4-4/最終章|ニヒリズムとプラグマティズムの先にある新たな人間像【落合陽一を批判的に読む】
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ヒカキンは死んだ
古田更一というクリエイターがいて、年齢は僕のちょっと上ぐらいの人なんだけど、YouTubeで「カオスフォレスト」で検索してググってほしい。その人について話していこうと思っていて、その人は、天才だって話をしていこうと思います。どんな人間かっていう話もできたらいいなって思っています。
今日、えびすじゃっぷのライブ放送観ていたのね。えびすじゃっぷって、めちゃくちゃつまらないの。何でつまらないかと言うと2つ挙げられて、えびすじゃっぷはYouTubeライブがつまらない。TikTokがつまらない。この2つ。
それぞれ詳しい説明をすると、えびすじゃっぷのYouTubeライブが何でつまらないかと言うと、アーカイブで観ると全く面白くない。
その場にいると楽しいんだろうね。でもアーカイブで見ても何の情報量も価値もないし、こういう動画は世の中から消えるべきだと思う。TikTokは何がつまらないかと言うと、えびすじゃっぷはメンバーが3人いて、フジ・森山・けすって言うのだけど、この順番がいつも変わらないわけよ。いつもフジが真ん中で。
俺はTikTokだったら、森山を真ん中にしたほうがいいと思うんだよね。TikTok、森山がわからない人もいるかもしれない。フジっていうのは、ブサイクだけど、背が高くてかっこいいんだよ。それで、一番面白いやつ。森山っていうのは、つまらないやつで滑舌も悪いんだけど、イケメンなの。TikTokで真ん中にするべきなのは森山なわけよ。これだけでわかるでしょ?なのに彼らはそれをやらないわけよ。あくまでもえびすじゃっぷっていう言葉概念に囚われて、フジを真ん中にしちゃうわけよ。
要は、えびすじゃっぷはTikTokを全然楽しんでやっていないし、そもそも伸び方がわかっていないんだと思う。伸びようとしていないのか、両方だと思うけど。
と、いうことで、本当に伸びる…バスろうとしていないと思う。そういう話をしたのは何でかと言うと、古田更一という人のYouTubeのスタンスの話をまずしようと思う。「古田更一は何者かという話をしてくれ」とも言われているし、俺も俺でまとめないといけないなと思って。
俺は、彼をYouTubeで見つけたわけよ。YouTubeで、こんなに一番面白いYouTuberはいない。それまで俺、えらいてんちょうという人が一番面白いYouTuberだと思ってたから。その前は、平塚正幸かな。
ナンバーワン・ユーチューバー
ライブ配信をするYouTuberを結構観てて、古田更一の出す動画っていうのは、端的に言って今の2つを完全に満たしいてるわけ。ちょっとレトリックも入っちゃったけど、えびすじゃっぷとのライブ配信の違いは、後から観て面白いようになってるわけ。俺、たまに観るから普通に。今も古いライブ配信を観ていられる。
なんでかと言うと、ずっと喋ってる。ずっと何かについて喋ってる。えびすじゃっぷは最初、「はいどうもぉー、はじまりましたぁ」って言ってさ、その後ずっとふんぞり帰ってるわけよ。時間が遅すぎる。
もうその段階で、後から観るようなことを想定してないわけよ。もっと言うと、テレビ的な価値観なわけ。テレビっ子がYouTubeをやろう!それで、伸びよう!と思うと、あれが最適化になる。なんでかと言うと、テレビというのは、録画を前提にしていない。
テレビというのは、リアルタイムで皆がぱっと観るのを前提にしてるけど、YouTubeというのは全く考え方が逆で、検索機能があるからもうオンデマンドなわけよ。はっきり言って10年後に向けて動画を作らないと残らない。俺のこの動画も実は、10年後は言い過ぎかもしれないけど、5年後に向けて作っていて、5年後に俺が仮に思想犯として処刑されたとしたら、確実にこの動画は出回るわけじゃん。
