人にはきっとそれぞれに役割がある。
あー、気付けばいつの間にやら自分は、誰かと比べる癖がなくなったなと思った。たぶん周りと比べる癖はあったと思うのだが、もう思い出せないくらいそれをしなくなった。
どうしてしなくなったのかな、自分には必要なくなったからかな。自分でもなぜだか分からないことのひとつだなぁ。なんて思う。
もしくは、比べられないことに気付いたのかもしれない。たくさんの比較の中で、これは比較できないということに気付いてしまったのかも。
悩むことがなくなったのは、行動するようになったから
なんだか最近は、悩むことがなくなったなと思う。考えることはあれど、途方もなく悩んで悩んでどうにもならない、みたいな時期ってきっとみんなあるよね?
それが圧倒的になくなって、考えることが増えて、考えることが出来るって、行動が出来ることだから、どう動くのが良いだろうと考えていたりする。
人間の悩み事は、なにもしなければそのまま悩みに飲み込まれるけれど、考えることにできて、行動出来たら、解決にならなくても状況は変化したりする。
だから悩まなくなったんだなと思う。
世の中って、干渉的だ
周りと比べないから、あまり周りがどうのとか思わない。周りのこととか、気にならない。びっくりするぐらい、気にならないんだよね。
さすがに仲のいい人とか好きな人とか、すごく関心があるけれど、巷でよく聞くような同じ年齢の人は結婚してるとか子どもが居るとか、どの会社で働いていて、どれくらいの収入があって…etc
というものが、もうとんでもなくどうでもいい。良いことが身内にあったらそれは嬉しいけれど、あとは結構というかとんでもなくどうでもいい。どうでもよくない?
でも、どこかに所属している限り、社会って人を放っておかないよなって思う。多くのマジョリティ社会(会社とか学校とか)ってめっちゃ干渉するよなって思って、なんだか疲れていたなと振り返って思う。
思ったけど、どこにも所属していない人にも、どこかの誰かは干渉するよなとネットを見ていて感じた。社会に生きている限り、悪い意味で結局誰も放っておかないんだな、って。
悪い意味でほうっておかない社会、そして人間
同時に悪い意味で放っておかない分、自己責任とか、たくさんの批判、優越の道具にしたり、とにかく干渉的だよなと思う。どうしてこんなに人は、人を攻撃するようになったんだろうね。
私にも、自分がいくら周りと比べないからと言って、周りが比べてくればそれは耳に入るし、なんかうすら傷つけられる時がある。
あー、比べられるのが根本的に、すごく嫌いなんだなと今自分で気付いちゃった。だから他人にも自分にもしないんだなって。
この日本社会に生きていれば、たくさん比べられる。評価される。知性も容姿も、私生活もすべて。誰かが、誰かと比べるのが前提で価値観が成立しているんだもん。
会話だってそう。人間ってそもそも他者が居なければアイデンティティが成立しないのは分かるけれど、それ以上に干渉的だよね、そう思う。
誰かに比べて優れていたり、劣っていたり、そんなものはそもそもないような。ないと言いたいけど実際の社会にはめちゃくちゃあるんだよな。変動はあれど。
勝手に評価されて、勝手に評価して、干渉して、人間社会だなと思う。
きっと、背景にはいつも色々なものがあって、そういったものが擦りかえられている。元々の本質になっている物事ってなんだったんだろうな~とか考える。
なんか、これは自分の中で熟成させたいから、これだけ書いて、おしまい。