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どうして茅の輪をくぐるのか(その4・完)
【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その1)
【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その2)
【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その3)
どうして茅の輪をくぐるのか。
その由来と神話とのかかわりについて、歴史学者・東洋古代思想史研究家 村上瑞祥さんのコラムに興味深い説明があったので、これまでの疑問ごとに結論の部分を抜粋、要約する。
1)なぜ「茅」なのか。
⇒中国では古くから茅は魔除けとして、また神前に備える供物として使われてきた。漢字の「茅」の文字は、「草の矛」という意味を持つため、葉の持つ矛のような形状が、強力な神威の現れだと考えられていた。
2)なぜ素戔嗚尊なのか。
⇒スサノオの正体は、父神から海を統治することを命じられていることから、水神(龍神)である。
3)なぜ輪にするのか。
⇒水神(龍神)であるスサノオが、蘇民将来に茅の輪を身に付けるように言ったのは、茅の輪はとぐろを巻いた蛇もしくは龍の形であり、それは自分の姿を形取った形代(身代わり人形)という意味を持っていた。
4)なぜくぐるのか。
⇒それは古事記の中に書かれている「国生み神話」でイザナギとイザナミが左右で回り出会ったところで、国や神、スサノオたちを生んだという故事に由来している。
5)なぜ6月30日なのか。
⇒初秋のお盆に先祖霊が帰ってくるという考え方と、神道の水神信仰とが混じり合って生まれたのが「水神様が7月15日に来訪される」という信仰に繋がった。
茅の輪潜りは7月15日に来訪すると言われている水神様をお迎えするための準備の儀式で、6月30日に執り行われる。
6)何のためにくぐるのか。
⇒目的は水神様を迎えるにあたり穢れを祓い清めることにある。
これで、茅の輪くぐりと、その由来とされる素戔嗚尊の神話については理解できた。
特に、水神様を迎えるためというのは、確かに『年中行事絵巻』のお祓いも池の前に神具が設えてあった。
宇佐神宮の菅貫神事でも、水による祓を象徴する川を模したというジグザグの形の紙飾りが付いた三つの川御幣(写真)設えられている。
菅貫神事は、元来、池や川などの水辺で行われていたのだろう。
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最後にわからないのが、現代の我々は、なぜあんなに大きな茅の輪をくぐるのかということ。
由来とされる神話では素戔嗚は、蘇民将来に茅の輪を授けたり、身に着けるようには言ったが、くぐりなさいとは言っていない。しかも腰につけられるほど小さなものだ。
素戔嗚が授けた茅の輪は、自身の形代だということならば、茅の輪は素戔嗚の本人そのものである。
後世の神事で茅の輪をくぐるのは、こしらえた茅の輪が素戔嗚のものであることを水神様にお示しするために、素戔嗚が生まれたという神話にならってくぐってみせるのではないか。
神話では、茅の輪は素戔嗚尊の形代で本人そのものなので、わざわざくぐってみせる必要もなく、くぐれるほど大きくする必要がないのだ。
また、神話のあらすじでは、素戔嗚は泊めてもらったお礼に、後日、茅の輪を蘇民将来に授けることになっている。
道に迷うほどの遠くで出会った蘇民将来の家にまで、くぐれるほど大きな茅の輪を持ち歩くのは、たとえ感謝の気持ちがあったにせよ、難儀だったにちがいない。だから持ち運びのできる小さな茅の輪なのかもしれない。
それにしても現代の茅の輪のあの大きさは何だろう。
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想像のヒントは、この茅の輪くぐりは、江戸時代に入ると一般庶民にも広がったということにある。
宇佐神宮の菅貫神事では、宮司と神職が自らを清めるためにお祓いをした。
また平安時代の「年中行事絵巻」では陰陽師が宮中の貴族のお祓いをしていた。
これまでは、茅の輪をくぐるのは、宮司や貴族など特定の人に限られていた。それが庶民に広がったということは、神社の神職が不特定多数の人のお祓いをすることになったのである。
始めは神社の神職が希望する参拝者一人ひとりにフラフープほどの大きさの茅の輪をくぐらせていたかもしれない。
