歳時記を旅する52〔夕立〕後*含羞草眠らせて去る夕立かな
磯村 光生
(平成八年作、『花扇』)
正岡子規は、芭蕉の『奥の細道』に影響されて、明治二十六年七月十九日から三十三日間にわたる大旅行に出た。初日は汽車で上野を発ち、宇都宮の知人宅に泊まる。
「驟雨瀧の如く灑ぎて神鳴りおどろ〱しう今にも此家に落ちんかと許り思われて恐ろしさいはん方なし。」(「はて知らずの記」)との目に遭う。
そこでは「夕立や殺生石のあたりより」との句を詠んだ。
この夕立を降らせる雲は、関東地方北部の山地で生まれる積乱雲。
芭蕉の訪れた殺生石は、宇都宮の北六十キロメートルにある那須連山の茶臼岳の中腹にある。
句の含羞草の別名はおじぎ草。その葉は暗さや刺激で閉じる。夕暮を前に夕立の雨粒が葉を閉じさせて去って行った。夕立のあとの西日に、含羞草の葉の雨粒が輝いている。
☆句の季語になっている含羞草(おじぎ草)について、煌乃☆拓光/キラノ☆タクミ さんが写真入りで説明されていますのでご紹介します。
(俳句雑誌『風友』令和六年七月号「風の軌跡ー重次俳句の系譜ー」)
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