育った家庭環境から学んだ色々
今回の記事では、程度はよくわからないが恐らく毒親の元で育った私の家庭の様子の一部や、そこから得た気づきや学び、親からの自立について色々述べてみました。 毒親エピソードが苦手な方は読むことをお勧めしません。 また興味本位で読まれた後に辛い過去を思い出して辛いとなったとしても、責任はとれませんので自己責任で読んでください。
ちなみに私が実家で過ごしたのは中学1年生までです。
1 母に似た弟
私の母は、私が幼い時から父が悪いとか父方の祖父が悪いと言って私に吹き込んだ。 私はそれを信じてしまい、父が母を虐めているのだと思って、父に悪いことしたら謝らなきゃと母と一緒に父を責めていた。 でも、あまりにも母はキツく何度も父に改めよと咎めていた。 父は何度も謝るが、同じ過ちを繰り返してしまった。 私はそれを見て、父は心から謝っているが、困っている様にも見えた。 苦手なことだから出来ないのに強要されている? と次第に気づいた。 私は責め立てる母に、もう辞めてあげなよ、十分謝っているよと言った。 しかし、この人は自分の行動を改められないのにまた口先だけで謝っている! だから嘘つきだ! 酷い人! と怒りは収まらなかった。
それを見て、暫くした時に、喧嘩した弟から同じ事を言われた。
謝っているがどうせ繰り返すんだろ! またお前は同じ事をやるに決まってる。 だから、口で何度謝っても、許さない。 反省に心がこもってないから直せないんだ。 本当に心から反省したなら、治せるはずだ。 治せるまで許さない。
そんなことを小学生の弟は言い放ち、私は家の外へ出されて鍵を閉められた。
2 父に似た姉である私が考えた「家族に必要なこと」
母親は父親を責めていた。 時に刃物を持って父を威嚇していた。 私は怖くて泣いて、遠くから辞めてと叫んでいたが、次第に自分の悲鳴の無力さを知って、何も起こらないことを祈るしか出来なかった。 ある時父と母が掴み合いになり、1階の窓から父が母を外へ落とした。 私は母が頭を打って死ぬかもしれない事に怯えた。
母は今でも父を「子育てに一切協力してくれなかった裏切り者」として敵意や嫌悪感を忘れずにいる。 母親とは恐ろしい生き物である。
父は仕事に疲れて帰ってくるが、帰宅後は自由に娯楽を楽しみ、拘束から開放される事でバランスを取っているようだった。 そんな父は母や子供に関心を示すこともなく、それが母親の怒りを買った。 同じく仕事から帰った母は自分ばかり家事をして、と不満を募らせ愚痴を言っていた。 そしてグチグチ不満気なまま手伝ってと私に声をかけてきた。 私はそんな母が面白くないので関わることを拒絶し、母は私にも怒った。 自分では女が家事をするなんていう決まり等ないと言っているが、弟には声をかけず決まって長女の私に料理はできていた方がよいとか、料理は楽しいはずだ、自分はそうだったのだからと押し付けてきた。 母親の素晴らしき教えのおかげで学習能力が高かった私は料理が楽しくないものであると記憶に刻み時が流れることとなった。 そんな矛盾の多い母が違和感たっぷりでどうしようもなく気持ち悪いと感じ、私は母が気持ち悪い時は断固拒否していた。
日常で喧嘩が絶えない実家暮らしであった。 しかし時折平和も訪れた。 一番の幸せエピソードはとある年のクリスマスパーティーである。 その日だけは一日喧嘩が起こることなくハッピーに過ごせたという思い出である。 弟と私は奇跡のようだと舞って歓喜した。 母も嬉しそうに喜んでいた。 父も大人しい。 父と母がぶつからないだけで子供は幸せになれるのだ。 弟は共通の親という名の敵と戦ったかつての戦友として、今でもその一時の安息を語り継いでいる。 弟がいなかったら私はここまで軌道修正もできていなかっただろう。 弟は時に私の指導者であった。 そうなった経緯は単純で、弟に喧嘩で幾度となく負け、私が弟を対等な人間として認めたことで、弟の話に耳を傾けざるを得ない状況ができたからだと思う。
何にせよ、この有り様で、両親含め私たち一家は、家族というものの定義や概念などは始めから用意されているものでもなく、相互の構築により次第に形作られていくものだと学んだ。 であるならば、互いの意見を聞いたり、自分の意見をきちんと見定め、相手に伝えるコミュニケーションが必須であり、その時間の確保ができるべきであり、この自分以外の他を含めて「みんなごととして」考えられる「余白を持つ人間」のみが、幸福な家庭を構築できるのでは? と私は結論付けた。
