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哲学日記・メモ

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2021年3月の記事一覧

哲学・日記・メモ 「『調和は方法』『問いは実存』」

哲学・日記・メモ 「『調和は方法』『問いは実存』」

●「調和」をプラグマティックなものだというと気分を害する人たちがいたりするのだけれども、それじゃだめなのかな?「調和」を「存在論」と結びつける傾向の方達に多い気がするのだけれども・・・。          ●「存在論」を言うのならば「調和」ではなく、私は「何かが始まった!」と言う、このそもそもの分裂にこそ論点はあると思います。そしてそれは実存的な「問い」へと移行するのだと思います。        

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哲学・日記・メモ 「漫画はすごい!でも絵画は絵画の道がある」

哲学・日記・メモ 「漫画はすごい!でも絵画は絵画の道がある」

20数年前、多々学ばせてもらった画家中村宏はこういいました。「70年代、本当に才能のある画家は、イラストレーションか漫画に行ってしまった」。中村宏はそう言いつつ、絵画の可能性に賭けて「観光絵画」なるものを当時主張したのだけれども、これは「観る」という視覚の特質にあくまでこだわり追求する試みであったと、私は考えています。昨今アートの領域は、「視覚」偏重を反省して「触覚」や「味覚」「内臓感覚」や「社会

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哲学・日記・メモ 「少しだけさみしい」

哲学・日記・メモ 「少しだけさみしい」

少しだけさみしい

「原初的なもの」あるいは「根源的なもの」を志向する方々はとっても多くて、そこへの回帰を「真理」を掛け合わせて求めていたりする事は、いや増す事態であったりする。そういうstyleを楽しんでいるだけの方もいれば、最重要事項として己の存在を真剣にそこに賭けてしまったりしている方もいたりする・・・。

でも私は違うな。私は回帰ではなく「原初的・根源的なものから原初的・根源的ではないもの

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哲学・日記・メモ 「メモの段階だけど・・・逆グノーシスとしての異世界物としてのマトリョーシカモデル」

哲学・日記・メモ 「メモの段階だけど・・・逆グノーシスとしての異世界物としてのマトリョーシカモデル」

世界の中に入れ子状に世界を繰り込んでいく事・・・まさにマトリョーシカのように。そしてヘンリー・ダーカーやアドルフ・ヴェルフリのように。昨今視覚メディアとしては「異世界物」はこれに妥当するように思います。ダーカーやヴェルフリの継承としての「異世界物」。私的に例を挙げれば『堕天作戦』とか『空挺ドラゴンズ』とか、そういう「世界丸ごと創造系」が最もHOTであると考えます(=ハイ・ファンタジー)。これってつ

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哲学・日記・メモ 「絵画にとって枠とは何か?」

哲学・日記・メモ 「絵画にとって枠とは何か?」

●絵画にとって「枠」とは何か?                    ●「窓」である。と言ってみて少し違う感じがする。               「窓」ではあるのだけれども窓ではない。そういう気がします。つまりそは疑似的な窓。それによって示されるのは何か?区分であろう。        ●区分と言ってもいろいろあるのだけれども、絵画にとって「枠」が示唆する区分とは、並列的な区分ではなく(突き詰めれ

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