狼だぬき
写真がずっと苦手。撮られることはもちろんのこと、撮ることにも抵抗が残る。修学旅行の後日、多目的ホールに番号付きで並ぶ写真たちを見る苦痛を思い出す。まず、ちっとも写っていない。写っていたとて表情は間の抜けたちんちくりんそのもの。注文する番号をメモするというタスクを期限ギリギリまで遠ざけて、結局母親にひどくどやされる。そうしてさらに写真がイヤになった。 16の折、一度真剣に考えたことがある。なぜ写真にこれほどまでに苦手意識を持っているのか。「写りが悪くて被写体になりたくない
わからなくなる時がある。自分にとって文章というのがどういう位置付けなのか。日本に生まれ教育を受け育った僕にとって、文章というのは切っても切り離せない。ずっとある。親がそうであるように、近づけすぎたり遠ざけすぎたりできない。 一応、僕は読書が好きな方らしい。たしかに本棚にはそれなりの量の書籍が所狭しと並んでいる。GWで実家に帰ると、今は見向きもしないようなテーマの本が積み上げられて今にも崩れそうだった。 たびたび引用している「結局のところ、文章を書くことは自己療養の手
結局のところそれは自己防衛に過ぎなかったのだが、世界が完璧にメランコリーに見えていた時分があった。決まる気配のない定職を見かねて愚痴る母親も、自由業に好奇と羨望と軽蔑を等しく向ける過去の友人も、大型書店に並ぶ大成した経営者が著したハードカバーも、ちっともいいねが付かないアーティスト気取りのTwitterアカウントも、全部だ。全部がモノトーンで、無機質で、陰鬱な様相を呈していた。 * そのころの僕はと言うと、完全に自己の中に存在していた。どこから見るか、どこを見るかとい
小学生になって少し経って、母親が「ハリーポッター」を読み聞かせてくれるようになった。ほどなくして映像でホグワーツの世界に浸り、もう少ししてから読み聞かせを卒業した頃には、僕はすっかり物語の虜だったように思える。 小説を貪るように読むようになったのこそここ数年かもしれないが、ハリーポッターを始めあらゆる漫画を通して「物語」に触れて、「物語」を頼りに生きてきた人生だったようだ。そんな記憶へのアクセスから、令和元年の年の瀬は「そもそも『物語』とは何なのか」を考えるきっかけとな
「議論」の札を掲げた場や、その色を持った営みにおいて、しばしば方向感覚を失うことがある。東西南北だけでなく、無重力で上下左右もなくなったかのように、判断の拠り所が消えてしまうのだ。その時、それまで拠っていた「何か」は脚の壊れた椅子みたいに頼りがいに欠けて見える。 まず一つ、正しくありたいのだ。なるべく間違えたくない。失敗を重ねることがどれだけ学びになるかはエジソンの出どころのわからない格言で聞き飽きた。それでもしかし、なるべく客観的であまねく正しいと思われるような主題を
折に触れて、丁寧な珈琲を飲みたくなる。苦味や酸味、深みなどの要素をつぶさに検討して魅力的な豆を選び、それを手動ミルで挽く。右の前腕にある筋肉が引き締まるのを感じながら、ミルから漂う香ばしさを楽しむ。茶褐色のペーパーフィルターに丁寧に粉を移して、ポットで沸かしたお湯で一度蒸らす。10秒ほどおいて広がる香りを楽しみ、フィルターの縁に粉が残らないように注ぐお湯を回す。そうして淹れる珈琲が日々の一部になると、それだけで人生が豊かで深淵な意味を獲得したかのようにさえ思える。丁寧の魔法
かいじゅうは苦悩した。ティラノサウルスだとかブラキオサウルスだとかスピノサウルスだとか、有名な恐竜とは異なる存在に自分が思えた。かいじゅうは、かいじゅうだった。何にも分類されないような「かいじゅう」なのだ。ギザギザの背びれを持っていて、それは他のどの恐竜にもないものだった。かいじゅうは、ギザギザの背びれが嫌いだったし、背びれと似て不完全な自尊心にも嫌悪を向けていた。それでいて、自己愛が強いことさえ自覚していたのだ。 * 嫌いなものといえば、昔から学校が嫌いだった。学校
告白しよう。狼だぬきはこれまでの人生において、重大な勘違いをしていた。その勘違いによって、彼は自らを生きづらくさせたし、世界をつまらないものにさせた。 その勘違いとは、「人々は閉じている」という偏屈な認識である。人々は閉じていて、冷たくて、やさしくない。 そのため、彼は有事の際には自分の内側の深いところまで逃げなければならなかった。誰も入れないであろう暗部に身を潜めて、重厚な壁をもって繊細な自分を守らなければならなかった。それが信念だった。 しかし、いま気づいた。
