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いま自分はどこと繋がっているのか

いま自分はどこと繋がっているのか。
これは私たちが今後、常に自分自身に問いかけ続けていくものだと感じています。

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きっと私の文章を読んでくださる方々には同じような嗜好をおもちの方も多いと思うのですが、私は小さい頃から人間の心理、宗教、そして哲学というものに漠然とした興味をもってきました。

敬虔なクリスチャン家系に生まれ、日曜には教会へ行き、家庭での食事の前と眠りにつく前には必ず「祈りの時間」がありました。幼稚園の頃は疑問にも思わなかったことが、小学校へあがる頃には、それが一般的なことではないことも知っていきます。どうやらうちの家族が何より大切にしているもの(宗教)は少数派なものらしい。何より大切なものなのに、政治と同じように、友人たちとの会話に普通にあがってくる話題ではないらしい。あまり容易く打ち明けるものではないらしい。そんなことを覚えていきます。にもかかわらず、うちの親族はみんなクリスチャン。親族の食事会の集まりでは、やはり祈り時間がありました。小学校中学年になると、つまり結婚する相手もクリスチャンでないといけないの!?という疑問も生まれてきます。私がそうではない人を好きになったら反対されるのだろうか?少数派であるのに、そんな人とどうやって出会うのだろう?とか。どうやらうちの両親は、キリスト教の繋がりをもつ、どなたからかの紹介による「お見合い」だったらしい、なども理解していきます。そんなコミュニティが存在するのか!?といろいろと不思議に感じていると、通っている教会系列の方々が参加できる子ども向けのサマーキャンプのようなものへ行くことになり、「なるほど。こうやって知らない土地の人たち(子どもたち)、学校では出会わない人たちと横の繋がりができるのか」などと、言語化ができないレベルの“小さな把握“を積み重ねていきました。

また当然のようにキリスト教という宗教が伝えていること、そのことに積極的ではなくとも自然と触れていきます。退屈で仕方のなかった日曜礼拝。席で動かず座っていることが苦痛で教会の長椅子に塗り絵やおもちゃを広げたり、家からもってきた本を読んだりしながら暇を潰していました。時折り、牧師先生の説教が耳に入ってくることもあり、ぼんやり聞きながら「うんうん。なるほど。そういうことね」となんとなく理解できることもあれば、「ん?なに言っているんだろう?」とか「なんかおかしくない?それって、この人(もしくは聖書の誰か、使徒)の個人的な解釈じゃない?」みたいな漠然とした違和感を感じたこともありました。偉そうに心のなかで斜に構えながら、常に何かしら自分のなかで対話をしているような感覚です。ただそれらを表現する術もなく、言語化というほどのものにはならないレベルです。

宇宙の摂理、人間の心理、世の中の基盤。言語化には辿りつかないほどの小さな問いと感覚的な対話を続けるなかで、自然と私は本を読むことが好きになります。週末に図書館に通うという楽しみができると、ときどき隣町の中央図書館へ自転車で出かけることもありました。夏目漱石や森鴎外などの明治の文豪系から、当時流行っていた宗田理のぼくらシリーズ、コナン・ドイルやアガサ・クリスティの推理小説、ミヒャエル・エンデの冒険ファンタジー、赤毛のアンやオズの魔法使いなどの海外文学、ヘレン・ケラーやアンネ・フランクなどの伝記ものなど、特に海外ものなど気にいったらシリーズを片っ端から読んでいた気がします。今では本を読むのに時間がかかるので不思議なのですが、当時はとにかく速かった。サクサク読んでいました。それほどまでに、自分のなかに湧き上がる世界というものへの疑問や問い、生きることの謎、人間の心理、宇宙の真理などに触れることのできる書物の世界は、小さな私の渇いた心を潤してくれるような存在でした。図書館の受付で働く人たちをみては、いつも静かな場所で本を読み耽ることができるだなんて最高の職業では?と感じたこともありました。

