思いつかない

書くことが1ミリも思いつかないから、書くことにした。そういう時には、だいたい発見がある。

 忙しかった。疲れた。今日は書かないでおこうかなと思った。何より、特に書くことも思いつかない。かといって、連続投稿を終わらせてしまう寂しさもある。主観的連続投稿。時間感覚のバグで、暦的には連続ではない。個人的連続投稿。重要なのは自己のルールとシステム。ここ、テストに出ます。線はひかないでね。教科書に線引くやつはだいだい点数良くない。

 思いつかない、という状態も存外おもしろいと思う。Macを開き、noteにアクセスし、投稿ボタンを押せば、自然とキーボードを叩き始める。歯磨きみたいなものだ。どれだけ面倒臭い日でも、歯ブラシに歯磨き粉をつけ、ひとたび口の中に入れれば、前後に擦りはじめるものだ。習慣とは、えいという勢いさえあれば、あとは惰性的に機能し続ける。慣性の法則みたいに。

 つまり、文化的歯磨きによってこの記事が成り立つ。文章を書くという行為だけが決まっていれば、何か書くことが生まれ始める。今回だと、「思いつかない、やる気がわかない中でもやり始めると勢いに乗ることもある」みたいな如何にも内容がありそうな文章になりつつある。もちろん、そんなもので終わらせるつもりはない。ぼくの文章の役割は、あまり読む意味のないテキストを連ねることなのだ。

 もう少し、意味あり気にしてみよう。例えばそうだな。「人はいつどんな時でも語るべきものを持っている」とかはどうだろう。なんかさっきよりそれっぽい感じがしてくる。

 次は、大きく抽象化してみよう。「人は、表現する『何か』を持って、生命を宿す。語ることがあるというのは、至極当然である」とかかな。多分、哲学者が言ったな。哲学と生物学をやってそうだ。多分歴史に刻まれている。プラトンの弟子の友達の兄貴とかが言ってる。絶対そうに違いない。

 あえて、てんで関係がないことを言ってみよう。「語るべきことがなくても、始めよ。あなたは、ドーナツの穴を埋めることを期待するか?」的なね。意味はない。繰り返すが、意味はない。大事なことは2回いうルール。ドーナツの穴とかはすごい身近でかつ形而上的な問いに昇華できそう。なんの繋がりのない2つのテキストが、意味ありげに見える。

 英語にしてみよう。多分格言感が上がる。「Start writing  if you have no what to talk. Do you fill in the donut holes?」うん。すごくいい。イギリスで18世紀から伝わる諺っぽい。英語はすごい。英語が書いてあるTシャツは和訳したらほとんど絶望的なフレーズだもんな。ちなみに、英訳があっているかは分からない。揚げ足取らないでくださいね。


 こうして書いていると、気づく。文章を書く上で重要なことの一つは「書くこと、それ自体を自分が一番楽しむ」という姿勢なのではないか?書くことがなくても、えいと書き始め、適当に抽象化をすれば意味があり気に聞こえる。そこに少量のユーモアを重ねるだけで、楽しい文章へと音を奏で始める。ふむ、文章でも、なんの領域でもそうかもしれない。「まずは自分が楽しむこと」シンプルで、だからこそ忘れがちな真実。


ほら、意味あり気でしょう?

 

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