時間ってふしぎ、家出した日もあったっけ。
最近、仕事でいろいろなひとに会って、いろいろなことを話す機会がおおい。体感としては、もう一瞬です。
「なにもうマジで楽しい!えっもうこんな時間!」
という感じなのだが、気付けば三時間とか五時間とか経過している。おおこわ、時間感覚ってほんとうにふしぎだ。
わたしは高校生くらいのとき、ほんとに生きるのがしんどくて、読書好きだったこともあって、本の中に逃げた。それはもう、ばびゅーっんと吸い込まれるように、言葉の波に身を預けた。
それだけでは飽き足らず、なんなら家出もした。各々の親御さんには悪いが、まあ、当時の小旅行みたいなもんだ。
それで「○○の名に懸けて!!」みたいな埃の被ったような思念の元発せられたであろう腐りかけの台詞をどこかで聞いて、
「同じ苗字の人か、同じ名前の人なら、私のことは傷付けないはずだ」「○○の名に懸けて!」
という華麗に飛躍した考えのもと自分と同じ苗字、または同じ名前の人の本しか読まないという謎ルールで生きていたのをいま思い出した。
なんだそれ、おもしろい展開だな。
時計は正確だし、暮れない朝が欲しいっての。
そうして自分と同じ名前の作家さんのエッセイの中で
「時計は正確だ。時計の針が多くを示すものを、生活で選びなさい。それが真に好きなこと、時計の針は正確だ」
というようなことが書いてあった。なんて本質的なのだとおもった。Amazing!
さすが、私の名に懸かっているだけあって、とても説得力のある一文だ。勝手に懸けているのは百も承知である。
しかし時間というものは、ほんとうにふしぎだ。私の人生の時間軸は結構、倒錯的だなと最近感じる。こういう難しい言葉も今日はばんばん使っていくつもりだ。
落ち込んでいるときは、永遠のような長さを感じるくせに、好きなことをしているとほんとうに一瞬で時間が溶けていく。
斯くして、手放しに人生を好きだと思えるほど私はおめでたい人生を送れていないので、「なにもう人生めっちゃ長いじゃーん!!」とも感じる。
夜も永遠な気がするし、明けない夜はないとか、ちげーの、暮れない朝が欲しいんだよ、と思ったりもする。なるほど、思わず口も悪くなることだろう。
ハードボイルドでアウトサイダーな家出少女
それでまあ、話は戻るのだが、高校生のとき私は思い立って家出をしてみた。夜中の家族が寝静まったころ、お財布と一冊の本とお菓子とジュースを鞄に詰めて、いざ夜の繁華街に飛び出した。
噎せ返るように蒸し暑い、夏の夜だった。繁華街というものはいつの時代も若い子にとってはこわい場所である。
そのおそろしさについて、親友のギャルから散々に教え込まれていた私は、繁華街の片隅のなんの会社なのか分からない小さな会社の入った雑居ビルの階段、蛍光灯がちかちかと点滅しているが、本を読めるくらいには薄暗い場所で時間を過ごすことにした。
親友がギャルだったので、まあ私も当時見た目は普通にギャルであった。そういえば爪も強さを意識してゴテゴテにしていたな。
携帯の電源は、家を出るときに切っている。iPhoneを探す、なんてされたらたまったものではない。
私は当時自分のことを若輩者の家出初級者ではあるが、なんてったってハードボイルドなアウトサイダーなのだ!!と心の底から思っている、少々痛いところのある女の子だった。
蛍光灯がいつ切れるかもわからない暗がりで「社会学になにができるか」という本を鞄から取り出した。この本の分厚さと言えば、まあ行政書士の基本テキストぐらいだ。重さで言うと、超小型犬くらいだろうな。
今では何百回と読んだであろう著書。私の時計の針に、多くを語らせる代物である。
学ぶことがとにかく昔から好きだった。
そんな女子校生だったわけで、まあ、この世の変わり者である。その話を某大学の教授にしたところ「かっけ~~~!!!」と言われたのでここにわざわざ書いている。
なぜなら私は「かっこいい」ということに猛烈に憧れがあるからである。何回でも他者から言われてみたい言葉だ。なんて恍惚とした響きなのだろう。かっこいいという言葉が、もはやかっこいいのである。
「かっこいい」と言われたいわけじゃない、「かっこいい」人になりたい
よく考えてみると「かっこいい」と他者から言われたいのが本音ではあるのだが、その魂胆が透けて見える人はめちゃめちゃかっこ悪い人だということも知っている。
私は少々面倒くさい性分で、こういう細かい指定を入れるところがある。
そもそもほんとうに「かっこいい」人は、「かっこいいと言われたい」とか、「かっこいいと思われたい」などと思ってはいないだろう。
だから私も極力その思想から離れるようにしているのだが、ときたま他者から「かっこいいね」なんて言われてしまうと、それが嘘であっても、もはや私のしっぽはぶんぶんなのである。
なんなら「しっぽぶんぶんだよ!」と言っている勢いである。なんということだろう、なんて、ぜんぜんかっこよくないのだろう!!!!
ライオンみたいな女になりたい
私は正直、ライオンみたいに強そうな女、ライオンみたいな女になりたいし、「私のこと犬で例えるならなーに?」という合コン的な場でしか出番のなさそうな質問をした時に「ドーベルマン」や「ハスキー」もしくは「ゴールデンレトリーバー」と言われたい。
このクラスになると分かりやすくお世辞でも、非常にうれしいのでバンバン言ってほしい。
これはもうやはり高校生くらいからの目標で現在アラサー、実際のところどうなっているのか勝手に進捗を報告するのだが
「犬に例えるならどう考えても子犬」「トイプーかポメラニアン」「それか長毛の猫」「正直動物括りなら、リス一択」……
猫であってもせめて短毛だろう、強そうなのは。リスなんて討論の余地もないだろう。
という偏見で今はモノを語ってしまっている。完全に私の惨敗である。
ライオンみたいな女に心底憧れている女が、「君はリスだよ」と言われる絶望感がわかるだろうか???リスだよ???冗談は例えだけにしてほしいものだ。
今気づいてしまったが、意気揚々と「私のこと動物に例えるとなーに?」と聞いてきて、その女が明らかにリスだった場合、おそらくそれは大体褒めるつもりで言っていたりもするのだろうが、だってリスは正直動物界で言うところのかわいいの代名詞みたいな存在であるからに、まさかライオンになりたい女だってことは分からない、だとしてもリスに見えているのだから彼女のメタは死んでいると思った方がいい、早急に何か教えてあげなければあまりに程遠すぎてこちらが絶望しそうな勢いである…………………
とにかくそんなこんなで、話を戻すと、家出してようがしてなかろうが、私は学ぶことが好きで、とにかく読書が大好き。これに尽きるのだ。
今は良いよね、電子でも紙でも本が読めるから、お風呂にだって持ち込めるし、荷物だって増えなくて済むし。その点で言えば、テクノロジーマジ感謝。
じゃっ、いろいろなことに感謝して終わりだ。ありがたいな。