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事実と虚構の中間的な掌編

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#短編小説

メランコリー・ルーム

メランコリー・ルーム

 結局のところそれは自己防衛に過ぎなかったのだが、世界が完璧にメランコリーに見えていた時分があった。決まる気配のない定職を見かねて愚痴る母親も、自由業に好奇と羨望と軽蔑を等しく向ける過去の友人も、大型書店に並ぶ大成した経営者が著したハードカバーも、ちっともいいねが付かないアーティスト気取りのTwitterアカウントも、全部だ。全部がモノトーンで、無機質で、陰鬱な様相を呈していた。



 そのこ

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かいじゅうと孤独

かいじゅうと孤独

 かいじゅうは苦悩した。ティラノサウルスだとかブラキオサウルスだとかスピノサウルスだとか、有名な恐竜とは異なる存在に自分が思えた。かいじゅうは、かいじゅうだった。何にも分類されないような「かいじゅう」なのだ。ギザギザの背びれを持っていて、それは他のどの恐竜にもないものだった。かいじゅうは、ギザギザの背びれが嫌いだったし、背びれと似て不完全な自尊心にも嫌悪を向けていた。それでいて、自己愛が強いことさ

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告白

告白

 告白しよう。狼だぬきはこれまでの人生において、重大な勘違いをしていた。その勘違いによって、彼は自らを生きづらくさせたし、世界をつまらないものにさせた。

 その勘違いとは、「人々は閉じている」という偏屈な認識である。人々は閉じていて、冷たくて、やさしくない。
 そのため、彼は有事の際には自分の内側の深いところまで逃げなければならなかった。誰も入れないであろう暗部に身を潜めて、重厚な壁をもって繊細

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粋である、自由

粋である、自由

完全な日没が、ジャズを自室のスピーカーから掛けさせた。スタン・ゲッツが演奏する「アーリー・オータム」が流れ、秋深まる10月に文字通り「音色」を添える。哀愁と美、そして豊かさの色だ。痛切すぎる冬とも違う、ごく短い秋だけの格別な色。
秋が来た。今年も四季の順番通りに秋が来たことに歓びを感じ、同時に秋という特別な季節が年々短くなっていくことに輪をかけて切なさを抱く。こうして、生活をあと何回繰り返して死に

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欠落、こうして【掌編】

欠落、こうして【掌編】

 久しぶりに彼女ができた。2年ほど身を粉にするほど仕事に一意専心だったぼくにとっては、実際の時間以上に久しく感じる。それほど、ぼくは熱中し没頭していたし、少しずつ、気づかないうちに魂をカンナみたいに削っていた。あるいは、気づきながらも。

 学生時代、ぼくは子ども向けキャンプのボランティア団体に所属していた。彼女は、1年生のときから仲が良く、何度か同じ現場でリーダーをしたり、数人で飲みに行ったりす

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湖とぼく、世界とぼく【掌編】

 【18:27】薄暗さを帯び始めた夏の夕暮れに、ぼくは露天風呂に浸かっている。
うだるような暑さがビルに反射し輪をかけて嫌気が増す都会。耳をつんざくセミの声が溢れる郊外。室内は室内で、殺人的な温度の低さの冷房が体をうざったく吹き付ける。そんな都会の夏からエスケープするように、今は田舎の露天風呂に浸かっている。路面電車が走るような面倒見がいい田舎の温泉。

 露天風呂には、風呂が合計3つある。露天風

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どうしようもないヤツらだな

どうしようもないヤツらだな

 空白。投稿が10日も空いてしまった。ぼくなりに忙しかったんだ。でも、10日間何をしていたんだとかね、それから何を学んだんだとかね、そんなことを書くつもりはサラサラない。だって、面白くもなんともないんだもの。

 ぼくは狼だぬきという名前で「嫌なこと」とか「絶望的なこと」をよく書いているんだけど、この10日はそれほど絶望しなかったんだ。絶望を赤裸々に書いて、小さい希望を見い出すというのがぼくのスタ

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だいたいのことは、どうしようもないかもしれない(仮題)

『優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる、そういったものである。』 
-スコット・フィッツジェラルド

 いつだったか、どうしようもない学生時代に講義をサボって大学近くのカフェでグレート・ギャツビーを読みふけり、著者のスコット・フィッツジェラルドについて調べる中でこの文に出会った。いつだったっけ。いつだっていいか。とにかく、この言葉はぼく自身の

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