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七夕に「芋の葉の露」で墨を磨る(2)ーなぜ書くか

【スキ御礼】「歳時記を旅する5〔芋の葉の露〕中*芋の葉の要かなめの露の玉


日本では、大陸から乞巧奠という行事が入ってくる前から、七月七日は宮廷の節日になっていた。 


「凡そ正月一日、七日、十六日、三月三日、五月五日、七月七日、十一月大嘗だいじょうの日を、みな節日せちにちと為よ、其れあまねくし賜わんは、臨時に勅け」
〔養老令・雑令〕

『平安時代儀式年中行事事典』廣済堂 2003年

この七月七日の節日には、宮廷では相撲すまい賦詩ふしが二大行事が中心だったという。

「天皇相撲戯を観る、是の夕べ南苑に徒御し、文人に命じて七夕の詩を賦せしめ、祿を賜うことしなあり」
                                            〔『続記』・ 天平六年(734)七月七日条 〕

同上

「神泉苑に幸し相撲を覧じ、文人をして七夕詩を賦せしむ
〔『後紀』大同三年(808)七月七日条〕

同上

万葉集にも、牽牛と織女が相逢う二星会合の歌が数多く詠まれており、日本では、七月七日には、歌を詠むことが宮中の行事として行われていたと考えられる。

中国から乞巧奠の行事が日本の宮中の行事に定着してからも、その乞巧の神事のあとに歌を詠むことは続けられていた記録がある。

「或有御遊御作文事、事了給禄」
                『江家次第』

山中裕『平安朝の年中行事』塙書房 1972年
 

ただ、七月七日に歌を詠むことと、芋の葉の露で墨を磨ることとを関連づける記録は見当たらない。

中国では、明代になって一部の地域で七夕に蓮の葉に集めた露を飲む、という風習があることがわかっている(王鏊「姑蘇志」1506年)。

日本では、室町時代になって、連歌用語辞書『藻塩草』(宗碩著1513年頃)に「芋の葉の露」という項で、七月七日に歌を書くために芋の葉の露を使うことがはっきりと記載されている。

芋の葉の露 [藻塩草]露取草とは、棚機の歌を書付かきつくるに、芋の葉の露にてかく也、云々。」

『増補 俳諧歳時記栞草(下)』岩波文庫 2000年

中国での七月七日に「露を飲む」という風習が、どういう変遷で日本で「露で書く」になったのか、あるいは、中国ですでに「露で書く」という風習があって、それが日本に伝わったものなのかわからない。

文献では、七夕の日に芋の葉の露で習字をするという風習は「おそらくは近世時期に、中国南方地域との交流の中で伝来した風習なのであろう。」(小南一郎『西王母と七夕伝承』平凡社)とある。

こうして、日本では七月七日に芋の葉で集めた露で字を書くことになったのだが、それでは、露を集めるのはなぜ「芋の葉」なのか。

*(3)に続きます。(近日投稿)

☆古来から和歌を書き記していたとされる梶の葉。七夕と梶の葉との関係の記事を 石崎功(きもの研究家) さんが投稿されています。ご紹介いたします。

(岡田 耕)

ありがとうございました。(2022年8月8日付)


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