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命の終わりを自分で決める。安楽死を選んだ女性のドキュメンタリーを見て思うこと。

たった今、この番組を見た。

「生きるこだわり 安楽死を選んだパラ金メダリスト」
2019年、40歳で安楽死を選択したベルギーの車いす陸上選手で、パラリンピック金メダリストのマリーケ・フェルフールト。脊髄に進行性の疾患があり、耐えきれないほどの痛みと戦ってきた。
2008年、安楽死に必要な書類に署名したことで「人生の主導権を握れた」という彼女はその後、ロンドンとリオデジャネイロ、2つのパラリンピックに出場し、4つのメダルを獲得した。最後の3年間に寄り添ったドキュメンタリー。 

病気による猛烈な体の痛みに耐え続けてきたマリーケさん。
痛みに耐えられなくなったら命を終えるために、「安楽死」の書類にサインをした。

安楽死を決めたことで「死が怖くなくなった」「安楽死は生きる糧になる」と語り、色々なチャレンジを重ねる。

番組では、メダルを取ったオリンピックの様子から、痛みに耐えられず泣き叫ぶ様子、休日に恋人と遊園地を楽しむ様子、安楽死予定日の3日前に催されたホームパーティーの様子、そして葬儀の様子などが流れていた。


つらくても「いつか望めば、安楽死ができる」と思うことで、少し楽になるのは分かる気がする。
いざという時に逃げ道があるのはきっと、心強いことだろう。

でも「いつか」は、今じゃない。

「いつか」は漠然とした未来であって、未来の私なら受け入れられるだろうと思ってしまう気がする。

だけど、どこかのタイミングで「いつか」を「いつにするか」決めなきゃいけない。
それは決して簡単なことじゃない。

彼女も最初は「40歳になる前には」と言っていたのが、妹の子供が生まれるまでは…となり、少しずつ死が先延ばしになっていった。

でも、いよいよ体が限界を迎え、命を終える日を決める時が来た。

「いつか」が10月22日と決まった。


「苦痛から解放されるなんて幸せじゃない?」と言いながらも、恋人と抱き合いながら「嫌だ」と泣くマリーケさんを見て、胸が詰まった。

彼女は別に死にたいわけじゃない。
痛みから逃れたいだけだ。

それでも自分の命の終わりを決めることは、どれほど重い決断だったのだろう。


もしも自分だったら。
その日を決められるのだろうか。

そして大切な人がその選択をしたら。
私は受け入れられるのだろうか。


日本ではまだ法的に認められていない「安楽死」。
海外では、ベルギーやスイス、カナダなど、認められる国が増えているという。

以前にも、安楽死を選んだ女性の番組をたまたま見かけて記事にした。
この時亡くなったのは、日本人の女性だった。

日本でも認められたら、救われる人がいるはずだ。

軽はずみに言ってはいけないのかもしれないけれど、合法化されたらいいのにと思う。

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