完全な日没が、ジャズを自室のスピーカーから掛けさせた。スタン・ゲッツが演奏する「アーリー・オータム」が流れ、秋深まる10月に文字通り「音色」を添える。哀愁と美、そして豊かさの色だ。痛切すぎる冬とも違う、ごく短い秋だけの格別な色。 秋が来た。今年も四季の順番通りに秋が来たことに歓びを感じ、同時に秋という特別な季節が年々短くなっていくことに輪をかけて切なさを抱く。こうして、生活をあと何回繰り返して死に至るのだろう?確実でいて、実感の伴わない形而上学的な「死」や「終末」に思考を漂わ
光の点が連なり蛇のようにうねる梅田を、中津のタワーマンションから見下している。41階ともなると、地上では想像さえできない程の強風が頬を横殴りする。スマホに通知が来た。接近していた台風が、温帯低気圧へと変わったとのことだ。半ば無意識に、角が取れた長方形の通知を右にスワイプし、取り消しを押す。こうやって、人生におけるあらゆる取り組みや催事も簡単に消去できればいいのに、とふと思う。親指でシュッとスワイプし、ポンとタッチする。自分という個人的な生活よりはるかに大きく深淵であるはずの台
「文章」を書きはじめてから3ヶ月ほど経った。村上春樹が「結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしかすぎない」とそのはじめての小説『風の歌を聴け』で書いたように、ぼくにとって文章は自己療養が目的であり、自己療養へのささやかな手段でもあるようだ。だから、定期的なリズムで文章を生み出すことは難しい。療養とは、ある種の不規則性への対処という性質を持つから仕方がない。 引用した村上春樹は、ランダム性とは対極の手段を取って執筆をしていると
「ほんとうのことを知りたい」と、いつしか思うようになっていた。その願いというか祈りはほとんど偏執狂みたいに10代半ばからのぼくの思考と行動の多くを支配する鉱脈となり、今でもその根元にこびり付いた化石のように存在し続けている。 真実とは大きく2つの方向性を与える。つまり、自己に関する真実と世界に関する真実だ。どこまでが自己で、どこまでは世界なのか、そういう可分な二項なのかどうかは、特に10代の時分には分かりかねた。今でも明確な結論めいたものは持ち合わせていないが、仮説の数
久しぶりに彼女ができた。2年ほど身を粉にするほど仕事に一意専心だったぼくにとっては、実際の時間以上に久しく感じる。それほど、ぼくは熱中し没頭していたし、少しずつ、気づかないうちに魂をカンナみたいに削っていた。あるいは、気づきながらも。 学生時代、ぼくは子ども向けキャンプのボランティア団体に所属していた。彼女は、1年生のときから仲が良く、何度か同じ現場でリーダーをしたり、数人で飲みに行ったりする関係性だった。ただ、2人きりになることはあまりなかった。先日、たまたま2人で出
学校にいる。大学ではなくて小学校にいて、若手成人向けの教育プログラムを開催している。校舎の窓から外を眺めると、三方向とも山で、昨夜から降り続く雨が校庭を濡らしていて、もったりと湿度で重たくなった空気で汗ばみながら、ゆったりとした気持ちで参加者を見ている。今この時間、コンテンツは存在しない。自由に2時間以上の時間が与えられている。しかし、誰一人として持て余している人は存在していない。談笑の輪が大小と、昼寝する人、バスケをする人、1人整理をする人。自由に存在している。つまりこう
人間は根本的に矛盾を抱えている、というのが狼だぬきが取るスタンスの一つである。鏡を前に小さなため息をこぼす女子大生は「痩せてもっとキレイになりたい」し、一方で「ケーキを飽きるまで食べ尽くしたい」とも思っている。卑しい感情の葛藤が、可愛げを奪っているように思える。 その二つの欲望は矛盾している。もう少し丁寧に言うと、相反しているという語感の方がフィットするだろうか。二つの欲望には正しさも優先順位もなく、ただ彼女とその周りに存在している。 別の事例でも、夢追いの起業家だ
金持ちが「だから貧乏人はバカなんだ」って揶揄する。貧乏人は「金持ちはカネのことしか」と言い返す。もちろん、不特定多数の間接的なやり取りにすぎないが、それでもクラスターの異なる抽象的な人間同士は傷つけ合おうとする。 金持ちにも、なんだかんだランクがある。億万長者、ヒルズ族、IT起業家、資産家、外資コンサル、日系大手、、、あらゆる金持ちが、年収を軸にしたり、別のポイントを引き合いに出したりして、蔑み合う。顕在的にも、潜在的にも。 金持ちにディスられた年収1000万サラリ