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【Step20】鎌倉随一の秘境と大船グルメの旅【鎌倉アルプス〜大船】

《距 離》14.0km 
《標高差》登り448m/下り442m
《時 間》約6時間30分(休憩時間込み)

 毎月恒例のお店の登山企画。2月は鎌倉アルプスを歩く。冬場は低山ハイクの人気が高まるシーズンでもあるので、鎌倉アルプスはその筆頭とも言える。 
 「人が多すぎるのもちょっとなぁ」なんて斜に構えていた僕は、共催するガイドにはギリギリまで「本当に鎌倉で良いの?」と半信半疑の気持ちでいた。そんな僕に「まぁまぁ楽しみにしてなよ。」と言うガイド。当日になってガイドの先導で鎌倉ハイクが始まると、瞬く間に参加者一同は鎌倉の世界観に魅了されていったのだった。さぁ、いざ鎌倉。


◆コース紹介◆

 今回は鎌倉駅からスタート。すぐに人気の無い裏路地に入って、十二所まで歩く。途中に神社仏閣の見学付き。宝戒寺、明王院、光触寺と見て回り、十二所の登山口から山に入る。番場ヶ谷という秘境感溢れる沢筋を登り、鎌倉アルプスに合流。そこから天園、大平山と歩き一度里へおりる。称名寺で滝を見学した後もう一度里山へ。そのまま西へ歩き、大船駅の焼鳥屋さんが本日のゴールである。

鎌倉駅を起点としたコースの3D概要

YAMAPの詳細ログはこちらから↓

◆山行記録◆

《大聖天明王院》鎌倉きっての祈願所

境内内は撮影禁止のため、鳥居の外から撮影。

 鎌倉駅から小町大路に入り、裏道を歩いていくと金沢街道に当たる。その道を東に向かって十二所へ向かう途中ちょっと左手に折れると明王院がある。そこだけ時が止まったかのような閑静な佇まいに一同感嘆し、一礼して境内にお邪魔した。

 大聖天明王院は1235年(嘉禎元年)鎌倉幕府四代将軍藤原頼経によって建立。鎌倉幕府の将軍の発願によって建立された鎌倉市内に現存する唯一の寺院と言われている。この地に建てられたのは、鎌倉幕府に対して十二所が鬼門の方角に当たる場所だったからだそうだ。そのため明王院は鬼門除けの祈願所として《不動明王》《大威徳明王》《軍荼利明王》《降三世明王》《金剛夜叉明王》の五大明王を祀る。※明王についてはまた別記事にて調べよう。

 明王院では、鎌倉幕府で『国難を救いたい』『どうしても叶えたい願いがある』など、特に強いご祈願をする時には五大明王の前で護摩法要をしたのだそうだ。元寇で日本が初めて外国からの侵略に晒された時にも明王院で異国降伏の法要がされたと記録が残っているのだと言う。ここにそんな大きな歴史があったのかと言うことがにわかには信じられないほど、穏やかで静かな寺院である。

 今ではSNSも運用する当寺院。訪れた時には梅のつぼみが膨らんでいた。色んな草木が植えられていたから、代わる代わる咲くのだろう。境内内写真撮影禁止のため記録に残すことは出来ないが、だからこそ一度訪れれば忘れられない場所になるはず。

《光触寺》一遍上人と熊野信仰

 次に向かったのは光触寺。明王院からもう少し東に歩き、十二所の登山口の近くにある寺院だ。ここは踊り念仏で知られる時宗の開祖、一遍上人の開基と言われている。この十二所という土地の名は元々光触寺境内内にあった鎮守熊野三山の《熊野十二所権現社》に由来する。つまりそれは、鎌倉幕府においての熊野信仰の拠点がここにあったという事を意味している。

 熊野信仰と鎌倉幕府?と思うかも知れないが、鎌倉時代に修験道としての熊野信仰は一定の支持があったらしい。熊野信仰が最も盛んだとされているのは平安時代から鎌倉時代にかけてと言われていて、その頃には皇族や朝廷人だけでなく一般大衆や武士にも広く親しまれたそうだ。鎌倉時代と言えば浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、時宗、臨済宗、曹洞宗と新しい仏教が生まれた時代だが、その流れの中に修験道としての熊野信仰もあったようだ。