そういえば9歳くらいの頃、図書館で一冊の本に出会いました。それは見たものをすべて写真や映像のように瞬間記憶ができるという特殊能力をもった女の子が、さまざまなトラブルを解決していくという物語でした。タイトルも忘れましたが、ハードカバーのいわゆる普通の児童文学。けれど、その本に出てくる女の子が「ソーシャル・ワーカー」と呼ばれていたこと。当時は横文字が理解できないままでしたが気になり、特殊能力を活かして社会問題を解決する女の子の在り方、そのことが知らずうちに頭の片隅に残っていたようでした。それから22〜23年後、会社を休職した私が初めて心療内科クリニックで、30分ほどのカウンセリングを受けたとき、「12歳の頃にやりたかったことが本当にやりたいことと繋がっていたりする」というカウンセラーの方の話を聞き、なぜか思い出したのが本のなかで出会った「ソーシャル・ワーカー」でした。問題や悩みを抱えている人の支援や援助を行う職業。自分の何かしらの能力を使ってやりたいのは、出版社で編集者として働くというのではなく、もっと深く踏み込んだ何かなのでは・・・自己理解への小さな一歩でした。まさかその数年後には、まさにヒーラーという立場になっていくとは、その時は思いもしませんでした。

話が大幅に逸れました。しかも何を書きたかったのか、思い出すのに時間がかかりました。苦笑

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中学1年の途中、父の転勤に伴い、フランスに引っ越すことになります。そこは日本では少数派であったキリスト教が主流の国。クリスチャンである人の方が多く、マイノリティからマジョリティになる不思議。夏休みには現地で“コロニー(ドゥ・バカンス)”と呼ばれるサマーキャンプにも参加するのですが、行ってから知ったのですがカトリック系のコロニーでした。そこではカトリックという宗教の世界観(「アーメン」というときに十字架を切る、牧師ではなく神父、教会に装飾が多いなど)に触れます。私がそれまで日本で通っていたのはプロテスタント系なのでとても新鮮。同世代の女の子には「プロテスタント系なのになんで来たの?」と直球の質問をされるものの、まだ言語もできないためどう返していいのかわからず、戸惑ったのを覚えています。宗派によって習慣や世界観が違うことや派閥が違うだけでまたマイノリティなのか、と感じたり。そして現地校に通っていた私は、歴史の授業のなかで、ヨーロッパの争いのほとんどが宗教戦争であった事実に深く知っていくことになります。

14歳の頃には、いずれ私も両親や祖父母たちがそうしてきたように信仰告白をしてクリスチャンになるのかもしれない、ならないといけないのかもしれない、と感じた私も高校に入り、さらに深く歴史や宗教について知るにつれ、宗教という組織があることで対立せざるを得なかったことに自ら迎合することはできない、という意志がハッキリしていきます。それは私が幼い頃から感じてきた何かに属することで生じる「違和感」や「居心地の悪さ」をひとつ解放することでもありました。「私は信仰告白をする気はない」ーーある時、両親に伝えました。信仰心を何より大切にしてきた両親にとっては、それは「人生で何より悲しいこと」と涙ぐまれますが、私の意志が揺らぐことはありませんでした。宗教を大切にしている両親もそういう方々を否定する気はまったくなく、素敵だと感じています。それぞれにいい面もとても多いのだと思います。けれど私の人生では、長らく向き合ってきたからこそ、揺るぎない決意でした。両親には「信仰告白をしてクリスチャンにならないだけで、私のなかで信仰心がなくなった訳ではない。神さま(という大いなる存在)は変わらずずっと信じている」ということも伝え、背景に背負っているものが違いすぎて真意が伝え切れるかわからずとも、どうにか言葉にしました。私の強い意志を感じた両親はそれ以降、何か言うことはありませんでした。週一で教会へ行くことも次第になくなり、クリスマス礼拝やイースターなど大きな行事的なタイミングに顔を出す程度になります。讃美歌やオルガン(特にパイプオルガン)が響かせる音は変わらずとても好きですし、時間をかけてお互いのスタンスを自然と理解していったのかもしれません。

