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多面体でできている私たち

恋愛相談が盛んだった20代。とある友人から相談を受けました。私の友人のひとりでもあったAくんのことが気になる、と。どうやら彼に適当にあしらわれた女性たちがいるという噂を聞きつけたらしく、言葉を選ばず直訳すると「Aくんが“遊び人”であるか知りたい」という相談でした。本人の潜在意識では他にもさまざまなブロックがみてとれたので、そこはいろいろあるなぁとは思いつつ、ひとつ確かなことは、誰かの噂ほど当てにならないものはない、ということでした。「その他大勢の女性にとって彼がどうか、はなんの意味をもたない。関係性はそれぞれに存在するから。大切にしたいと思えたら大切にする。あなたにとって彼が大切なのか、そこだけに向き合ってみたら?」とだけアドバイスしました。

最近ふと、当時のエピソードを思い出すので、今日のトピックにしてみました。私たちは誰もが多面体であると感じています。さまざまな側面があるうち、どの側面が現れるのか、現象化するのか、それはその時々の自身の機嫌や周囲の環境要因に影響されていきます。それはそれは細やかに、振動数、バイブス、小さな粒子が影響し合って、物事を現象化させていきます。

ひとつの家族があったとして、家族のメンバー(祖母・祖父・母・父・子ども・孫)のすべての人たちが同じ出来事を体験したとしても、それを通して同じ解釈をするわけではありません。会社のメンバーも同じです。同じ部署で働いていたとしても、そこで経験する出来事に与える解釈はそれぞれ異なるものが存在します。私たちはそれぞれの世界観において、出来事にそれぞれの解釈を与え、人生を構築していきます。さらにその解釈は、本人の意識次第によってはいつでも変容できるものとして存在します。

観察すべきは、やはり私たち自身の感情・感覚なのです。

人生の大変なことを招き入れているとしたら、それはなぜなのでしょうか。「ショップから商品が届いて、開梱したらお皿やグラスが割れていた」「タクシーの運転手が道をよく知らない人で遠回りをされた」「レストランを予約したのに予約が通ってなかった」「上司に大量の仕事を無茶振りされる」「取引先相手から訴訟をされそうになった」「車を運転したら、もらい事故をした」など、何かしらの心をざわつかせる出来事が起きたとき、それらに反応するように、呼応するように私たちはどんな感情・感覚を味わっているのでしょうか。

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会社員時代。思い返せば私はとても傲慢だったし、常に心の奥底にある怒り(&みじめさ)と共に過ごしていたなぁと感じます。毎日忙しい日々を過ごし、自分自身の一分一秒がとても重要でもあるかのように振る舞っていました。〆切が何より大事。あたかも自分の仕事が正義でもあるかのように思い上がっていました。同時にそんな不遜な振る舞いの自分自身を常に自分がいちばん責め続け、嫌ってもいました。交感神経を優位にして何かしらに挑み続けているような感覚があり、会社の同僚や友人たちともよく焼肉を食べに行ったり、辛いものもよく好んで食べていました。ハングリー精神のような怒りのエネルギーを保ち、挑み続けるにはそんな食生活がベストだったのだと思います。実績を身につける必要がある土の時代を生きる上では、それらすべてが当たり前のような感覚でした。数年後には倒れることになることも知らず、よく走り続けていたなぁと思います。

会社を辞めて数年後、妊娠と出産という人生最大のデトックスのひとつを経験し、長らく共にあった怒りを持ち続けることが不可能となっていきました。辛いものもびっくりするほど一切食べられなくなるほどに味覚も変化。アルコールも欲しなくなります。そして少しずつ社会軸を生きながら身につけてきた何重にもなった鎧を外し始めていきました。

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何を話したかったのか迷子になりました。

例えば、怒りや悲しみ、みじめさというものを抱えながら生きていた以前の私は、それらの振動数に応じて、相応のことが人生に舞い込んできます。なぜなら私がそんな感情で存在しているから。怒りたくなるような出来事、悲しみやみじめさを感じるような出来事、それらをどんどん引き寄せていきます。幼い頃より、そうすることで何かしら、信頼とか絆とか愛とか、何かしらの美徳を得てきたという信念体系があったから、です。本当は怒りたかった、悲しかった、みじめに感じていた。そして本当はそれら美徳は、そんな怒りともに得なくても大丈夫だということを腹落ちできるほどに理解できたとき、私たちは許すことができます。自分自身を許す。怒り続けてきた自分。悲しみに暮れた自分。みじめだった自分。そしてただ自分が自分であるだけで、それら信頼や絆、愛などの美しいものたちを得ることができる。じつは既にあったことに気づき、それを感じることを自分に許していきます。

また迷子です。ここはどこ?

私自身のバイブスが、どんどん軽やかに変容していくことで、人生に出会う人たちがたとえ以前と同じ人たちであっても、私の人生において、現れる側面が変わっていきました。多面体である私たちの、現象化される側面が明らかに変わっていきます。怒ったり、悲しんだり、みじめになる必要がなくなった私は、何か大変なことを人生に引き起こす必要がなくなりました。以前と同じ場所、同じ人、同じような出来事が起きても、そこでは同じような解釈になるような物事は生まれることはありません。既に別のパラレルワールドを私は選び、生き始めているのです。

私たちはものすごい勢いで、並行時空をサーフして、自分の望む未来を自ら創造していくことができる、ボーナスステージに突入したと感じています。それが2020年に風の門が開き、時代に追い風を受けて、変容することがいとも簡単に、軽やかに進むことになったと感じています。

いまは過渡期でもあり、私たちの変容を促すような大きな変化も起きやすいときかもしれません。それは近視眼的にみたら、かなり辛いと感じる、もしくは漠然とした不安感が拭えないことも少なくないかもしれません。けれど、私たちは選択することができるのです。世の中のイベントには目を向けず、心がざわつくニュースなどからは距離をとり、どうか自分自身を癒すための時間、場所、ゆとり、余白を大切にしてみてください。何をフォーカスしていくのか。意図するのか。創造するのか。そのひとつひとつの選択によって世界線が生まれます。私たちは誰もがフォーカスさえすれば、軽やかに生きる並行世界を選び、そこで行動し、創造を楽しむことができるのだと感じています。創造することを躊躇わず。何かしらできることから行動してみてください。

多面体でできた私たちをコロコロ転がして、楽しそうなところへ一緒にサーフできたら嬉しいなぁと感じています。







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やまさきまりこ / 山﨑 真理子
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