 鎌倉仏教の中でとりわけ熊野信仰に縁のある宗教と言えば時宗である。開祖である一遍上人が遊行の際に熊野権現からお告げを受けたという『信不信を選ばず…』のエピソードは熊野信仰を調べたことのある人なら一度は耳にしたことがある有名な話だ。その逸話を以下に引用する。

僧侶として学び、修行を深めた智真(後の一遍上人)は、念仏札を配る布教活動をしていました。そして文永十一年(1274)の夏、高野山から熊野本宮大社へ向かう途中で、一人の僧と出会います。智真はいつものように「信心を起こして南無阿弥陀仏と唱え、この札をお受けなさい。」と札を渡しましたが、その僧は、「いま一念の信心が起こりません。受ければ、嘘になってしまいます。」と言って受け取りません。「仏の教えを信じる心がないのですか。なぜお受けにならないのですか。」と尋ねると「経典の教えを疑ってはいませんが、信心がどうにも起こらないのです。」と答えました。 念仏札を拒否されたことに一遍はショックを受けますが、僧の言葉は理にかなっています。

この出来事から、智真は布教のあり方について苦悩します。そこで熊野本宮大社に着いた時、答えを求め、証誠殿の御前で祈り続けました。すると夢の中に、白髪の山伏の姿をした熊野権現(阿弥陀如来)が現れました。そして「一切衆生の往生は、阿弥陀仏によってすでに決定されていることなのです。あなたは信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければなりません。」と、お告げになりました。このお告げを受けた智真は「我生きながら成仏せり」と歓喜しました。一遍上人が誕生した瞬間でした。
※熊野本宮大社の主祭神、家都美御子大神の本地仏は阿弥陀如来です。

熊野本宮大社HPより(https://www.hongutaisha.jp/)

 こうして熊野権現の神勅を受けた一遍上人は時宗を生み出し、鎌倉の光触寺を開基するに至る。十二所が鎌倉幕府における熊野信仰の拠点だったと言うのも、一遍上人と熊野信仰の結びつきに影響されるところは大いにあるようだ。

《番場ヶ谷〜天園》鎌倉の秘境を歩く

秘境への入り口

 前置きが長くなったがいよいよ今日の鎌倉アルプス山行が始まる。山に入るまでの見どころと由緒のボリュームが大きいのも低山の魅力の一つかもしれないなと思う。

 十二所から番場ヶ谷(ばんばがやつ)に入っていく。「こんな所から入るの!?」と参加メンバー一同驚き、それを聞いたガイドがへへへと笑う。うちのガイドは結構そういうところがある。

川床を歩く楽しみ

 吉沢川の源流を歩いていく。渡渉も何箇所かあって、ちょっと緊張しながら渡るのも楽しい。この吉沢川は金沢街道にそうように流れる滑川へ続き、相模湾に流れていく。鎌倉駅から歩いてくると、ちょうどその流れを遡る形になるのだ。雰囲気は以前に歩いた三浦アルプスにも似ている。『鎌倉アルプスは人が多くてちょっとなぁ』と思っていたが、番場ヶ谷を歩く間誰にも会うことはなかった。周囲から車の音や生活音も聞こえない、ひっそりとした森はまさに鎌倉の秘境。こういうルートはなかなか個人では見つけづらいから、精通したガイドの存在は大きいと思う。「こんなに面白いところがあるなら先に言ってよー!」と嬉しそうにやり取りする皆の姿を見ていると、僕も嬉しくなる。

道幅の細いところもちらほら
所々に付けられた手作りの道先案内
丸太橋渡りに童心に帰る

 番場ヶ谷の谷歩きは、休憩時間込みで大体1時間半ほど。最後に少し登ると天園に向かういわゆる鎌倉アルプスコースとの合流点にぶつかる。川床を歩くため登山靴はあった方が良いし、藪を通り抜けるのに肌の露出が無い服装の方が良いことを考えるとハイキングと言うよりはこりゃ登山だなと思う。鎌倉武士もここを通ったのだろうか。知る人ぞ知る、鎌倉屈指の隠れどころを知ったような気がした。

