でもやっぱり、ぼーっとしたり、家族と話したりしながら、大凧を待つ時間は、必要だと思う。効率を忘れて、何かから解き放たれる時間は、自分の人生に必要だ。
集中力を取り戻すには、スマホという概念がなかったあの頃に、ちょっとだけでも戻ることが必要なのかもしれない。
これから生きていくうえで、ぼーっと空を見上げて、何かが舞う瞬間がくることをじっと待つ、そんな時間をできるだけ作りたいなと思った。
もういいよ / シャムキャッツ