歳時記を旅する58〔寒〕前*豆腐屋の湯気とめどなき寒の内
土生 重次
(昭和五十八年作、『扉』)
京都の嵯峨豆腐「森嘉」は安政年間から続く豆腐店。五代目森井源一は、一九六七年、十八歳で家の仕事に就いた。当時父がこだわっていた薪で炊く地釜についての苦労を語る。
「とにかく、地釜は、直火で焚くので炎の調整が難しいんです。お湯を沸かしたあと、沸いたお湯の中にすりつぶした大豆の呉を入れて、それを焦げ付かせないように炊き上げるわけです。それが生炊けになってしまってはダメだし、ちょっとでも炊きすぎたら焦げてしまうし、かなりシビアな作業なんです。それをうまく炊き上げることによって、お豆腐に香ばしい豆を煎ったような匂いが移ったり、炊き足らなかったら青臭いお豆腐になったりする。(略)ガスの火力じゃダメなんです。…」(森井源一『豆腐道』新潮社)
句は、街の小さな豆腐屋。寒い朝の早くから、火事の煙かと思うくらいの湯気が、窓や出入り口から溢れ出ている。
注)「呉」とは、水に浸した 大豆 をすりつぶしたもの。
(岡田 耕)
(俳句雑誌『風友』令和七年一月号「風の軌跡ー重次俳句の系譜ー」)
☆記事にある嵯峨野豆腐「森嘉」さんを ちゃい さんがレポートされています。 ご紹介します。
写真/岡田耕(嵯峨野「森嘉」)