欠落、こうして【掌編】
久しぶりに彼女ができた。2年ほど身を粉にするほど仕事に一意専心だったぼくにとっては、実際の時間以上に久しく感じる。それほど、ぼくは熱中し没頭していたし、少しずつ、気づかないうちに魂をカンナみたいに削っていた。あるいは、気づきながらも。
学生時代、ぼくは子ども向けキャンプのボランティア団体に所属していた。彼女は、1年生のときから仲が良く、何度か同じ現場でリーダーをしたり、数人で飲みに行ったりする関係性だった。ただ、2人きりになることはあまりなかった。先日、たまたま2人で出かけることになり、会話を楽しんでデートをし、美味しくハイボールを飲み、時計を横目に終電を逃した。そうして、付き合った。
彼女は、ちょうど神戸のオフィス街の雑踏で、ビルとビルの間にある小道にひっそりと咲くたんぽぽのような切なさを感じさせる。わた毛のように吹けば飛びそうな刹那性は魅力的だったし、安心感すらぼくに与える。大学時代には気づきもしなかった。激しく惹かれたというよりも、ごく自然な磁力だった。
こういう安心感のある感情を女性に対して抱くと、どうやら大人になったなと感じざるを得ない。衝動と欲望に身を任せた、破滅の道とわかっていても走り抜けてしまう関係性というのは滅多に生まれなくなる。そんな関係がいくつかあった。最初のそれは遡ると、20年前。たった6歳の時。
熟語というのはうまくできていて、「人間」は人の間と書く。ぼくも漢字の示唆に漏れず、何かしらの人々との間に生きてきた。中でも「初恋」というのは、特に男子にとっては他のどんな関係でも代替できない歓びをもたらすし、場合によっては欠落を余儀なくさせる。これは、一人の大人になりきれない男の子の欠落についての回想だ。
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雨が降っているからか、ひんやりと涼しい。傘をさして歩く人々は、雨による気だるさよりも肌をそそる冷えた空気に気を取られていて、両の手のひらで両の二の腕をさすっている。鉛みたいな雨粒が窓を叩く音が、不思議と心地よいリズムとなって体に染み渡っていくのを感じる。
一方、マクドナルドでキーボードを叩くぼくの様子を俯瞰して捉えてみた。一体全体、大人になれたのか子どものままなんだろうか。真の子どもはパソコンで文章を書かないし、真の大人はマクドナルドでは仕事をしないだろう。自分の所在地というか、現在地というか、どこを向いているかというか、そういうことが時々わからなくなる。あぁ、雨のせいか。鉛みたいな雨音が続いている。
友人が結婚した。しかも、ただの結婚ではない。出産を伴った結婚だ。ただの出産を伴った結婚ではない。その女の子は、他でもない「初恋」の相手だった。あるいは、「初恋」では表現できないほどぼくという個人的な人間にとって決定的な影響を持つ要素だったし、そもそも「初恋」とは男子にとってはそういうものなのかもしれない。「初恋」の唯一性がゆえに比較できない。いつかもっと物分りが良くなってから、時効のファイルに入れる他なさそうだ。今日も何かを保留して、生きながらえる。
とにかく、今日ぼくは一人の具体的な女性が、一つの形而上的な思い出になってしまったのだ。完璧なまでに。こうして大人になるのか、とため息をつく。SNSは残酷なほど便利だ。想定できるあらゆるメジャーなSNSが、彼女の結婚と出産を誰かに報告するプラットフォームの役割を果たした。
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転勤が日常茶飯事な父の会社は、ぼくを家族ごと小学校入学と同時に東京へ追いやった。わずか6歳にしてみても、幼いなりに仲の良い友人と離れ離れになることはもちろん好ましいことではなかった。ジャズバーで演奏するの調子のいいトランペットみたいに奔放なぼくにとってもだ。東京入り初日、ディズニーランド併設のホテルで食べたオムレツの味だけが切なく舌の裏に刻まれている。あんなに美味しかったはずなのに、切なく。
しかし結果的に、仲の良い友人とのお別れも、ホテルの朝食で食べたチーズ入りのオムレツも、それらの切なさは一つの衝撃的な出会いによって忘却の彼方へ消え去ることとなったのだった。それほどに、彼女は可憐で、たった6歳にそれが適した表現かどうかは疑わしいが、美しかった。ひまわりみたいに溌剌としたエネルギー源のような力強さと、紫陽花みたいに憂いと儚さを纏った世界の深淵かのような華奢さを兼ね備えていた。わずか6歳にしてだ。
転校する意味がわからず(ぼくの住処と父親の仕事に何の関係があるんだ、と見当違いに怒っていた)、文字通り不貞腐れていたぼくに、心と身体の芯がカレンダーを捲る毎に冷えていったぼくに、か細くも力の篭もったその声で、核という核から膜という膜までを細かく素早く震わせたのが他でもない彼女だった。その振動による発熱は、ぼくの薄暗く湿った東京の生活を温めて掬い取るものだったし、それこそが狂った社会で生きようと思える駆動力のようなものだった。
