私は何者か、39
桜が、咲きたいと言う。
もうすぐだね。蕾が満タン。
トンネルを抜けると雪国。とか、黒澤明さまのトンネルからは軍靴の足音とともに彷徨う兵士の亡霊が現れたり、文学や映画でもトンネルは比喩であり、アイテムである。
私の知っているそのトンネルは、街を東西に走る路線と隣の都市を結ぶ南北の線との微妙にずれている駅と駅をつなぐための通路であった。
暗く、湿った、怖い場所のような気がしていた。
そのトンネルを抜けたところに公園があった。のっぺりとした、何の変哲もない公園だった。立派な桜の木が何本も何本もある以外は。
ある若い日の春の宵。
何人かの友達と夜桜を見に行こうってことになって、夜のトンネルを抜けた。
初めて見る夜の桜。
その下で演じているわけでもなく、観ているわけでもなく、どこからこんなに集まったのか、とにかく花見の人たちがいっぱいいっぱいいた。みんな楽しそうで、けれど刹那的で、わたしはそこに入っていけない。場違いで、背中がゾクッとして、そのトンネルを抜けてきた事が何か間違いであったような気がして、後退りして、何かを踏んづけて、何かにぶつかって、そこから先は覚えていない。全然覚えていない。どうやって帰ってきたのかすら。
だから、夜の桜は少し怖い。
超えてはならぬ、超えてはならぬと誰かが言うようで。
でも、超えてみたい気もする。
いつか、あなたとなら。
夜の桜を見てみたい。
ヨルノサクラヲミテミタイ。
桜が咲きたいと言う。
フライング気味に咲く花にそっと触れてみる。
私は何者か。