「お前が書いた駄文はこのノートの可能性を奪っただけ」 と昔言われた台詞を夢に見て目が覚めました。90年代後半かな? 割と大人の“インテリ風罵声”としては定型文でした。 その時代の大人が歳を重ね“老害”と呼ばれてるなら納得する事もあります。 …まぁその話は置いて 私の覚えてる限りでは 彼は文章を書く人ではなかった。 その時々の怒りや嫉み妬みを書き留めることなく残したノートには… 誰かの名言と 可能性と言う白紙の頁。 そこに彼はいなかった…。 言われた事なんて忘
やってしまった事に対して… 後始末をつけなきゃ駄目だ。 心からの謝罪をしなければ行けない。 「ここで間違えちゃ駄目だ」 やってしまった事をなおも… 許して欲しいとまだ思う。 私の望む形で決着をつけようともしてる。 「ここで間違えちゃ駄目だ」 信用を失った私の言葉には 2つの意味が含まれる。 この葛藤こそなのだろう。 私が決めろ。
何かのせいにしたい。例えば生い立ち。 何かのせいにしたい。例えば社会。 何かのせいにしたい。例えば才能の有無。 だからこそ私のせいにする。 “私が愚かである” そのせいにすれば考えを放棄できるから。 ただの弱い心。 身勝手な不幸に溺れる暇もなく今日になる。 私が向いている前に進むしかないんだ。 愚かであるから… そういって善人を気取るお前の狡猾さは 間違いなく私のそれだ。 弱さと狡猾さにも正しい使い方がある。 そんな詭弁で辿り着こうとしたのだろ? 弱い心。
信頼してくれてる人を裏切った。 何の事は無い…私が信頼してなかったのだ。 反省してる時も本当はなぜもう少し上手くやれなかったのかとかどうせ考えてた。 許される時の解放感に快楽すら得られたのではないか? 矮小な私。 なお守るお前のそれは何だ。 捨ててしまえ。 幼友達の死を嘆くお前が 己の罪の重さに涙を流さないのは 自尊心か良心か…。 矮小な私。 己の目を背けてきた 利己主義を今更思い出してどうする気だ。 知ってるぞ… お前はその後悔を不幸だと認めて欲しいんだけだろ
早くに亡くなった友人を思い出して「あいつ元気かな?」と心の中でぼやいた私自身を見つけました。 少しだけ嬉しいが溢れてきます。 子供の頃見えない友達がいた私にとっては 大人になって見えなくなった友達がいても不思議では無いです。 …馬鹿な友人にいつも教わってばかりです。
さて…困った。 今の私の“知識や思想や考察”を持って昔を捉えると色々整頓できるかな? と思って始めたnoteですが…次の“祖父の話”は 言葉に紡ぎきれない無い思いや、昇華された負の感情を誤魔化す言葉に溢れかえって辟易となります。 私自身の自分語りですらこれなんだから、 私が蔑ろにした思いはきっと沢山あるでしょうね。 本を読めば誰かの言葉で答えや許しはあります。 歌を歌ってる時は私の意味も実感します。 ただそれでもまだ私が私自身の実存を認識してない事に思いを馳せる日々を過
かまってくれない母親の飲酒量が増えている …お店がうまく行ってないらしい。 “仕方が無い”そう理解してるからこそ好きにさせた。 その時の思いを「元々、彼女に貰った身体だ」と言葉すると今日の私が後出しになりますね。 未だ絡まったままですが… 解ける時が必ず来ると決まっているので少し寂しくもあります。 …狡い言葉を使いました。 話を戻します。 そんな日々に身を委ねていると気がつく事があります。焦燥感や怒りを私にぶつけていた母親の表情には間違いなく“怯え”がありました。
私は家族を愛している。 “455/52,600” この家族が揃う時間を大切にしたかった。 かまってくれない母親は仕事前の化粧をして 寝たきりの祖父はTVを見てて 私が学校から帰って来た…そんな時間。 “普通の家族”では無いらしい…けど、 “自然な家族”だったとは理解している。 そして、お互い別の時間が流れ風化していく…。 かまってくれない母親の店の売上が悪いらしく、 店で酔い潰れて家に帰らない日が増えてきた… 偶に帰ってき