別にそうなりたいな、とか言ってるわけではないけど、犯罪者で捕まったらこの動画って伸びるわけじゃん。そういうのがあるから現在の登録者数って本質的に全く関係ないわけよ。適当にヒカキンとかヒカル、シバターとかてんちむとかを引き合いに出すけど、あそこでトップYouTuberはやったことがあるんでしょうけど、それの二番煎じというか、そもそも彼らの動画自体、10年後にはもう三本ぐらいしか残らないだろうし、そこで残ってるのがやっぱり古田更一だと思う。そこに俺もあってほしいけど、やっぱり古田更一だと思う。
古田更一の特異な動画投稿スタイル
彼の動画投稿スタンスは、ライブ配信は後から観られることを完全に想定している。これは、やろうとやってる部分もあるだろうし、本当に天才だから意識してやっているかどうかは正直不明。ただ確実なのは、彼はYouTubeをゴミ情報システムだって思ってるから、後でも観られるように、いっぱい喋っているみたいな感じだと思う。
古田更一のYouTube動画は大きく2つあって、後から観られる長い動画と、今その時の短い動画なの。短い動画から入ってるから、彼は多分、俺が見る限りでは。一度彼は不謹慎系YouTuberとして成功しているのもそれを示してる。
ライブ配信し始めたのはいつかわからないけど、最初の方は色々なYouTuberを批評したり、彼は本が好きだから、好きっていうか沢山知ってるから、その知識を紹介するみたいなことをやってるわけよ。1分くらいで喋るみたいな、そういう所から入っていて、今それの完全進化系が15秒で喋る。
これ多分検索したらそういうのばっかり出てきちゃうから、みんな戸惑わないでほしいのだけど、アドとか…色々なバズワードでガーシーとか、ウクライナとか、そういうバズワードに絡めて15秒くらいの「これはこうだよね?」っていう動画あげてるわけよ。その量が引くっていうか、すごい。TikTokでえびすじゃっぷの弱いところを完全に克服していて、別にえびすじゃっぷから彼が生まれたわけじゃないけれど、えびすじゃっぷと比較するとわかりやすい、という話で。
しかも、古田更一はYouTuberって言われることをすごい極端に嫌うわけ。俺は、古田更一をYouTuberっていう風に定義したいわけよ。だけど彼は、YouTuberって言われるとヒカキン、シバター、えびすじゃっぷと並んじゃうから嫌だなって思ってるんじゃないかな?って俺は思っていて。そんなことがあって、YouTuberって言うのはおかしいわけ。
本当は人間があって、YouTubeを道具として使うっていうスタンスが正しいわけよ。
一億総YouTuber時代
だけど、これを彼は彼自身の言葉で「一億総批評家時代」と言っていて、俺は「一億総YouTuber時代」じゃないかと思うわけ。
ここの違いって結構重要で、俺の定義からすると古田更一の態度ってYouTuberそのものなわけ。こういう、毎日垂れ流す系じゃないけど、やっぱり5年後にも検索されない動画だったら意味ないな、と思って作ってるから。
「逆精神病院」という俺の前やっていたチャンネルは、ここで医科歯科大学の話をするのが限界だったわけよ。医科歯科大学とか医学部とか高学歴とかIQとか、そういう話をするのが限界だったわけ。
初見の人に対して、俺の話がどれくらいの受け方をするのかっていうのが完全に把握できなかった。予測全くできなかったから。
今はここにどういう層の人が、俺からどういう情報を求めているのか?というのが、だんだんわかってきたから、もっと複雑かつドメスティックかつ日常的な話題ができるようになってきたわけよ。わかる?別にわからなくても…いや、わからないとだめなんだけど。
間違えすぎる古田更一評論
