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哲学日記・メモ

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2021年2月の記事一覧

哲学・日記・メモ 「死ぬ為に生きていると言ってはいけないのか?」

哲学・日記・メモ 「死ぬ為に生きていると言ってはいけないのか?」

生と死は共に補完し合う。という事の理解はそんなに難しい事ではないのだろうけれども、そうしたうえでやはり私たちは生に軍配をどうしてもあげてしまう。死生学の定義からして「人間の『死』に焦点をあてることで人間の「生」の営みをとらえ直す」のであるならばやはりそれは「生の為の死」であるのだと思わざるを得ない。然るに「死の為の生」という捉えなおしはしてはいけないのだろうか?換言すれば「人と人間は真に死ぬ為に生

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哲学・日記・メモ 「家族」

哲学・日記・メモ 「家族」

介護を14年してきて思う事。家族は大切だと思う反面、家族こそ地獄だという事。どちらが正解かは判断できません。もしかしたら「家族」という枠組みに私達は囚われすぎているからそうなってしまうのかもしれない。というのが今の私の見解です。悲しいけど。悲しいけど。寂しいけど。

哲学・日記・メモ『服従』を読んで考えた事

哲学・日記・メモ『服従』を読んで考えた事

ミシェル・ウェルベック著『服従』を読んで考えた事。                 ●ミシェル・ウェルベック著『服従』。欧州の状況論がテーマとも読めるし、知識人批判がテーマとも読めます。実際ネットの感想はそのどちらかがほとんどでしたが、私はちょっと違った観点から読んでみました。この小説の最大のテーマは「ジェンダー」であるのではないか、と。                          ●私達に

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哲学・日記・メモ 「メモ 観念の独裁者としてのヘンリー・ダーカーとアドルフ・ヴェルフリ」

哲学・日記・メモ 「メモ 観念の独裁者としてのヘンリー・ダーカーとアドルフ・ヴェルフリ」

メモ 観念の独裁者としてのヘンリー・ダーカーとアドルフ・ヴェルフリ

●「触覚」は対象との距離が0であるとに安寧せんとする。
●「聴覚」は距離が0でない事を知っており、0に歩み寄ろうとする。
●しかし「視覚」はこの距離をどこまでもたもとうとする。対象に歩み寄りつつ距離を隔てようともする。そういうジレンマに悩み且つ愉しむのが「視覚」。
●では「観念」はどうか?「観念」はむしろ、対象との距離云々ではな

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哲学・日記・メモ 「倫理について 何が悪なのか?」

哲学・日記・メモ 「倫理について 何が悪なのか?」

倫理について 何が悪なのか?

●倫理について、私が思う事を以下記してみたいと思います。

●倫理について言うならば(倫理学について言うのではない)、私は「善」を「積極的に為す」事を倫理的行為の目的と「したくはない」と思っています。
●「悪を為さないように消極的な善を己に課する事」が倫理なのではないか?と思うからです。
●もっと平易にコンパクトにこれを言明すれば、「目の前の具体的なあなたが嫌がる事

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哲学・日記・メモ「よろこび」

哲学・日記・メモ「よろこび」

「よろこび」に満ちた生は単なる生の範疇。よろこび=喜び・歓び・悦び・慶び。でも、もしかしたら、それは単なる死の範疇と同じなのかもしれない。かも。

哲学・日記・メモ「酷薄な人間と情に厚い人」

哲学・日記・メモ「酷薄な人間と情に厚い人」

酷薄な人間と情に厚い人                       酷薄な人間が考える間もなくとっさに人を助けてしまい、時の人となることだってある。                             情に厚い人が、熟慮の時間が長くある故に、あらゆる可能性に情を傾けすぎて身動きが取れず、結局何も行動を起こせずに誰も助けらないことだってある。                           

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哲学・日記・メモ「シュルレアリスム・靉光・超現実主義」

哲学・日記・メモ「シュルレアリスム・靉光・超現実主義」

シュルレアリスムの非対称性                    「シュル」とは現実を超越した彼岸の世界を指しているのではなく「過度の現実、強度の現実といった意味合い」(巖谷國士)である。つまりシュルレアリスムは何処までも現実を見ようとする。現実を「見る」「主体」を欲する。その「主体」が夢と現実を弁証法的に総合したものとして、シュルレアルを見ようとする・・・。                   

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詩・散文 「長く生きる事の倫理・覚書」

詩・散文 「長く生きる事の倫理・覚書」

「長く生きる事の倫理・覚書」                    我慢強い事と臆病である事は似ている。しかし勇敢であって人は何歳まで生きられるのか。些細な事にさえ大概人は臆病で、その方が現実的であったりする。つまり、我慢強いふりをして臆病であったりと・・・。それでも、もし私が倫理的であろうとするならば、認識し続けるしかないのではないか?歴史を認識し時代を認識し状況を認識し、まさに目の前で起こって

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哲学・日記・メモ「その人が死ぬ時」

哲学・日記・メモ「その人が死ぬ時」

その人が死ぬ時                            マンガやドラマの常套句。「想い出がある限りその人は生き続ける」。そんなわけはない。その人との想い出が、生き生きと私の暮らしの中に留まっていても、その人が生き続けているわけではない。そこには更新性がないから。誰かが死ぬ時とは、彼彼女との想い出を新しく紡いでいく望みが絶たれたとき、そう確信してしまった時である。その更新を断たれたとき

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