因島しずこ

私、しずこはあの世にいるため、この世にいる子どもから、私がこの世で感じた詩や日記を発信します。つらい毎日も日常の目線を変えると可笑しいですね。

因島しずこ

私、しずこはあの世にいるため、この世にいる子どもから、私がこの世で感じた詩や日記を発信します。つらい毎日も日常の目線を変えると可笑しいですね。

マガジン

最近の記事

吾子

口数は 少なくなれど 吾子の弾く テンポ早きベースに我も和みぬ 厨房の仕事を 語る吾子は 今 少年期を過ぎ 青年の面差し 幾あまたの 豪華な花を 踏みにじれば 失意の吾子の希望とならぬか

    • 学問と宗教と芸術と政治と医学と文学と

      このところキリスト教の伝導奉仕活動をしていると言う人が度々個別訪問してくる。私は聖書に「”右の頬を打たれたら、左の頬を出せよ〃という言葉がある限り信用出来ません。」と追い帰す。昭和32年秋、私は学用患者として、虫垂炎の手術を受けた。手術した部位は、半年経っても治らなかった。私は右ポケットに手を突っ込み大腿骨のつけ根を押さえないと歩けなかった。手術した医師が再手術を、しようと言った時「先生は私の体質で化膿したんだといわれたじゃないですか。体質なら又化膿するでしょ。」と断った。歌

      • 島の夏

        島の防波堤から 鼻をつまんで紺碧の海に向かって飛び込んだ時 鳥になったようだった 水音と共に 海面をつき破って深く沈んだとき 魚になったようだった わらじまで灼きつくすような海辺の道を歩き かっと照りつける太陽をまぶしく見上げた時 太陽になったようだった 故郷の 島の夏

        • 生かされている

          母のひく大八車には 山で切った木と 白桔梗と 妹たちが乗っていた 私は後押しをしていた 夕日が妹たちの顔を 赤く染めていた ふいに妹たちが 夕焼け小焼けを歌い出した ふりかえって母は ああ 生かされている と言った あれから四十年 今日は白桔梗を活けました 母さん 生かされています ありがとう

        マガジン

        • 短歌
          1本
        • 詩集
          15本

        記事

          たあんす ながもち どの子がほしい 水色の風に乗って 子供達の遊び歌が聞こえる 山鳥のバリトンの歌も ひきしまった空気の中に うまく響いている えのころ草の横に 露草  ちからしばの横に 野菊が 若い恋人同士のように 肩を組み合っている 自然と人間との 秋の名場面

          秋に想う

          ずいずい ずっころばし ごまみそずい 小屋で干したごまを 棒で叩きながら歌う頃は 青空に  白いすすきの穂の 波の花が咲いていました その上を赤トンボが 波のりをしていました 亡き母も私も つぎのあたった作業着を着て 汗にまみれていましたが 心は 今より青く清らかに澄みきっていました

          散らかっていても

          部屋にはカセットテープや灰皿、マンガに楽器が散らかり放題、開け放った窓から雨風が吹き込んで、びしょぬれになっても大いびきで寝ていたことのある息子。安物の赤いマットレスが色落ちしだして、シーツは真っ赤。ベッドから血のように赤い水がしたたり落ちていました。 その部屋を整理していたら、恋愛と結婚をめぐる本が出てきて、息子がその中のアンケートに回答を書き込んでいます。「部屋のインテリアをコーディネートしている」にマル。「レストランは雰囲気やインテリアを重視して選ぶ」にマル。「外出す

          散らかっていても

          秋の風景

          かぁごめ かごめ かぁごのなかのとりは いついつでやる お地蔵さんを囲んで 赤い彼岸花と 露草と野菊が 輪になって遊んでいる うしろの正面だぁれ 露草だ でも あたっても  露草とお地蔵さんは 交代できないから いつもお地蔵さんが 鬼になっている それでも怒らないで ニコニコ笑ってる お地蔵さんを 金色の稲穂が 頭を垂れて拝んでいる