古田更一評論みたいなのは大きいものが2つあって、1つ目は、2年前くらいに書かれたまつたけ大王っていうブログの文章によると、古田更一は「はるしにゃんの生まれ変わりだ!」みたいなことを言っているわけ。はるしゃにゃんって言うのは、そういう思想サークルみたいな人の中でちょっとした有名人で、その人が最後、ニヒリズムで自殺したわけよ。
それよりも彼からはポジティブさを感じるけど、結構似てるよね、みたいな。はるしにゃんの反対だよね、みたいな評論なのだけど。
また、カルテブランシェさんという人が2個目の古田更一評論を書いたわけ。『日本にはまだ古田更一がいるじゃないか』ぱくもとの精神と時の部屋というチャンネルなんだけど、思想不謹慎とは何かという動画で、彼のことを不謹慎系YouTuberという風に定義しているわけ。
「純粋不謹慎」が坂口章、遠藤チャンネル、キラー仮面、あとへずまりゅうもかな?純粋に不謹慎なことをやるというか、逆張りみたいな。純粋の逆張りで、もう一つがメディア系不謹慎というのがあって、これはコレコレとか、よりひととかが該当してて、へずまりゅうも地味にこっちかもしれないし、みずやんとかもだと思うのだけど、シバターとかはプロレスとして逆張りじゃないけど、なんていうのかな…俺も前の話だし忘れちゃったけど、そういうのが該当していて。
彼は、一般的には不謹慎系YouTuberと言われないような人を不謹慎と言っていて、最後にあるのが思想系不謹慎だっていうわけ。古田更一はある特定の思想を広めるために不謹慎系YouTuber的な振る舞いをしているんだ!ということを言ってるわけよ。
でも、古田更一本人は、このまつたけ大王もカルテブランシュさんのやつも両方とも間違ってると言ってて、俺もそれはわかるわけ。両方とも外してるんだろうなって思って。
これが3つ目の評論になるかもしれないんだけど、文章書くかもしれないんだけど、認められたいんだけど、古田更一が今出てきた理由っていうのが、YouTubeに投稿するのって本当に誰でもできるわけよ。そこにちょっと気づいていない人が多すぎる問題っていうのはあると思っていて。本当に誰でもできるし、個々人のYouTubeに使っていい時間みたいなのは、個人差があると思うわけよ。
YouTubeを利用できる人間
5時間YouTubeやっていい人間と、1時間しかYouTubeやっちゃいけない人間と、殆どやっちゃいけない人間と、という風にグラデーションがあって。だけど、みんなYouTubeを使わなきゃいけない。なんでかと言うと、観るってことはコメントしたり、自分で発信そのものをしたりとか、そういう発信とかチャンネル持って情報集めたりするっていうのは、個人としては絶対にやらなきゃいけない。価値観の読み替えが必要。選ばれた人間だけが発信できるって考え方がテレビの考え方だから。
えびすじゃっぷは、「イエーイはじまりました!50万人いくまでライブします。じゃ、ちょっと挨拶やる?ファミリーやる?せーの、ファミリー!」とか言ってるわけよ。こんなの後から誰も観るわけないじゃん。しかもえびすじゃっぷを知らない人からみたら、本当に痛い奴らだな、こいつらおっさんだし、ガキも産まずにもう27歳でしょ?死ねよって。
俺は最近思ってきたよ。前は結構えびすじゃっぷ好きだったけど、今は自分が立場とか年齢とかが上がってきて、社会人としてある程度認められてくると…半年しか働いてないんだけど。えびすじゃっぷっていうのは、結構雑魚だったということがだんだんわかってきて。
何が言いたいかというと、古田更一というのは俺の定義でいうと、やっぱりYouTuberなわけ。だけど、YouTuberの定義の読み替えをした上でのYouTuberなわけ。彼はYouTubeを使える人間なわけ。YouTubeを使える人間じゃないと、そもそもYouTube使えない人間というのは、もうググれない人間と全く同じ意味だから。
YouTubeをアクティブに活用できない人間というのはググれないのと最早等しくて、専門家に頼るしかないわけよ。だからマスクするしかないわけよ。そういうことなの。
