ミランダちゃん

ミランダちゃん

最近の記事

時間ってふしぎ、家出した日もあったっけ。

最近、仕事でいろいろなひとに会って、いろいろなことを話す機会がおおい。体感としては、もう一瞬です。 「なにもうマジで楽しい!えっもうこんな時間!」 という感じなのだが、気付けば三時間とか五時間とか経過している。おおこわ、時間感覚ってほんとうにふしぎだ。 わたしは高校生くらいのとき、ほんとに生きるのがしんどくて、読書好きだったこともあって、本の中に逃げた。それはもう、ばびゅーっんと吸い込まれるように、言葉の波に身を預けた。 それだけでは飽き足らず、なんなら家出もした。各々

    • なにもできない人間が、未来のためにできること

      「わたし」というこの微々たる存在が、未来に及ぼす影響があるとするならば、それはなんだろうとおもった。 今の今まで、他人のためになにかしようと行動できたことが突き詰めて考えると、ないかもしれない。こう言うと勘違いされるだろう、でもいい、そんなのは百も承知、いつも「わたし」は自分のために行為している。 「他人のため」という利他も結局は、「自分のため」という利己に変わるとき、それはお節介か偽善に成り果て腐っていく。 本当に目の前の人になにかしたいと思ったとき、人は、自分にはな

      • 「毎日会いたい」って思える人がいるってすごい。

        お風呂が沸くまでの間に、ドラマを見ていたら好きな者同士が約束するでもなく毎日会っているのを見て「なんだかいいな」と思った。 私が最後に「毎日会いたい」って、他人に対して、それも好きな人に対して思ったのっていつだろう。 「毎日会いたい」という比喩 私の近年は、「毎日会いたいくらいの気持ち」という比喩止まりで、実際に毎日会おうと行動したことってないなと思った。 行動力はかなりある方だと思うのだけど、それでも会いに行かないのはやっぱり優先順位が低かったのだろう。 実際問題

        • 日本には「日本人」と「外国人」しかないのではないか。

          人生でもう何度も経験してるのだけど、とてもモヤモヤしていたことがあったので書いておくかと思った。 あまり隠してはいないからリアルで会う人たちはほとんど知っているけれど、私の親は、外国人で、私は純日本人ではありません。 生まれ持ったちょっぴりエキゾチックな顔立ちも手伝って、 「もしかしてハーフですか?」 と聞かれることもあるし、親の話や、幼少期を話す際、文化の違いがあるために自分からそのことを話したりもする。 ここで不思議なのが、自分から言ってもないのに混血なのかと聞いて

          自分ではない瞳で、世界を見てみたい。

          多くの人と接する中で、(ああ、この人の世界はどんな風に映っているのだろう)と思うことが多々ある。 時に世界はやさしく温かいものであるかもしれない。もしくは鉄のようにひんやりと冷たく厳しいものであるかもしれない。 モノクロの映画を観ているようだ、と表現する人もいれば、ビビットに映っていると表現する人もいる。 私のいま生きている世界は、果たしてどうなのだろう。 わたしの生きる世界は、うるさい。 外に出掛けるとき、家の玄関の戸を開ける前に私はイヤホンをする。ポケットの中に

          自分ではない瞳で、世界を見てみたい。

          銀座?広尾?おすまし風のハリケーンで私の村は全壊された。

          だめだ、今日はもうだめなんだ。だからとびきり明るいテンションでこのnoteを書いておこうと思う! こういう文体で書くの久しぶり過ぎて武者震いさえしている。それは言い過ぎたのだが、そもそも私の文体は本来快活で、かなり砕けたものが得意だったはずなのに最近はいやにすましすぎだ。 とにかく最近の生活ときたら「ややすまし」どころの騒ぎではなく、すまし風のハリケーンで私の村が全壊された勢いなのである。相変わらずダイナミックな人生だ。 どんなにすましていたかと言うと、全部真実ではある

          銀座?広尾?おすまし風のハリケーンで私の村は全壊された。

          「ひとりとは、贅沢な娯楽なのです」

          タイトルにしたのは、自分が最近のTwitterで呟いていた言葉。え、すごいこと言ってるね?改めてそう思ったので、これは書き残しておこうと思った。 だって、ひとりって言葉、すごく寂しい印象があるようにおもう。人によるのかな?でも凡その「ひとり」という言葉が持つ意味って、「孤独」や「寂しさ」そんな意味を人間たちが勝手に紐付けている。 「ひとり」という言葉を掘り起こすとき、芋ずる式に出てくるのは、そういったネガティブな意味合いなのだろう。 でもそれもそのはずで、人間とはひとり

