マガジンを始めてからはや一年も経とうとしているのですね。まだ二十代の半ばにも達していないが、それでもエッセイを書くということには私なりの青春の回顧なのです。今回はそんな過去の作品を総集する作業とともに、昔の写真を小出しにしながら回顧録的にまとめていけたらと思います。 ステイトメント
夢 最近、みた夢を忘れないようにメモってるんだけど、見返すと大体意味のわからんこと書いてておもろい。アメリカンな純喫茶で血を流して座っている、自分が本に変化してプールに飛び込む、岡村ちゃんのツアーに最近行ってないからか、ご本人直々「なんでライブ来ないの?僕と会うのが恥ずかしいの?」と言われる、など。全く意味をなさない景色の時もあれば、なんか頭に残っちゃうレベルの啓示を受けてることもある。ちなみに、僕の恋人は右目と左目で違う夢を見たと言っていた。なんかそっちの方がかっこい
深い場所にとざされたその沈黙を ぼくはたまに想像する。 同時に 世界が一変してしまう何かについて ぼくは考えている。 今月のひとこと 引力/重力/月の裏側/芸術は倫理観の外側に 4月胃袋TIMEについて 私たちのエコロジー展について
目に入ったマテリアルや、想像力とやらを、羅列してみる1ヶ月間の記述。 いつもはスラスラかけるんだけど、今月はなんか上手く書けません。今はもう歌しか書きたくない!そんな瞬間がたまーにきます。今月はまだ始まったばかりなのに、時間が長く感じる。サウナに入って、砂時計が落ちていくのをじーっと見続けていると感じる時間の長さ。ウイスキーの氷が溶けて、カランと音を立てた時に気づく時間の長さ。ああいう感じ。まあサウナなんて、結局はぼーっとしてる方がずっと時間経つのは早いのに。そういう感覚が
目に入ったマテリアルや、想像力とやらを、羅列してみる1ヶ月間の記述。 涙の結露大作戦 ノイズ、舞台のブザーが鳴る TOMO KOIZUMI Dress as a painting, painting as a dress 月へ行く30の方法「恵比寿映像祭」 月というモチーフになぜ引かれるのだ
目に入ったマテリアルや、想像力とやらを、羅列してみる1ヶ月間の記述。 光を携えて(後藤映則/ENERGY #01) 横浜シティーオブライツ 教授曰く
ゆらゆらゆらせ、心の長針 日常をズキズキさせたいぜ 行き先は気にしない切符です 心の修学旅行のバスです ズキズキズキズキ刻んでいこうぜ ららら、ふるえて ららら、ふるえる まだ練習中
あとは寝るだけの時間に、 急に掃除とかしたくなるの、なんでだろう。 去年の12月の自分 キラキラした自分にとにかく出会ってやるぜって感じだった。テンション高めですよね。まあ見てくれてる人はわかるかもですが、キラキラパワーを鍛えてやるぜなんて思ってリール投稿で「君とシンパシー/Gang!/GoodbyeMiracle」の一連の楽曲投稿をしてました。お、ニューな俺いいじゃんといい感じで思っていたけど(今もまあ思うけど)、自分の体験が削ぎ落とされたポップな自分がちょっと虚に見えて
10. ジェイムス・ブレイク/Playing Robots Into Heaven 09. Eddie Chacon/Sundown 08. Mom/悲しい出来事-THE OVERKILL- 07. Romy / MidAir 06. スガシカオ / イノセント 05. キャロライン・ポラチェック / Desire, I want to turn into you 04. cero / e o 03. トロイシヴァン / Someting To Give Eac
自分の世界観に影響を与えるような、一瞬の永遠に何度出会ったことあるかで人生の楽しさみたいなのがちょっとは変わると思っているこの頃、どうもokkaaaです。 一瞬の永遠。演劇の思い出で言うと一つだけある。 いつか、学校の校外学習で観に行った尾崎豊の公演のワンシーンが忘れられず、いまだに思い出すことがある。尾崎豊の最期の瞬間を描いた象徴的なシーン。多感な中学生にとっては衝撃的なシーンで、多少その後もクラスで話題になってたことを思い出す(とは言ってもおどけて真似をしてみたりする程
24になりました。もうそろそろ学生生活が解体されていった事実も受け入れられるようになってきて、今は少しでも時間の速さに自分の素直な気持ちが追いつけるように足掻いている。20代前半、なんでもかんでもフレッシュでいたいね。 というか目が悪くなってきたという事実がだいぶ自分にダメージを与えている。たぶん、もともと目が悪い人にとっては、こんな事実はたいしたことないんだろうけど、社会人になって、付随してた学生時代の炎の色が赤から青に変わろうとしているこの瞬間に、目の前の景色がぼやぼや
音楽ライブは常に「現在」でなければいけない。博物館に収められているものではなく、「現在」を共に「生きる」ものでなければ意味がないのだ。 綺麗な化石を掘り出して満足しているだけでは、ただの標本だからだ。そして今、僕の音楽は「現在」にない。それは単なる懐古主義的な音楽であるとかそういうわけでもなく、自我保持システムとして自分に組み込まれてしまっているものになっていないかということだ。「現在」、たとえばそれは自分の音楽と時代性の間をどう埋めるか、みたいなこと。それが音楽になければ、
「もうすぐ夏が終わりますね。」 君はそう呟いた。 空気がカラッとし始めた時期に大雨が降った。 その大雨は周りの世界の空気を一変させる。 緑道の提灯が灯っていられるのもあとわずか。 夏の終わりを告げるように、雨が降り始める。 ザー、ザー。 日中の灼熱の空気をリセットするかのような雨。 僕の声をかき消すかのような雨。 あの記憶を洗い流すかのような雨。 その音を聴いて、あの夏を思い出す─ 君は詩人で詩集を2冊ばかり出している。だけどもちっとも売れない。街で君の名前を見たことはな
12 気になってたマティス展へ行ってきた。最近は土日でしか美術館に行けなくなってしまったので、タイミングを見計らって行ってきたのだが、土日の美術館は人が多い。作家の魂の遍歴を孤独な集中力で見つめ続けることで自分の何かしらが引きずり出されるみたいな感覚が面白いのに土日は人が多すぎてそれに集中できない。何か音をあびながら歩くか…と思い立ったのがこのアルバム。家で聴いてもその家の空間がどこか別のアート空間へ飛ばされるような究極の音のシャワーでそれはそれでよかったんだけど、こういう
ここは何より失われた心を受け入れる特別な場所でならなくてはいけないのです。 ボイスメモに録音された自分の声が湿り気のある梅雨の壁に吸収されていく。ベタっと張り付いたまま跳ね返りはしない。そんな空気感が社会人2度目の梅雨のはじまりを告げている。 このボイスメモは街と不確かな壁(村上春樹)の好きなシーン。オーディオブックを聴くようになってから、文章のテキストの部分に集中して、声に出してみることにはまってる。声にして生まれたリズムに集中してみることで、頭の中で読み上げるのとは違っ
三島由紀夫のこの一説、 どんな人間にもおのおののドラマがあり、人に言えぬ秘密があり、それぞれの特殊事情がある、と大人は考えるが、青年は自分の特殊事情を世界における唯一例のように考える。 投稿した頃は、「煌めき」を絶賛制作してる時で、 少年の秘密は触れられぬ唯一のスペシャルと捉えてたけど ライフステージが変わり、PtIIIを出した今では 大人のシークレットはそれぞれにあり、それぞれが無自覚的にそれを共有し合い、存在していることが見えてくるのに対して、少年のシークレットは