…反抗期そう言えばきっとよくある話。 …母親の水商売を手伝えば…酔払いに絡まれ… 家では寝たきりの祖父が「俺なんて死ねばいい」 そう申し訳なさそうにぼやく。 ソレが少し重くて深夜… 外に出て月を見てると警察に補導される。 月が綺麗な小さな町。 “学校で翌日怒られるんだろうな…”なんて考えつつ 私は私だけの綺麗な月を今日も見上げてる。 それは「悪い人」と呼ばれるきっかけ。 だんだん「かわいそう」と言われなくなる転機。 凄く嬉しかった。本当に。 綺麗な月が私を少
音楽の授業の時の校歌を独唱で歌った後の話です。 半音低く感じる長調で不本意ながらも歌いきり 後で先生に“低い”と言い訳しつつも「上手」 と言われてホッと胸を撫で下ろす。 そんなやり取りだったかと思います。 歌えるなら曲はなんでも良かったんですが、 「校歌なんかを本気で歌って頭おかしいよな」 そんな声が聞こえてきました。 それはクラスの人気者の軽い皮肉の言葉。 それはクラスの人気者のいつもの明るい言葉。 私に気づかず別の誰かと話してる言葉。 どうでもいいはずの言葉…で
すこし…ほんの少しずつ… 私にとってのキラキラしてた街はただの雑多な商店街でしかなくなり、思い出はまるで読み終えた物語です。 きっと立ち止まったんだと思います…この頃に。 歌う事、夜中少し外にででボーッとする事。 そうやってとにかく一人になりたかった…。 そんな日が増えていきました。 “私は自由になりたい” そう漠然と願うようになりましたが… 今にして気付くのは “なりたい”では無くて“取り戻したい”だったんですね。 “自由”とは何か? 今でも答えはでで
ランドセルを背負わないだけで不思議です。 「大きくなったね」 周りの大人は口々にそう言って私を大人扱いし始めます。そんな言葉が中学生になったのを実感させてくれました。 …少し大人扱いされるかな? と楽しみにしてたけど「子供が居る場所じゃない」と、善意の言葉でかまってくれない母親の店での手伝いをできなくなったり… 夜の散歩するだけで「こんな夜中に何してる」と、お巡りさんに怒られたり… そうやって徐々に居場所が奪われていきます。 そして…正義や善意を語る優しい人達の言
ある時下らない友人達に囲まれて…私は考えてます。 “なぜこの下らない友人達に「お前の母親水商売してるんだろ?」と言われてるのだろう?” “なぜ事実が侮蔑になると思い、下らない友人達は笑うのだろう?” …わかりません。 侮蔑に対しての怒りよりも理解できない薄気味悪さが上回ります。 がその薄気味悪さを我慢して「それで?」聞くと、下らない友人達は「水商売」と連呼して侮蔑を楽しんでいます。 …鬱陶しい。 そう思った時、私は気付きます。 下らない
歌う事が好きです。多分ずっと。 理屈抜きにそれが“楽しい”だと知ってました。 ある日、音楽の先生に「合唱やらない?」と誘われました。 小さな町の小学生が集めて合唱会があるそうです。 もちろん2つ返事で参加しました。 私の横には大きな目の友人が歌ってました。 特別仲が良くはありませんが大きな目の友人はとても上手に歌ってて、私も横で一生懸命歌いました。 そうしてる内に合唱会も迫ってきて… 音楽の先生は私達を集めてこう言います。 「今迄の練習で『やめたい』と思った人は舞台を
夜になるとかまってくれない母親の仕事が始まる。 職場について行っても邪魔をしたくないので一人で商店街に繰り出す。 色々な大人がいるけど私は知ってました。 大人は顔が怖い程優しいのです。 本当に怖いのはタバコ屋の大きな犬…あれは怖い。 …何て思いながら商店街を歩いていると 私と似た境遇の名前を聞かない友人達がチラホラといたりします。 ちょっと目が合うとお互い理解したような気になって野良猫の集会みたいな距離感で何となく一緒に夜の雑踏を共有して…ただなんとなく。それだけ。
私の席の前はがさつな友人の席でした。 “面白い”というより落ち着きが無いだけでは? がさつな友人を見てはそう思ってました。 寒い日の教室です。 真ん中には樽みたいな“石油ストーブ” 熱い位に暖かく、ストーブ近くの席がとても羨ましかったです。 …ただ、空気が淀みます…そう空気が…。 そして空気が淀むと「ぜーっぜー」と喘息の発作…。 授業中、先生も気付かず声も出せずとても苦しかったと覚えてます。 私はそれでもなんとか気力を振り絞り窓を開け、 新鮮な空気を感じたときは もう