難関高校入試の国語から考える現代社会入門① 「普通」と「多様性」
新シリーズ?
「難関高校入試の国語から考える現代社会入門」と銘打った本シリーズ。これまでは入試問題の解説を投稿してきましたが、「もっと気軽に投稿できるネタはないか?」という思いから生まれた企画です。できる限り続けていきたいと考えておりますので、応援していただけると嬉しいです。
コンセプト
このシリーズでは、難関高校入試の国語(現代文)で出典となった文章から、テーマを一つ決めて、それについて基本的な知識、論点を紹介していきます。出典となった書籍や関連書籍なども紹介していきますので、興味のあるものはぜひ手に取って見てください。
本編
今回のテーマは「普通」と「多様性」です。2021年度筑波大学附属駒場高校(村田沙耶香「多様性って何だ? 気持ちよさという罪」)、2021年度東海高校(伊藤亜紗『手の倫理』)、小説であれば2021年度東大寺学園(寺地はるな『水を縫う』) 、2017年度開成高校(村田沙耶香『コンビニ人間』)などが関連する問題です。
「普通」とは?
「普通」という言葉は、日常生活の中でよく見たり聞いたりしますし、無意識のうちに使ってしまうのですが、ふと立ち止まって考えてみると「普通」って何なんでしょう?辞書を引くと、
とあります。非常に抽象的です。私は自分が何の面白みもなく「普通」であることが、ずっとコンプレックスでした。"個性的"になりたかった。でもいざ他人の真似をしてみると何かが違う。ある時こんなことを言われます。「あなたは変わってるね。」私はそれまで自分は「普通」だと思っていました。自分の「普通」と他人の「普通」は違う。じゃあ「普通」って何なの...?混乱しました。しかし一つだけなんとなく分かったことがあります。視点や基準が変われば「普通」は「普通」ではなくなり、自分が「普通」だと悩んでいる部分は他人から見れば「個性」かもしれないということ。絶対的な基準で「普通」か「個性的」かなんて決まりません。人は自分と比較して、自分にはないものを欲しがるのではないでしょうか。
『コンビニ人間』では「普通」ではないとされる主人公が「コンビニ」のバイトをすることで「普通」になろうとする場面が描かれています。ここでもテーマとなるのは「普通」とは何かということ。『水を縫う』では裁縫が趣味の「普通」の男の子らしくない男子高校生の葛藤が描かれています。何が「普通」で何が「普通」でないのか。当たり前で疑いようもない"常識"。それを今一度考え直して社会を捉えることが求められているのかもしれません。
「多様性」の尊重
「多様性」(あるいはダイバーシティ diversity)はここ数年で非常によく使われるようになった言葉です。多様性とは人やものがそれぞれ異なるという性質を表します。最近よく叫ばれている「多様性」の尊重。2021年度筑波大学附属駒場高校で出題された、村田沙耶香さんの「多様性って何だ? 気持ちよさという罪」では筆者にとって「気持ちのよい多様性」と「気持ちの悪い多様性」という言葉が出てきます。「気持ちのよい多様性」とは自分にとって都合がいい、常識の範囲内に収まる多様性のことです。しばしば「(自分にとって気持ちのよい)多様性の尊重」を掲げる人は、自分に酔っていて、表向きは「多様性」を尊重するといいながら、自分にとって受け容れられない個性は異物であるとみなし排除するのだそうです。一方、「気持ちの悪い多様性」とは、自分にとって受け入れ難い個性も認めて尊重することです。綺麗事ではなく、表面的でもなく、本当の意味での「多様性の尊重」を謳うのならば、吐き気を催すほどの「異物」も受容しなければならないのではないでしょうか。
また伊藤亜紗さんの『手の倫理』では、
とあります。思考停止して他者に目を向けず、「多様性」という言葉に寄りかかりすぎると、「あなたはあなた。私は私。だから関わらないで。」というように、互いの関わりを拒否し、分断を生むことにつながってしまう可能性があるのです。「多様性」という言葉は、分断を肯定する免罪符になりかねないのです。大切なのは他者に目を向け、他者を知ったうえで認めることなのかもしれません。
参考図書
出典で挙げたもの以外の参考書籍を紹介します。
終わりに
難関高校入試で出題される文章は、現代社会についての内容が多いです。社会に目を向けて考えることができるように、身の回りのさまざまな出来事に興味を持ち、視野を広げようとすることが大切なのだと思います。入試問題に向き合うことはその一つのきっかきとしては最適です。ぜひ気になったものは調べてみてください。
シリーズの初回ということで、手探りの状態で書きました。お読みいただきありがとうございました。
入試問題解説の記事もぜひご覧ください。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?