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「マグダラのマリア」は役にたつのか

ハッピー・デス・デイという映画、大好き!

正体不明の殺人鬼に狙われ、死のタイムループを繰り返す、同じ朝を迎える主人公。
殺されて殺されて、殺されながら少しずつ犯人に迫るホラー映画だ。
特筆すべき点でいうと彼女は荒んでいてBitchで、とことん性格が悪い、パワフルな女性である。

おはよう。

しかし最後は涙がホロホロ。彼女は殺されるたびに、世界を見つめ直すキッカケを得て、世界に優しい眼差しをむけていく再生の物語でもある。

80'sスプラッター映画のヒロイン像はちょっとキツイ。Bitchは殺され、処女のみがファイナルガールとなる世界観だ。
なぜBitchだけが辛い目に遭わなきゃいけないのか納得できない。
(ジョンカーペンターはそんな意図はないと言っているので、作品によるということも付け足しておきたい。)
2010年頃からは、処女を神格化した宗教的価値観ダサいよね、といったホラー作品がたくさん出てきてニッコリなのだが、ハッピー•デス•デイも例に漏れない。

しかし非常に書いていて居心地が悪い話だが、ハッピーデスデイのヒロインを「マグダラのマリア」に重ねること、モチーフとしてのマグダラは想像しやすい。


マグダラのマリア

マグダラのマリアが絵画のモチーフとして、ヒットを飛ばしていたのは娼婦の側面と聖女の側面、双方を持ち合わせているスペシャルな存在だからといえる。
娼婦から聖女への転身の物語だ。そんな物語は聖書には書かれていないが、そういう解釈がされている。神学とはいつだって、こじつけだ。(いつか怒られそう)
宗教絵を描きつつ、エロスを表現できる。神格化されたモチーフを俗世のものと並べて描く人間中心主義、バロック芸術で爆流行りしたとのことだ。
人間はいつでも、エロいことばかり考えていて非常に好感がもてる。

ただ強く強調しておきたいのは、ルネサンスの時代性、行き場のない女性の中でも修道院に金が払える人はシスターになれて、払えないものは娼婦になるという社会のシステムが漫然とあったと思う。

何が言いたいかというと、このnoteもそうだが、ファイナルガールもそうだし、聖女がなんだとか、くだらねえんだよ。って話。

あと気づかなかったけど、「キリストと性」と同じ作者の本だった。新書あるあるだ。

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