          「ひとりとは、贅沢な娯楽なのです」

          もしも身近な人が暴力に遭ったら

          もしも大切な人が、例えばパートナーや親友が暴力被害に遭った時、どうするだろうと思った。 どうするかについては、私は性暴力被害者の方の裁判サポートをする仕事に就きたいと思っていた時期があり、 かなり研修も受けてきたので詳しい方だと思う。 だからもし、被害に遭ったり、 被害にあった人が近くにいるなら聞いて欲しいなと思った。そんな願いも込めて書いている。 もう今はお別れしてしまったけど、前に付き合っていた相手と付き合い始めの時によく話していた。 もし私がなにかの被害に遭ったら

          もしも身近な人が暴力に遭ったら

          人にはきっとそれぞれに役割がある。

          あー、気付けばいつの間にやら自分は、誰かと比べる癖がなくなったなと思った。たぶん周りと比べる癖はあったと思うのだが、もう思い出せないくらいそれをしなくなった。 どうしてしなくなったのかな、自分には必要なくなったからかな。自分でもなぜだか分からないことのひとつだなぁ。なんて思う。 もしくは、比べられないことに気付いたのかもしれない。たくさんの比較の中で、これは比較できないということに気付いてしまったのかも。 悩むことがなくなったのは、行動するようになったから なんだか最

          人にはきっとそれぞれに役割がある。

          起きている時間が寿命だったなら、私は結構おギンギンだ。

          起きている時間を単純に年齢だと換算したら今自分は何歳なのだろうと思った。というのも、私はたぶん人生において、めっちゃ起きてる。本当に目がおギンギン人生なのである。 これはいつもの「言われてからお自覚シリーズ」なのだが、幼き頃からまあ不眠症で、全然眠らない子供だった。おめめ おギンギンチャイルドだったのである。このようにおギンギン人生は結構早い段階から始まっている。 目がおギンギンになると、人はよく働く。 そんなおギンギン人生は、20代前半で幕を閉じることになる。それまで

          起きている時間が寿命だったなら、私は結構おギンギンだ。

          「文学をしているね」

          人間をやっていると嫌になるほど、色々なことを考えるものだ。その殆どは、言葉を与えられることはなく泡のように消えていく。 それらに言葉を与えたくなったのは、いつからだろう。 私は本を読むのが好きだ。頭で言葉を膨らませて、色を付けて、張り巡らせる。あの一連の作業が好きで堪らない。センジュ出版がいつか出していた広告にもとてつもなく惹かれた。 自分の心の奥、思想には誰も入る術はない、そんな意味合いを感じて気に入った。繋がりが希薄になった現代で、繋がるということは他人を心の中へ入

          「文学をしているね」

          変化の先で、待ち合わせをしよう。

          最近もまぁ友達とふざけてばかりいる人生なのだが、本当にふざけていて書くほどのことはない。だけど敢えて書き残したいのが今日の気分である。 事の発端は、ある友達から夜中になんか“悩んでます“って感じのテンションでLINEが届いた。 「夜中にいきなり来る意味深なLINE」と「急な電話」には必ず早急に対応せよ、というマイルールが私にはあり、その悩んでますって感じにどう対応するのがいいか、私もまた悩んでいた。 その内に、「あ〜これ知ってるわ。ラジオのお便りコーナー」などと、とんだ

          変化の先で、待ち合わせをしよう。

          時間が溶けていく

          時間が溶けていく、最近そんな感覚に陥ることが多い。 一人の休日、Netflixで好きなドラマを一気見したとき。 熱中して一冊の本を一日で読み切ったとき。 映画祭の作品を何作も連続して鑑賞したとき。 友達とアルコールを酌み交わす時間。 創作に夢中になっているとき。 時間が溶けていく。 私の所持している時間には、限りがある。 あとどれくらいの時間を溶かしたら、私の瞼は開くことを諦めるだろう。 夏の暑さにあてられたアイスクリームは、そのまま私の手から零れて、消えていく。ぽ

          時間が溶けていく

          自分の感情がコントロールできなくなったから、私は大好きな恋人を手放した。

          さよなら だいすきなひと さよなら だいすきなひと ずっと だいすきなひと ずっと ずっと ずっと だいすきなひと ……どうも〜。 花*花 出してきちゃいましたね、ほんじゃ、恋愛系のこと書いとこうかなってことで。 恋愛の話は好きですか?嫌いでもなんでもいいんです。近くて深い人間関係の話を今日はしようと思います。だって、恋愛なんて「人間関係一級」みたいな難しさあるじゃんね? 「距離を置いて、様子をみましょう」という常套句出会いがあれば、別れもある。そんな時に常套句のように

          自分の感情がコントロールできなくなったから、私は大好きな恋人を手放した。