自分の思い込み、本当に根拠ある?
2022年のクリスマス。サンタさんからChromebookとFitbitをもらった。初代がもう寿命間近だったからこれは嬉しい!
2代目たちを触っていたふとした瞬間に、ノートパソコンはMacじゃないとダメ、Fitbitは大きい文字盤じゃないとダメ…と思っていたはずなのに、今はChromebook以外は考えられない。今回のFitbtの文字盤は初代よりも小さいけど充分だと思った。私のこだわりには、根拠がなかったみたい。
根拠のない「こうじゃないとダメ」の裏側には、自分ではない誰かの”常識”が植え付けられているかもしれない。家族、学校、職場、世の中(テレビやSNS)など。
ノートパソコンやFitbitなら、笑い話で終わる。でもそれが仕事や趣味、好きなものだとしたらどうだろう。実は誰かの好きなものを、自分の「好き」と思い込んでいたとしたら。
私の場合、好きだと信じて疑わなかった接客業、趣味や食べ物。実はどれも私ではなく、私の父親が好きなものだった。父は自分の好きなものを家族に強要してきた。こちらがいくら懇切丁寧に断ったとしても、父はそれを「自分自身を拒否された」と勘違いして怒鳴り散らす始末。彼の機嫌を損ねたくなかったから、無意識に彼と一緒のものを好きになるようにしたんだと思う。
初めて自分の思い込みを疑ったのは、旦那さんとご飯の話をしていた時だった。ずっと苦手だと思っていたカレーやお好み焼き。私の食の思い出を話していくうちに、彼は「嫌いだと思ったのは味ではなく、食卓での辛い思い出のせいなんじゃない?」と言った。実際そのとおりで、彼と楽しくご飯を食べることで辛い思い出が上書きされていく。ご飯担当の旦那さんに、今ではどちらも自分からリクエストしている。
趣味もそうだ。少し前まで洋画やセレブゴシップ漬けだったけれど、これもただの思い込みだったみたい。旦那さんに勧められて読書とゲームに手をつけた。最初に勧められた時は半信半疑だったものの、今やゲームや本がないと私の毎日は充実しなくなってしまった。
セレブの情報なんて追いかけてもいないし、洋画なんてもう何年も観ていない。任天堂Switchが手元にないと落ち着かないし、動画配信サービスのマイリストには今ハマっているジャンプのアニメがずらり。オタ活、最高。
よく考えると接客の仕事も、服飾では倉庫整理の方が楽しかったし、コンビニでは検品や補充を喜んでやっていた。自分にとっての適正な仕事、見誤ってた。
良い・悪いは別にして、誰しも人から受ける影響は大きいし、自分という人間の土台は周りから作られているとも思う。思い込みを疑うってのは、それを否定したり、はねのけたりするんじゃない。良い親や良い人に恵まれる機会が多ければ、それは良い影響の方が多くなると思うから。
ただ、自分を犠牲にして人のために生きないようにするには、根拠のある「こうじゃないとダメ」を自分で作る必要がある。人の価値観で生きてることに気が付かないって怖い。自分が本当に好きなものに一生気がつけないかもしれない。
自分の思い込みに疑問を持ったにも関わらず、明確な答えが出ずに「こういうもんか」で片付けてしまう。それは誰かの考えが基準になっていると、私は思う。
旦那さんの言葉でさえも、たまに疑う。彼を信頼しきっているからこそ、「彼が100%正しい」と思い込むと言いなりになってしまう気がする。彼はそんなの望んでいない。彼からの良い影響を受けつつ、根拠ある自分のこだわりをちゃんと持っているのかを立ち止まって考える。自分も、人も、流行りも、世の中も日々移り変わっていく。まさに諸行無常。
そして自分で考えて辿り着いた思い込みでも、固執しすぎてはいけないみたい。自分が正しいと思い込み過ぎると、人の意見を聞き入れられなくなってしまう。考えもアップデートしていかなきゃ、成長も学びもない。
言うのは簡単で、このバランスがいつも難しいんだな…。焦らず、立ち止まりながらやっていこう。