男女の前に、ひとりの人
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生き辛いのは女性だけではないんだ。男性も世間の作った「男らしさ」なるものに苦しめられている、と新聞を読んで知った。
最初から男女それぞれの肩書き、常識、しんどさ、怒り、悲しみをぶつけるから分かり合えないのかもしれない。
それぞれに辛さがあるのだとしたら、性別の前にひとりの人がどうやって幸せに生きられるのかを話し合っていくべきなのでは?
その後で、男性と女性の違いや差について話して、行動していけたらいいのにな。
私は苛立ちが募る。ジェンダー問題、性差別、声の大きいフェミニストなどを見ていると、いろんな人の責任のなすりつけ合いのように感じるからだ。権利だの、フェミニストだの、みんなだの、男女だの、世界だの、大きな主語で語る前に、ひとりの人としての「わたし」で、ものを考えられるようにしたい。
大きな主語でぼかすと、「わたし」の発言に責任持たなくて済むから刺激的なことが言えるし、声の大きい人ばかりが目立つ。だから本来の論点がズレて争いになっていくんだ。
圧倒的に力の強い男性が女性を虐げる、女性を乱暴することは許されないし、女性ばかりが辛い思いをすることに私も憤りを感じる。だからどれだけ辛い経験をしたのか聞いてほしいのも理解できる。
でも男性が悪い、女性が悪い、男女対等にと怒っても状況は悪化する。その前に、「ひとりの人」として相手を見て話ができたらいいのにって思う。
「全て」の男性や女性が悪いんじゃない。その人に乱暴なことをした特定の人が悪い。
男女対等は難しいと、私個人は思う。体つき、力の差、できることだって丸きり違うのだから。違いがあるうえで、どうやって相手の苦しみをなるべく理解できるのかを考える。
差をなくすのではなく、差を尊重していきたい。
大事なのは目の前の人がどう考えて、どう生きているのか。それを知ってから、自分がどう考え行動するかを決めていきたい。
私が言いたいことをまとめると、
男女の前に、ひとりの人として相手を見る。そうやって男女の違いや差を話し合って、お互いを尊重できるようになったら、もう少し生きやすい未来があるんではないかってこと。