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歳時記を旅する40〔灼く〕前*赤錆が灼け鉄塔の脚を食ふ
土生 重次
(昭和五十八年作、『扉』)
横浜のマリンタワーは、昭和三六年の一月に開業した。
元町周辺の観光スポットの骨格はこの頃に形作られている。
前年に接収が解除されている山下公園に、氷川丸が九月に繫留され、十月には元町商店街で「チャーミングセール」が始まった。
翌三七年には、港の見える丘公園も開園した。
その翌年、吉行準之助の小説『砂の上の植物群』には、マリンタワーが「眼の前に、塔が立っていた。塔の胴の中を、黄色く燈を灯した昇降機が、上下しているのが見えた。最近建てられた観光塔なのである。…」と描かれている。
句が詠まれた年は開業二二年目。灼ける暑さの中、タワーが錆で蝕まれていることに一抹の不安を感じている。
(岡田 耕)
(俳句雑誌『風友』令和五年七月号「風の軌跡ー重次俳句の系譜ー」)