それが大人数が希望するとなれば、神職の手に負えなくなったのだろう。
茅の輪は、くぐることが大切なのであって、誰がくぐらせるかは神事の目的からすれば問題ではない。ならば、参拝者に自分でくぐってもらってはどうか、と考えた神職がいたのではないか。
ただ、神職のそばで直径四~五尺の輪を一人三回くぐらせるだけでも時間がかかるし、日も暮れてしまう。
それなら境内に置いておけば、神職がいなくてもお祓いできるのではと考えた。
しかし、輪を置いておくだけでは盗まれてしまう。それならと、鳥居や大木に立てかけて結んでおいたら、今度は、自分でくぐるには腰をかがめねばならず、くぐりづらいと苦情がでた。
ならば、いっそのこと、立ったまま歩いてくぐれるように、輪をもっと大きくしてはどうかと考えた。
これは神社側もまた大きな利点がある。
神職はそのお祓いに立ち会う必要はない。時期になったら大きな茅の輪を境内に据えておけば、多くの参拝者が来てくれる。
卑近な例で恐縮だが、スーパーマーケットのレジで店員が商品の一つ一つをバーコードリーダーにくぐらせていたものが、お客様がセルフレジで自分で商品をバーコードリーダーをくぐらせて会計をしてくれるのに似ている。
すなわち、茅の輪くぐりは神職のいない「セルフ神事」なのである。
しかも夜中でもくぐることが出来る「24時間営業」である。
これで茅の輪が大きくなって、いつでもくぐりやすくなったが、それだけでは庶民に普及することはなかっただろう。
宮廷で行われていた神事が一般庶民に普及するためには、利益に結び付く分かりやすい物語が必要である。
宮中で五節の神事であったものが、現代に一般庶民の間で三月三日のひなまつり、五月五日のこどもの日、七月七日の七夕さまに変遷したのがその例である。九月九日の重陽の節句が一般に普及しないのは、その目的と利益が庶民にはわかりづらいのである。
そこにうってつけだったのが素戔嗚尊の神話である。
蘇民将来は、茅の輪を身に着けただけで一家は疫病から免れたというのである。
神社に行って茅の輪を三回くぐるだけで蘇民将来のようにお祓いになることが、江戸時代の庶民の間で噂で広まった。それで神社に多くの参拝者が訪れるようになったのだろう。
各地の神社もその盛況ぶりを知って、鳥居や神前に大きな茅の輪を据えるようになったのではないだろうか。
これもまた卑近な例で恐縮だが、アメリカ大リーグで活躍する日本人野球選手が化粧水のCMで「肌を整える。自分が整う。」と言ったら、百貨店に多くの人が詰めかけて、売上が激増したそうだ。
憧れの有名人がその商品やサービスを使っていると聞けば、庶民がその方向に一斉に向かうという消費行動は江戸時代も現代も変わらない。
素戔嗚尊は、茅の輪くぐりのイメージタレントの役割を果たしていたのだ。
ただ、我々が忘れてはならないのは、蘇民将来の一家が疫病から免れたのは、宿がなくて困っていた素戔嗚尊に、貧しいながらも心づくしのおもてなしをしたからということだ。
化粧水のCMの野球選手も、CMの初めの部分で、「やることをやってきたか。いい顔ができているか。」と鏡の前で自分に問いただしているではないか。
茅の輪は、ただくぐればご利益があるというものではないのだろう。
結局は、日ごろの行いが大事なのだ。
(岡田 耕)
*参考文献
・國學院大學伝統文化リサーチセンター資料館企画展「おはらいの文化史」 - 8 『宇佐御祓図』 (kokugakuin.ac.jp)
・小松茂美 編『コンパクト版日本の絵巻8 年中行事絵巻』中央公論社1994年
・第19回 『年中行事絵巻』巻十「六月祓(みなづきばらえ)」の寝殿造を読み解く | 絵巻で見る 平安時代の暮らし(倉田 実) | 三省堂 ことばのコラム (sanseido-publ.co.jp)
・菅贯神事/宇佐市 (city.usa.oita.jp)
・祭儀の詳細 | 八幡総本宮 宇佐神宮 (usajinguu.com)
・長田なお『陰陽五行でわかる日本のならわし』淡交社2018年
・なぜ「夏越の祓」で茅の輪くぐりをするのか? 蛇神の形代を使う摩訶不思議な神事の秘密 | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】 (homes.co.jp)
・『コスメデコルテ』が、No.1(※1)美容液の広告に大谷翔平選手を起用! 新TV-CM「自分が整う」篇 3月16日(木)から全国オンエア開始 | 株式会社コーセーのプレスリリース (prtimes.jp)