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フランスの高校では理系、政治経済系、文系のいずれかに進学します。いずれの学科でも「哲学」が必須科目で大学入学試験試験(BAC:バカロレア)にも含まれます。私が進んだ文系では哲学の比重がもっとも高く、BACの筆記試験は4時間の論述試験で採点係数ももっとも高く設定してあります(哲学の係数が7掛け、文学や第一外国語、第二外国語の係数も次に高いけれど、逆に数学や物理、化学などは採点係数が低く、難易度も理系ほどではない、という仕組み)。フランスでは毎年6月頃に行われるBACが、夏のロングバカンス到来を告げる風物詩(街中がソワソワし出すシーズンです)となっていて、テレビや新聞、ラジオでは哲学者が哲学の試験テーマを題材に討論を行なったりするのも恒例となっています。

完全な文系脳で育った私は高校のときには、案の定、数学に別れを告げます。「日本人は数字に強い」というフランス人の思い込みを吹き飛ばすかのようでした。数年かけて少しずつ培われたフランス語の言語としての能力もありましたが、現地人には到底及ばないもの。けれど外国人なのに文学(=国語・フランス語)が意外とできる、という感覚が徐々に湧いてきます。それは「ひとつの言語」としてフランス語と向き合ってきた人間だから感じることのできる言葉の持つ「行間」や「表現」に隠されたものの解釈が「文学」という授業に多かったからかもしれません。そうして国語や哲学への理解や探究はどんどん深まっていきました。それでも授業に追いつけず、哲学は哲学者の方に個人指導(家庭教師)をしてもらってもいました。これがじつは授業より遥かに面白く、とても豊かなひとときでした。感謝しかないです。私がBACをモンション(評価)つきで合格できたのもひとえにその方のおかげ。なのに名前も忘れてしまったし、連絡先も知らないけれど、いつか奇跡的に再会できたらお礼を伝えたい方のひとりです。

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また話が逸れました。涙

そんな環境で育った私には、日本にあった80〜90年代のスピリチュアルブームをまったく知りません。けれど、いわゆるオカルト(神秘主義)が流行り、それが土壌として培われていた日本におけるスピリチュアル業界、オウム事件以降に反社会的なニュアンスが加わるようになったカルト(崇拝)の世界を一緒くたに感じては、どこか拒絶反応がありました。それは私のなかにあった大きな偏見であり、幼い頃から宗教についてさまざまな傷や向き合いがあった私の苦手意識だったのだと思います(星読みでいうところの12ハウスキロンみです)。

編集者として出版社に所属していた頃、エリック・パール博士という国際的ベストセラー作家であり、ヒーラー(元カイロプラクター)でもある方が来日されて2日間の講座を開催されることになります。もちろん彼のことはまったく知らず、興味もなかった“アンチ・スピ”な私でしたが、体調を崩すことが多かった私を慮り、先輩たちが私をプレス招待枠に登録してくれました。拒否反応のある私は「えぇ!興味ないのに。興味あるなら先輩たちが行ったらいいのに」と正直ありがた迷惑を感じていました(いまでは本当に感謝しています)。参加してみると、他の出版社の編集の方とペアになってワークをしたり、見よう見まねで体験。昼の休憩時間には、エリック博士と少人数ランチョン。なぜか握手して一緒に写真を撮ってもらう。なぜ私はここにいるんだろう?と内心は感じながらも、彼の手も目もイルカのような感触で不思議な方。ワーク会場はやっぱり苦手だけれど、この人はなんか気になる。人間なんだろうか?という謎の浸透力(水みたいでもあり、吸いつき感もある)を感じていました。それでも連日受けることには抵抗感が拭えず、翌日の講座は辞退させてもらうことに。

そんな私が体調を崩して独立して1年後。yujiさんに出会い、スピリチュアル業界への偏見が一瞬にして取り払われることになります。(詳しくは、ホニャララLIVE『渦(vortex)という生き方』で話しています)大きなきっかけをいただき、12ハウスのキロン解放が始まります。

そして今までの哲学や宇宙の摂理に対する探究心がさらに深まり、精神世界にまつわる書物を読んでいきます。ただやはり何か違和感があるものもあり、本を買うときは店頭で直接触れ、パラパラとめくり、表現されている文字の行間などを感じたり、本の雰囲気(バイブス)を感じてから選ぶようにしていました。これは精神世界の本を買うときには特に大切にしているところかもしれません。違和感のある言葉を目にするときは、本からどこか一線を引くようにしながらも、その正体はなんだろう?と、私の探究心はそそられました。