谷から上がると竹藪が出迎えてくれる

 天園コースに合流するとさっきまで誰にも会わなかったのが嘘だったかのように、途端にハイカーが増える。『天園』と名付けたのは日露戦争で連合艦隊を率いた東郷平八郎だと言われている。「天国の園に遊ぶようだ。」と例えた風景は美しく、鎌倉の街並みを見おろし、遠くには伊豆半島をのぞむ。相模灘の向こうには、はっきりと大島が見えた。天園から大平山にかけてはたくさんのハイカーで賑わっていて、こう言う活気のある山も良いなと思う。

海の向こうに浮かぶ大島
大平山にはゴルフ場が隣接する

百八やぐら

首の無い地蔵

 大平山での休憩後、僕達は鎌倉アルプスを進んだ。切り通しを抜け鷲峰山(しゅうぶせん)まで歩くと、「ちょっとこっち行こう」とガイドが言う。その方向に付いて行くと、そこには山をぐるっと囲むように掘られたやぐらと、いくつもの地蔵があった。最初は何だろうと思ったが、これは百八やぐらと呼ばれているらしい。

 『やぐら』とは今で言うお墓のようなもの。この山一帯に180穴ほどあると言われていて、ここが鎌倉最大のやぐら群なのだそうだ。数が多いということで、仏教でいう百八の煩悩になぞらえて名付けられた。五輪塔や宝篋印塔、仏像が安置されたものから梵字が刻まれたものや金剛杵を持ったものと様々だ。

 『梵字』や『金剛杵』があることや、鷲峰山に弘法大師像が祀られていることからもここが真言宗由来の場所であることは何となく予想がついた。多分、昔はこの山をぐるっと巡って四国八十八カ所霊場に見立てて参拝したのではないかと思う。そう言う『ミニチュア版お遍路』は全国至るところにあるからだ。後々調べてみたら、やはりここは江戸から明治期にかけて弘法大師八十八箇所霊場とされていたようだ。地蔵の頭が無いのは、明治の廃仏毀釈の名残だろう。

こちらは綺麗に残っている。新しく作られたのだろうか。

 山を歩いていると色んなところに歴史や信仰の名残りが見られるのが楽しい。こういうやぐらや仏像の他、馬頭観音や祠なんかもその山道がどのような意味を持っていたのかを知る手がかりになる。こういうものを見つけては過去に思いを馳せるというのも、山歩きの楽しみの一つだ。

大船駅の酒場にて

裏山に入る入り口はいつだって半信半疑

 百八やぐらを見た後、里におりて真言宗の空海や浄土宗の開祖、法然ゆかりの称名寺を見学した。

 今日一日で鎌倉時代の信仰の歴史にだいぶ触れられた気がする。大聖天明王院では鎌倉幕府の明王信仰について、光触寺では一遍上人と熊野信仰、称名寺では空海や法然。やはり土地を巡って直に目に触れると物語として頭に入ってくるのが楽しい。それを狙ったかどうかはさておき、ガイドがプランニングした鎌倉アルプス山行は期待を遥かに超える大満足の一日になった。歴史ある街と里山歩きは楽しい。山の楽しみ方も様々だといい勉強になった。

さぁ、ここからはお待ちかねの打ち上げだ。

店舗外観

 今回お世話になったのは大船駅近くの焼鳥『との山』さん。渋い店構えに昔ながらの居酒屋の店内が既に良い。今日は焼鳥が食べたかったから、【大船駅 焼鳥】で調べて一発でとの山さんに行ってみようと決めた。

魚の南蛮漬け
納豆オムレツ
名物のがんも
美味い
美味い!
美味い!!
たまらない…
ささみが美味しいお店は一発で好きになる。

 食レポは苦手というか嫌いだから省略する。個人の主観でしか無いし、僕のような素人が通ぶってあれこれ言うのは逆に失礼だ。だけど、美味しさが伝わるように写真は丁寧に撮ったつもりだ。見れば丁寧に焼いてくれたのが一目瞭然だ。あとは、想像してくれたら良い。僕はまた行きたいと思った。それで充分だろう。
 人気店ゆえ予約は必須。特に下山後にリュックを背負っていくなら、事前に連絡しておくと良いと思う。

 鎌倉の秘境から大船の名居酒屋へ。今回も良い山旅だった。鎌倉、侮るべからず。また行きたいな。


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