3 父について
私は父親似というのもあって、父親が元々好きである。 思春期ではさすがに話をしたいとあまり思えなかったが、実家を離れてから大人になるにつれ、父と話すことが増えていった。 私が話したことを父は否定せずに聞いてくれるし、父の頭にある整理出来ない事を私が理屈で説明すると、スッキリ解決した! と言ってくれる。 父は忖度もしないし嘘をつかない人で、とても素直な気持ちで接してくれるから、心を許せる。 漫画やアニメや映画が好きになったのは父の影響である。 絵を描いたりするのも父譲りである。
4 母について
母とは意見が合わない。 理由としては、母は理屈を説明はできないが、規則正しい生活と世間一般に言われている事を疑うことなく取り組める人間である。 そしてその効果も十分に実感できており、自分の価値観に満足しているようだ。
所謂、母は迷ったり躓いたりすることなく「できる人間」である。 適応力が高い、という意味で頭が良く、人間関係はいまいちだが仕事に関しては要領がよく真面目であり、上司からも認められている「できる人間」の側である。
しかし私や父はどちらかというと懐疑的であり、世間一般に興味が薄く、自己流で動くタイプの人間。 当然、互いの信念や価値観が大きくズレており、考え方を説明したとしても理解されない。
このギャップは今でも埋まらず、私は母とよく喧嘩になる。 母は決まって、その方が正しいでしょというが、何故それが正しいと思うのか? と問うと答えられない。 母は直感タイプで、言語によって解が導き出されている訳では無いため、いつも回答のみ提示され、分かれと回答を押し付けてくる。 計算過程が示せていない為、私はその解に対して疑いを持つ。 また自分なりの経験則に当てはめて考えても、その解が正しいと証明できる記憶が存在しないため、母は大抵私を納得させることは不可能である。
5 子育ての成功とは
私の状態を評価する他人がいた場合、親の子育てが成功か否かが他人から言い渡される。
6 私の育った家庭環境
確かに負の側面が一見多いように見えるが、これは人間の記憶が負の側面を覚えておきやすいからだと思う。 人間は失敗から学ぶ事ができる。 つまり憎き愛すべき親どもは、私に沢山の問題提起を与えてくれたと解釈もできる。 この問題認識能力は先天的か後天的かは知らないが、あらゆる問題は道標になる事がよくある。 負の側面はこうして正の側面に成り替わる。
7 結論
最終結論として、物事に正負や善し悪しは存在しない。 それは存在する訳ではなく、状態に直面した自らが定義付けていくものである。 したがって、過去に負の側面と思った物事ですら、正に上書き出来てしまう。 それが思考力。 または発想力である。 ストレスの回避力、ともいえる。
※ただし体調や環境等の状態によって感じ方は事なる。 その流れは静かに、時に激しく感じていればよいのだ。 もしもの際の逃げ道を予め作っておくことも重要といえる。 心理状態においても同じことが言える。 私の場合プライドや責任やお金や予定やそれまで構築した人とのつながりを放棄し、会社から逃げた。 そしてひとまず社会からの支援を受ける側になることを選んだ。
8 おまけ
毒親は理論上、乗り越えられる。 しかしその難易度の感じ方は人それぞれであり、方法を提示したところで一般的に難易度は高く認知されるだろう。 それに親に反抗するという事の最終ゴールは、親のエゴを受け入れると同時に自分のエゴも受け入れるということである。 責任は自分にある、親のせいでこうなったとはもう言わず、親と同じく自分だって好き勝手に生きているんだ、そういう覚悟をもって親とぶつからなければ、乗り越えることは難しい。
とりあえず意識を持つ事からはじめて、こうできたらいいなと思っているうちにだんだん変わってくるものだから、難しいと捉える必要もなく、そう焦ることもないかもしれない。 私たちは常に変化のある状態なのだから、そこに素敵な言葉やなりたいイメージを流し込んでやれば変わるのかもしれない。
色々と親子関係で大変な思いをすることが多かったように思うけど、これからは人の心配も言葉も気にせず、のんびり気ままに好きなよーにやっていこうと思います。 休職期間中くらいは時間も予定もウザいものは何もかも捨てて、羽休めてもいいだろ?
今からの課題はもうちょっと自分のことを見てあげるための時間を取ることだと思っている。 傷が癒えてからだな、もう一度戦場に出るとしても。