それは書物だけではなく、現実世界でも同様でした。アンチ・スピを返上した私には、まだまだこっそりと隠れていた(公に精神世界への興味を露わにしない)つもりでも、誰かしらの紹介でさまざまな“霊能力者”やさまざまな“占卜系の術師”と呼ばれる方々に会う機会が訪れました。そして時にはマネージメントをして欲しい、という相談に発展します。「私は“それ系”のマネージメントをしたい訳でもないのにな」という違和感がありつつ、自分のやりたいことの世界観(のちのQUANTA)をより鮮明にビジョン化するようになります。

精神世界に携わるさまざまな方々に会う。なぜ私は自らそれを望んでいるんだろう。引き寄せるのだろう。そんなことを感じながら、彼らと会うときに感じる感覚を確かな経験値にしていきます。霊力というものは人それぞれにある。霊視・透視(クレアボヤンス)、霊的聴覚(クレアオーディエンス)、霊的感覚(クレアエンパシー)、霊的聴覚(クレアセント)など、さまざまなサイキックな能力があるなかで、素敵だと感じる人たちに共通していることは「出し惜しみがないこと」だと感じるに至ります。あらゆる情報に対して、溢れ出てくるものを伝えている。またそこに主観的なジャッジメントや恐れ、不安がない。決してのせない。そしてそれらを裏づけているものは、特別なサイキック能力でもなく、その人自身の「人間性」や「品性」なのです。人間としての成熟度が、そのまま反映される。人間としての視座の高さがあってこそ、それらはようやく素晴らしいものに昇華できるのだ、と。それらをわかりやすい形で現象世界で直にエネルギーに触れて体験し、自らの糧として落とし込む。私の魂の意図(5ハウスの獅子み)にさらに気づけた一連の出来事でした。

よ〜うやく本題にこれました。

過去への執着や後悔、未来への恐れや不安など、さまざまなエネルギーの無駄遣いをやめて、私たちはこれから自身のエネルギーを整えていく世界を生きていきます。自分自身に何かしら癒しきれていないものがあると、支配欲や自己顕示欲など、何かしらを得ようとして自身のサイキックな能力を使ってしまう人もいるかもしれません。特別な何者かになりたい。影響力を持ちたい。自己犠牲をして助けたい。身を削ってでも証明したい。そうやって重いエネルギーに繋がりながら霊力を使うと、私たちは自身のエネルギーが消耗していきます。制限のある情報にアクセスし、疲弊していきます。

私たちは、自分自身に繋がることを許していく時代を生き始めました。大いなる存在、神、先天的知性、内在神、内なる宇宙。表現の仕方はさまざまですが、それは自分自身に繋がるということ。自分に寛ぎ、信頼している状態でもあります。そして自己信頼とは、さまざまな不安や恐れ、執着や我欲など、何かしら外に求めたいたものや自分自身に制限をかけているものを手放し、自身にあらゆる許しを与えた上で感じることができる世界。そこは無条件の愛、フリーで無制限のエネルギーがただ在るという世界なのです。

いま自分はどこと繋がっているのか。
これは私たちが今後、常に自分自身に問いかけ続けていくものだと感じています。

自分自身という存在を観察し、自身のエネルギーを感じ、どのような状態に在るのか。私たちは人間です。活動しすぎると疲れることもあります。枯渇してしまう前に、常に自分を大切に、己を癒しながら、エネルギー状態を調律する。そうすることで、私たちは高波動と繋がった状態を保ちます。好きなことをして、好きなものに囲まれ、好きな人たちといて、私たちはエネルギーをキープ。自己観察を重ねながら、私たちは繋がるところを自ら気をつけていくのです。

光と影、裏と表、陰陽は常に存在します。それはただ私たちの中にあるのです。



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やまさきまりこ / 山﨑 真理子
いただいたエネルギーは大切に循環させていただきます🙏✨