          夏草の下で

          セミ達が歌い疲れて寝た後 暗い闇を照らしてくれる月や星達を 楽しませてあげようと こおろぎや鈴虫達がえのころ草やかるかやで せっせと楽器をみがいてるよ 夾竹桃の木にまきついた昼顔の拡声器の調子を 赤トンボが調べてるよ

          夏草の下で

          息子を想う短歌

          口数は 少なくなれど吾子の弾く テンポ早きベースに我も和みぬ 厨房の 仕事を語る吾子は今 少年期を過ぎ 青年の面差し 幾あまたの 豪華な花を踏みにじれば 失意の吾子の 希望とならぬか

          息子を想う短歌

          露の玉

          露の玉 ひとつ かるかやの上 右へコロコロ 左へコロコロ シーソー遊び 露の玉 落ちた 朝顔の葉の上 まあるく まるく まわってる 風さん 風さん ゆっくり やさしく 吹いてやったね

          負けるゆとり

          勝って何あろう。我が意見通らずとも良し。その時は自分の意見が、絶対正しいと信じていても、後で、何てあさはかなと恥ずかしくなる事が、度々なので、負けようと決心して以来、心に「ゆとり」が出来た。あまり、腹が立たなくなったのである。私の「あだ名」は、子供の頃から「外人」、頭は天然パーマ、目は大きい。戦争中は、外に出ると、いじめられるので、家で、本を読んだり、防空壕で「コオロギ」と遊んだりしていた。 母には「戦争は、外人が、勝った方がええ。」と言って、困らせたそうな。戦後、進駐軍が

          負けるゆとり

          使えない一円玉って何

          駅前のすし屋ですしを買い、630円のうち「十円」分を五円玉と一円玉で払おうとしたら、「うちは一円は扱ってないので」と断られた。お金として扱われない一円玉って、一体何なのだろう。 消費税の導入によって、一円の価値が見直されたなんてうそ。バスの乗車賃を払うときにも、五円玉を二枚、十円の代わりに混入したら、「あっ、困るな」と言われた。かと思えば、あるとき、急な呼び出しで出かけ、バスに乗ったら、財布の中に一万円札しかない。運転手さんは「つり銭がないから、またこの次にしてください」と

          使えない一円玉って何

          朝の戦争

          「七時やで」二十歳の次男を布団の上からゆすって起こす。 続いて隣の十八歳の三男の部屋に行ってまた起こす。返事はない。 二分間、次男と三男の部屋を行ったり来たりする。たいがい次男が、この間に起きてくれる。かけ足で台所に下りて、みそ汁を温めて、テーブルに置く。 「弁当忘れるんやないで」と声をかけつつ、二階に上がって三男の布団をたたんでゆく。いつもなら掛け布団はすぐたためるのに、今日はしっかりとつかまえて放さない。よし、そんなら、敷布団を先に取ろうとすると、大きな図体(ずうた

          喉につまったお弁当(私だって食べにくい!)

          主人と私、青年期の息子と大井川鉄道に乗りました。 汽車弁当がおいしいとあったので、ちょうどお昼時になるし、注文しておきました。売店では売り切れていて、汽車の中に売り子さんが入っているからとのことで、私は4歳くらいの子どもとおじいさんの前に座りました。 汽車弁は私たち家族が買うと売り切れ。目の前で、4歳くらいの子どもは「おじいちゃん、おべんとうかって」と泣きわめく。おじいさんは(どっか弁当売ってる所ありませんか!」と、おたおたしながら聞かれている。 「ありません」という答

          喉につまったお弁当(私だって食べにくい!)

          しゃぼん玉

          子供が二人しゃぼん玉をしている ぼくのが大きいや いやぼくんや けんかしているうちに ふたつのしゃぼん玉がくっついてしまった ふたつの心が ふたつのしゃぼん玉が ひとつになって もっと大きくなってとんでった 二人の子供は 手をつないで笑った