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【古文書を読む】本居宣長『古事記伝』

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左:書道家タケウチ 右上:書道家板谷栄司with鯖大寺鯖次朗 右下:ジャズギタリストタナカ


古文書を読むシリーズ②


先日書いた「五榜の掲示」を読んでみた記事↓↓

読者さんからコメントを頂き、「ぜひ『古事記伝』を!」とのことだったので、早速取り上げてみたいと思います。



古文書はなぜ読めない、読みにくいか


ちょっとその前に。古文書を読むのというのは、とても難儀なもの。なぜ読めない、読みにくいかの要素をまとめておきたいと思います。

  • 漢字の草書体(くずし方色々)が読めない

  • 漢字の旧字体(異体字)が読めない

  • 今は使われない合字などが読めない

  • 昔の平仮名(くずし方色々。現代では変体仮名)が読めない

  • 漢文のレ点、一二点などが現れることもある

  • 句読点が無いものが多い

  • 濁点・半濁点が無いものが多い

  • 書物が傷んでいて見えない

  • ハンコ(蔵書印)で見えない

  • 手書きのブレがある

  • 誤字脱字の可能性もある

これらの問題が複数立ち現れ、苦労して文字が読み解けたとしても、さらなる大関門!昔の言葉の意味が分からないっっ・・・!と言うことにもぶち当たります。何重苦・・・!!いやまじで・・・。

古語辞典、くずし字辞典などを用いながら、この時代にはこういう言葉の言い回しありがち、あの事実と結びつけるとおそらくこうかな、部首は分かるからこれだな!といったように類推に類推を重ねて読んでいきます。

書き文字と時代背景に詳しい人物、つまり書道家と歴史学者がいると読みやすい・・・!

ちなみに、お字書き道TALKSでは、
平仮名」⇒1900年以前の複数あった平仮名
ひらがな」⇒1900年以降の一音一字の現代のひらがな
と表記統一しています。

筆者は書道家でありますが、平仮名は絶賛勉強中の身。そして歴史に滅法弱い・・・(「小学生でもわかる日本史」のような本で勉強し直しています)

この古文書シリーズでは歴史学をやっていた方にアドバイザーになっていただきながら、読み進めています。

▼古文書を読むのに便利なアプリ&サイト
《アプリ》
みを(miwo):AIくずし字認識アプリ
変体仮名あぷり・The Hentaigana App
雲章書法字典
《サイト》
くずし字データベース検索(平仮名(変体仮名)・カタカナ・漢字)
変体仮名 一覧表(フォントも利用できる)
AI 手書きくずし字検索


『古事記伝』とは


さて。
現存する日本最古の書物『古事記』は、奈良時代、712年に書かれた日本神話を含む歴史書。原本は存在せず写本として残っています。

その『古事記』の注釈書として、江戸時代に本居宣長によって書かれたのが『古事記伝

▼本居宣長(もとおり のりなが)
本居 宣長(1730-1801年)は、江戸時代の国学者、医師。

当時オランダ語で学ばれた西洋の「蘭学」に対し、日本古来の文学を研究したのが「国学」。本居宣長は国学の中心的人物。「国学の四大人(しうし)」(他、荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵(かものまぶち)、平田篤胤(ひらたあつたね)のひとり。

『古事記伝』は、1764年から起筆し、その間に『玉勝間』や『うひ山ぶみ』などの執筆も挟んで1798年の晩年にかけて成立した。

(Wikipedia:古事記伝より一部抜粋)

『古事記』を研究するということはすなわち万葉仮名を研究することでもありました。(もともと、宣長は万葉集の研究者だった。)
あとで出てきますが、本居宣長は万葉仮名遣いにこだわりがあった人でした。


『古事記伝』を読んでみよう


『古事記伝』の書物として何種類か残っていますが、今回は以下の冒頭1ページを読み解いていきたいと思います。

■国書データベース
古事記傳(こじきでん)
※リンク先画像はかなり拡大して鮮明に見ることができます。

(手書き感しないので木版!?その技術にビックリ)

江戸時代は、木版印刷もあれば手書きの書物もあります。
この『古事記伝』は、おそらく木版印刷なので文字が比較的明瞭(蔵書印が邪魔だけど(涙))。しかも平仮名の連綿を用いながらも、横の行も揃っているのでかなり整然として見えます。
さらに、漢字は楷書体にカタカナのふりがな付き、濁点も句点もあるのでとっても読みやすい部類!!