「女の恋愛は上書き保存、男は名前を付けて保存」と誰かが言った。1999年、満6歳、世田谷の区立小学校の教室。一人の知り合いも居ない不安を足枷のように引きずりながら登校したぼく。2週間ほどの、とりあげるほどの仲の良さを獲得できないままに過ごした空白。葉桜が徐にその緑の割合を増していく4月の下旬。小さなぼくの体に起こったあの揺れは、名前をつけて保存したファイル群の中でも大きな容量を今もなお占めている。
体が小さく、頭もさほど良くなかったぼくが東京の小学校でも生きようと思えたのは、なんといっても彼女と仲良くいれたことに依った。名前順の冥利によって席が隣だったぼくたちは、自然と多くコミュニケーションを取り、自然と仲良くなり、そしておそらく強く惹かれ合っていた。そういう類の関係性だった。大人であれば、おそらく「恋愛」だかなんだかのタグに振り分ける類の。
しかし、今よりも更にずっと子どもだったぼく達には、その関係性を一体どのように扱えばいいのかがまるでわからなかった。それからも着実にぼくたちは関係を深め、お互いの家を行き来するようになり、2年生の夏休みには家族ぐるみでキャンプに行って、夜にはテントをあとにキャンプ場の裏手の森を探検して、その時だけは手をつなぐ。丁寧で確実で、それでいて不安げな手の取り合いだった。まるで彼女そのもののように。
彼女の手に、ひいては体にしっかりと触れたのは、後にも先にもこの時だけだ。夏と、夜と、湿った森林の非日常感だけが頼りだった。いつも彼女がぼくに与えた小さな震えは、その時ばかりは大きく強く心臓を打ち付けたことだけを覚えている。ただ、その音が聞こえないように強く祈っていたことも。
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「後にも先にもこの時だった」というのは、ぼくがその後またしても転校することになったことを示唆していた。3年生になるときにはクラス替えで廊下の端と端まで離れてしまって、4年生の7月にはぼくは転校することとなった。結局、この関係性を、この感情をうまく扱えるようになる前には、どうしようもなく岡山のとある高原の麓で暮らしていた。
「以外と運命なんてない」というのは大きな気づきかもしれない。ぼくたちは劇的にドラマチックな2年間を過ごしたし、それは運命と呼んで差し支えないタイプのものだったように思う。それでも、先月彼女は結婚をした。綺麗な、丁寧な名前が付いた男の子の出産と共に。なぜ、男の子なんだろう。勝手なこととわかっていながら、旦那だけでなく息子にまで嫉妬してしまうかもしれない可能性が脳裏をよぎり、ややあって下唇を乱暴に噛んでやり過ごす。大丈夫。ぼく達人間は、誰かとの具体的な秘密を少しずつ抽象的な思い出に変えて生きていくものなんだ。どれだけ多く秘密を、誰かと共有したかったとしてもだ。人間はそんなに器用じゃないから。検索をかけず、じっくりトーク履歴を遡って彼女を探しおめでとうの連絡を入れた。
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雨の音は先程より小さくなった。それでも、しとしとと確かに振り続けている。東京に向かった時や、岡山に向かった時と酷似した足取りの重さを感じる。それと同時に、胸の奥深くの何かの臓器の上あたりにぽっかりとした空洞を感じる。意味のない合点に少し口角を上げながら、人生ではじめて名前をつけて保存したファイルを心の中で圧縮して海馬に雑に放り込んだ。衝動と欲望の源泉の象徴を失ったぼくは、大人になるしかないのか。
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話には少し続きがある。そういえば大学生になって、気がつけばぼくらは互いに小学生時代を過ごした地元に戻っていた。皮肉にも、さきほど残酷な報告をぼくに突きつけたSNSによってぼくたちは再開し、また仲良くなり、件の時期とは違った形の関係性を育んだ。それは確実に「友人」の類のものだった。それでも、ある時のデートの帰り際でポツリと彼女が言ったセリフだけが、聞き分け悪くこだましている。
「あの時、今くらい大人だったら良かったね」
真意を図り損ねたあのセリフだけが、今もまだうまく圧縮できずにいる。いつまで経っても大人になれない。いつまで経っても、なれない。欠落の大きさと数が体に重なるたび、ぼくは一つの生命の尊さを感じざるを得ず、それはぼくを真摯に世界に向かわせたがる。世界がぼくに対してそうであるように。
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夜の街、雑多に居酒屋が並ぶ小さな通りのコンビニ前。ほとんど意思が介在しない習慣レベルで煙草を取り出し火を付ける。バニラの甘い風味。いつも通り。煙草にも「子どもだな」と煽られているような気がして、吸いかけを急いで捻って消した。煙が宵闇に消えていく。