生命力/脳トレ/俺の巻き返し運動
あとは寝るだけの時間に、
急に掃除とかしたくなるの、なんでだろう。
去年の12月の自分
キラキラした自分にとにかく出会ってやるぜって感じだった。テンション高めですよね。まあ見てくれてる人はわかるかもですが、キラキラパワーを鍛えてやるぜなんて思ってリール投稿で「君とシンパシー/Gang!/GoodbyeMiracle」の一連の楽曲投稿をしてました。お、ニューな俺いいじゃんといい感じで思っていたけど(今もまあ思うけど)、自分の体験が削ぎ落とされたポップな自分がちょっと虚に見えてくる瞬間もあったりする。でもその時は楽しいからいいじゃないなんて思うけど、そもそも飛ぶことばっかに集中して、今やるべきことなんだっけ、、みたいな空中戦になってしまいがちかもななんて最近気付かされてます。うまくやることと本物を生み出し続ける作業はぜんぜん違う。既存研究を何食わぬ顔で発表したところでそれは研究になり得ないみたいな。世界に参加する意識と、自分の発掘をしていかないとそもそも意味がないよななんて、前も言ってたな。さあ堂々巡りの俺の巻き返し運動がスタート。
<俺/私>の巻き返し運動
そんな状態で、今年のリリースタイムラインを決めてみようと腰は上げるものの、目の輝きについてのライブから、それはそれで忙しくしていたので、その瞬間でいいなと思えるアウトプットはあるんだけど、実は後から見返してみるとそれは実らなかったりみたいな近眼視的なものもある。やりたいこと書いたりしてみるものの、誰かに話してみると宙に浮いてる言葉がいっぱいかもなんて思って、焦ったりする。でも話すまではベストだと思うんだよね。余裕がない時、その瞬間瞬間で満たされた一瞬の嬉しさだったりが、今自分に必要と思えるものかもしれないなと思ってしまうの何でだろうね。その嬉しさは本当で、自分の構築してきた世界にぴったりハマることはとても嬉しいことだけど、希薄な自分にハマるピースは必然と思えちゃう。(※恩師のSNSの投稿で見た<私>を取り戻す哲学/岩内章太郎の一説に教えられたことは大きい)
一生忘れられないピースがガッツリハマる時のための気持ちはとっておきたいよね。だから余裕は大切だ!と思うこの頃です。
だから、1月の長期の連休で腰を据えて作品作ってやるぜなんて思ってたけど、結局、去年の音楽脳の巻き戻し運動をしてるんです。
「俺は俺の生命力を上げてけ」
ひとまずスケジュール帳は置いて、文字も書くのもやめて、とにかく誰かと話したいななんて思って過ごしはじめたお正月。そのタイミングでちょうど友達のライブが重なっていたので見に行ったのですが、作家さんや友達のライブに行くとやっぱり溢れる何かに圧倒される。多分、生命力みたいなもの。生命力って溢れてくるものじゃないですか。オーラみたいな。矢印でいえば体から外に何本も向いている状態。社会に組み込まれる感覚と社会に参加する感覚は全く違う。今ようやく外に向けられてる状態かもしれない。
それにライブに行くと、客観的に自分の音楽や自分を見つめ直すことがある。(旅行も似てるかも。)表現者でなくとも自分って何をしたいんだろうとか、こんなこと頑張りたいなとか音楽や詩の力で引き出されるあれです。僕も自分なりに内省してみて、ここまで力強くは歌えないかもなあとか、なんとなく自分が持ってる繊細な部分が引き出されつつ、今できる編成でどういう強さを放てるかなとか。照明やVJの色はどんな色かなとか。単色かな?セルリアンブルーがいいな。濃いのに繊細な色。でもピンクもいいよな。優しくてかわいげのあるもの。なんかどっちの色もあるのが僕かもなんて思っているうちに、どんどん自分が客観的に見えてくる。今まで飛べるかもって思ってたことが全然飛べてなくて、実はこっちだった!そうだよね!散歩してごめん!みたいな感じで、灯台下暗しなひらめきが降ってくる。そして正月おやすみが終わったこのタイミングで、ようやく姿勢が出来上がってきた感じなんです。なんか違うなと思って止めてた新曲も見えてた1月のお休みでした。というわけで今月はnoteやらスレッズやらで思考の脳トレをしつつ、俺は俺の生命力を上げていくことに時間を割きたい。
okkaaa