飼育日記2

年明け早々からガチャガチャで無駄遣いをしてしまった。イヌとおそろいでそのガチャガチャがほしくて回し始めたら、イヌのすきなキャラだけが出ずにこんな目に……。

途中で、メルカリで買えばいいんじゃないか?と思ったけれど、どうしても自引きしたかった。渡す時にはしれっと「ガチャガチャ回したら出たの〜」と言いたかったし、自分の欲しいものは出たのにイヌのものも集めるためにメルカリで買うのがなんだか恥ずかしかったから。

共依存に関する本を読んで、わたしって相手が依存体質であれば確実に共依存関係になっている!と焦った。自分の時間やお金を割いてでも相手を助けようとしてしまう節、ある。

幸いにも、イヌは非常に自由で、依存とは無縁な為共依存状態に陥ってはいない。が、わたしが依存をしていけばイヌはわたしから離れるだろうなと確信した。またアプリを再開するか悩んでいる。

数日一緒にいると、イヌの自由さ気まぐれさに辟易することもある。だからといって苛立つのもおかしいため常に初心というか「これはこう」という定義のようなものとして扱うことを思い出す。

散々「イヌ」と形容しているけれど、実際は猫に近いのでは?と思えてきたが猫は小さいものであるべきなためイヌと故障し続けるつもり。気まぐれキャットちゃんと呼ぶにはデカい。

依存の話に戻ると、正しく戻るのかはわからないけれど、「やってあげている」なんてミリも思うべきではない。他人に「してあげる」ことなんてない、そんなことをするなら自分を大事にしてあげてくれ。

それでも、イヌからの連絡が途絶えると心配になってしまう、この心配の中には生死の心配も含まれているのが今までと違うのだが、まあそれは置いておこう。連絡が無くて不安というのは人間に対する感情であるからいつの間にかイヌを人間と見誤っていたらしい、メモリを戻す。

とはいえ、本当は、彼は人間なのだ。Instagramが更新されて、そこに知らない(いや、存在は知らされている)異性がいるとこちらとしてはパニック怒りピキピキなのである。彼にそれを伝えたことないし伝える気もない。

いつだって、わたしは、他者からどう思われているのか勘繰っては勝手に嫌悪されたと不安になってその感情をぶつける。相手をイヌに見立てたってそれは同じで、でもイヌだと一瞬思うことで少し頭を冷やすことができる。新たなコミュニケーション方法を思いついたのだ。暁光である。

あー、なにを書きたかったんだろう?とにかく、他人との関わり方をイヌを通して考え直している。この歳でそんなことができると思わなかった。またなにか、書きたい。

終わり・

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