これから、そういうググれない、自分の頭で考えられない人間っていうのは不要だし、普通に死んだほうが良いっていう話にもすらなってくる。これは落合陽一と古市憲寿が論争してる通り。ちゃんと4年前位に論争して炎上してる。
このような状況は俺も思ってるから。そこで出てきたYouTuberの使い方を研究している、彼は作家でもあって、YouTubeの使い方が上手すぎるわけ。俺、本当にこの動画って絶対5年後に5000回、回ってると思うんだよ。これ本当の話だから。だって後から観られるように作ってる。古田更一か逆精神病院のどっちかが有名になるから。だからこの動画が有名にならないわけないよ、この動画をピンポイントでいったときにね、みたいな視点で動画撮ってるから。
彼と僕は作家だっていう話をしていて、使い方が上手すぎるわけ。天才なわけ。
最近俺は追い出されちゃったんだけど、カオスフォレストという批判家集団というのがあって、それをやってたわけよ。
周りにYouTuberになりたいみたいな人が集まってくるわけよ。俺らの定義でいうところの新しいYouTuberだよね。自分の話、最近は中尺動画っていうのが流行ってるんだけど、流行ってるっていうか、俺の逆精神病院メソッドで、古田さんが読み替えてくれて中尺動画って言ってくれてるのだけど、それが流行っていて、多分これから増えていくと思うのだけど、そいつらってみんな俺らからすると甘いわけ。
行動の先にあるもの
俺らっていうか、多分古田さんからすると俺もかなり甘いんだけど。だから古田さんからすると全員甘いわけ。それは、古田更一が天才だからであって、そういう宿命を持って生まれてきたんだと思う。環境とか諸々を含めて、彼はYouTubeをやりたくないのにYouTubeやらざるを得ないとか言っていて、これは本当にそのとおり。彼がやらないと、能力的に一番だから。俺が二番だから。
彼がやらないといけない仕事なわけよ。だからやってるわけ。だから全然YouTuberなんてやりたくないとずっと言ってるんだけど、動画自体は2000本上げてるし、俺も500本上げてるんだけど、彼も2400本あげて、毎日炎上して、再生回数が何百万回とかやってるわけよ。それで一日10本ショート動画上げてるわけよ。もっとかな?20本くらい上げてるわけよ。
最近は5分くらいの中尺動画を13本くらい上げてるわけよ。そういう人だってことを一応ここに残しておきます。
一晩考えたんだけど、これ以上はちょっと無理かな。昨日ライブで求められたというか、「古田更一評論を書いてくれ」と言われたから、そういうのもあって今出してるんだけど、これで評論になってれば嬉しいんだけど、俺はこれ以上出せないわ。
メディア革命が起きている
本というメディア?紙に色々書いてまとめると印刷できるみたいなことってあるじゃん。そういうテクノロジーの変化とともに本てあるじゃん。教科書とか説明書とかも本じゃん。新書だけじゃなくて、小説も本だし、そういうのがあって、本というメディア革命が活版印刷、1500年代くらい、ルネサンスの1400年代くらいにあって、中東の方で。アラビアかな?その辺の時にあった革命と同じようなことが起こっていて、彼は動画を量産せざるを得ない理由があるわけ。それは何かと言うと、メディア革命なわけ。おわかりですか?
だから古田更一は作家だっと思う。とりあえあえずカオスフォレストで検索して登録するといいよ。例えば、就職活動が嫌だなとか、大学受験が嫌だなって人は、見たほうがいいよ流石に。その道をはるか先にずっと掘ってる人がいるから。
今の日本にこのままいても不安だなとか、親の言うこと聞いていいのかなとか、こういうガキは全員見るべきだと思ってる。そういう話でした。じゃあね。
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