黄色・・・読み方をひらがなで記載
水色・・・旧字体を新字体に直したもの
黄緑・・・変体仮名の字母


翻刻

※翻刻(ほんこく):古文書などでくずし字で書かれた原文を楷書体に置き換え読みやすくすること

古事記伝一之巻
本居宣長謹撰
古記典等総論
前御代の故事しるせる記は、何れの御代のころより有りそめけむ。書紀(日本書紀をいふ。伝の中みな然り。)の履中天皇御巻に、四年秋八月、始めて諸国に國史を置く言事を記す、と有るを思へば、朝廷には是よりさきに既く史ありて記されけむこと知られたり。そはその時々の事どもこそあらめ。前代の事などまでは、如何に有りけむ知らねども、既に当時の事記されたらむには、往昔の事はた。語り伝へたらむまにまに、かつがつも記しとどめらるべき物なれば、そのことよりぞ有りそめけむ。

現代語訳

古事記伝一巻
本居宣長謹撰
古事記総論
前の時代の出来事を記録した書物は、いつの時代から存在し始めたのでしょうか。書紀(日本書紀を指す、以下同じ)の履中天皇の巻に、四年秋八月に初めて諸国に史(ふみびと)を置いて国の出来事を記録したとあります。これから考えると、それ以前にもすでに朝廷には歴史を記録することがあったことがわかります。それは、その時々の出来事を記録していたのでしょう。前の時代のことまでは、どのようにあったかはわかりませんが、すでにその時の出来事が記録されていたなら、昔のことは語り伝えられたままに、何はともあれ記録して残すべきものだから、そうして記録が始まったのです。


本居宣長こだわりの仮名遣い


先にも触れましたが、本居宣長は「国学」の第一人者であり、万葉仮名の研究者でもありました。

平仮名の歴史の記事で詳しく扱いましたが、万葉仮名の時代(7~8世紀頃)には、日本語は現在の清音45音(「ん」を入れると46)に比べて清音61音を区別して使っていたと言われています。(濁音・半濁音・拗音はまた別)

万葉仮名として漢字を借りる際、その音の違いを加味してそれぞれ漢字を充てました。つまり61音それぞれにいくつもの漢字を充て、膨大な万葉仮名が存在していました。

その後、いろは歌が作られた平安時代には、音数はほぼ50となり、膨大な万葉仮名は淘汰され、平仮名が成立していきました。(それでも今よりは何倍も多い平仮名だったけど)

宣長は、万葉仮名で書かれた本家『古事記』に則って、万葉仮名通りの使い方を『古事記伝』でもしています。

つまり、江戸時代の表記では通常使わない平仮名を宣長は使っているのです。

▼平安以降はほぼ使わなくなった、万葉仮名遣いの平仮名例
け→「氣」
こ→「許」
つ→「都」
ぬ→「怒」
へ→「閉」
む→「牟」
め→「米」
ず→「受」
ば→「婆」
ぶ→「夫」
べ→「倍」
※これらの漢字を字母とした平仮名を用いた

『古事記伝』所用の平仮名字体表
矢田勉先生の『古事記伝』の考察より



いやはや、ものすごく読みやすいはずの『古事記伝』なわけですが、大変・・・!しかも、1ページしかやってないのに・・・(笑)

でも、変体仮名遣いはひとつの書物の中では同じものを使うことも多いので、読み進めるほどに楽にはなるはず・・・!

あとは、現代語訳はChatGPT先生のお力もお借りして・・・

読めないものが読めるようになる!
昔の書物の意味を知ることができる!

おそらくそれが古文書の醍醐味。シリーズ化してまたやってみたいと思います。


参考:記載の世界



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