命の終わりを自分で決める。安楽死を選んだ女性のドキュメンタリーを見て思うこと。
たった今、この番組を見た。
病気による猛烈な体の痛みに耐え続けてきたマリーケさん。
痛みに耐えられなくなったら命を終えるために、「安楽死」の書類にサインをした。
安楽死を決めたことで「死が怖くなくなった」「安楽死は生きる糧になる」と語り、色々なチャレンジを重ねる。
番組では、メダルを取ったオリンピックの様子から、痛みに耐えられず泣き叫ぶ様子、休日に恋人と遊園地を楽しむ様子、安楽死予定日の3日前に催されたホームパーティーの様子、そして葬儀の様子などが流れていた。
つらくても「いつか望めば、安楽死ができる」と思うことで、少し楽になるのは分かる気がする。
いざという時に逃げ道があるのはきっと、心強いことだろう。
でも「いつか」は、今じゃない。
「いつか」は漠然とした未来であって、未来の私なら受け入れられるだろうと思ってしまう気がする。
だけど、どこかのタイミングで「いつか」を「いつにするか」決めなきゃいけない。
それは決して簡単なことじゃない。
彼女も最初は「40歳になる前には」と言っていたのが、妹の子供が生まれるまでは…となり、少しずつ死が先延ばしになっていった。
でも、いよいよ体が限界を迎え、命を終える日を決める時が来た。
「いつか」が10月22日と決まった。
「苦痛から解放されるなんて幸せじゃない?」と言いながらも、恋人と抱き合いながら「嫌だ」と泣くマリーケさんを見て、胸が詰まった。
彼女は別に死にたいわけじゃない。
痛みから逃れたいだけだ。
それでも自分の命の終わりを決めることは、どれほど重い決断だったのだろう。
もしも自分だったら。
その日を決められるのだろうか。
そして大切な人がその選択をしたら。
私は受け入れられるのだろうか。
日本ではまだ法的に認められていない「安楽死」。
海外では、ベルギーやスイス、カナダなど、認められる国が増えているという。
以前にも、安楽死を選んだ女性の番組をたまたま見かけて記事にした。
この時亡くなったのは、日本人の女性だった。
日本でも認められたら、救われる人がいるはずだ。
軽はずみに言ってはいけないのかもしれないけれど、合法化されたらいいのにと思う。
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