【読書感想】はじめての短歌
昨年、Podcastを楽しんでいたとき、とある現代短歌に出会いました。
一度聞いただけで、よく晴れ渡った夏空の下、ビアガーデンでジョッキをかかげる情景がぱっと頭に浮かびます。(ビールを飲んでいる場所や空模様のことは一切書かれていないのに、なんだかそんな気がする!)
現代短歌はこんなに親しみやすく、しかも想像力が勝手に膨らむものなのか、という新鮮な驚きから、もっと現代短歌のことが知りたくなり、図書館に並ぶ本から入門書のような題の本を手に取りました。
それが今回読んだ、穂村弘さんの「はじめての短歌」です。
タイトルだけで選んだのですが、実はこの本、バリバリのビジネスマンを対象にした短歌講座の内容を書籍化したもので、ついこの前まで所謂大企業で典型的サラリーマンをしていた私には刺さる部分が多くありました。
そこで「短歌のことなんてわからない」なんて会社員の方にも、この本のエッセンスを共有したく、概要をここにまとめます。
そもそも「短歌」って何?
本の内容に入る前に、「短歌」とその他似ている日本の定型詩の違いについてまとめておきます。(素人なので正確さに欠けるかもしれませんが)
俳句
→「5、7、5」のリズムが基本形
必ず季語を入れ、自然や季節を題材にする川柳
→「5、7、5」のリズムが基本形
季語は入れず、ユーモアに富んだ社会風刺をする和歌・短歌
→「5、7、5、7、7」のリズムが基本形
季語も社会風刺も不要、日常の出来事などを題材にする
近世までにつくられた歌を和歌、それ以降のものを短歌と呼ぶ
つまり、短歌は俳句や川柳と異なり、字数だけ気にすればいい(しかも多少字余りでも字足らずでもまあ大丈夫)、自由度が高い詩の形式なんです。
さて、ここから本題です。
「いい短歌」ってどんなもの?
この本では、新聞の短歌欄に実際に寄せられたと思われる一般の方からの短歌より、この本の著者であり歌人である穂村さんが「これはよい」と思ったものをとりあげ、どこかよいかを解説しています。
さらに「このいい歌を改悪する(=平凡にする)とこんな感じ」という歌も並べてあるので、短歌初心者でも「いい短歌」なるものを理解することができます。
さて、書籍内で取り上げられた「いい短歌」のポイントをいくつか挙げてみましょう。(※なお、この記事では「いい例」は伏せて「改悪例」だけ引用していきます)
1. 説明しすぎない
上の歌を読んだ人に、「『わたしの部屋』はどういう状態?」と聞いたら、1000人中1000人が「散らかっている」と答えるでしょう。
それはもちろん、歌の中にそう書かれているからです。読み手の主観が入り込む余地がありません。
でも、元々の歌では、「わたしの部屋」の状況が具体的に描写されていません。「え、それってどういう状態?」と一瞬思うような表現でした。
上と同じ質問を読んだ人に投げかけたら、1000人中994人は「散らかっていそう」「乱雑な感じ」「汚いのかな」といった回答をするものの、6人くらいは全く別の回答をするかもしれません。何にせよ、頭に思い描く「わたしの部屋」の状況は一人ひとり微妙に異なりそうです。そんな歌でした。
穂村さんは「普通は改悪例のように書いちゃうよね、ビジネス的には1000人いたら1000人みんな同じ認識を持つ方が良いわけだし」とさらりと言い、「でも元々の歌のような『考える余地』がある方が、書かれた内容以上のことをつい想像しちゃうし、心が動かされていいよね」という要旨のコメントを加えています。
2. 「こんなもの」に焦点を当てる
さらに穂村さんは続けて、社会的に価値のあるもの、正しいもの、値段のつくもの、名前のあるもの、強いもの、大きいもの——そういうものよりも、しょうもないもの、へんなもの、弱いものについて詠んだ歌の方が、いい短歌になると言います。
また具体な改悪例を出しましょう。
これを読んでどのように感じるでしょうか。
「ああ、きっと詠み手はお母さんで、子どもが描いてくれた絵を見て懐かしんでいるのね、うんうん、そういう絵ってうれしいよね」
などの共感こそすれ、それ以上の想像が浮かんでこないのではないでしょうか。
「子どもが描いたおかあさんの絵」は、「素敵なもの」として世間一般にイメージが共有されています。そのようなとき、私たちは特段+αの想像力を働かせることはしないでしょう。
素直に「うん、いいね」と読み、それで終わりです。
しかしながら、元々の短歌は「え、なんでそんなものをわざわざ蔵から取ってくるの?」と不思議に思うようなものを描写していました。
でもだからこそ、
「何か特別な思い出のあるものなのかな」
「きっと背景にこんなストーリーがあるのかも」
と、頭の中で世界が広がっていくような味わいがありました。
価値が共有されていないものについて詠われる方が、その意外性にハッとしたり、勝手にイメージが膨らんだりしやすい——つまり最初の例と同じように心が動かされるので、いい短歌になりやすい、というわけです。
3. 「生きのびる」ではなく、「生きる」を伝える言葉を紡ぐ
「生きのびる」と「生きる」は全く違うわけではありません。
そもそも生きのびないと、生きることはできません。
でも、「生きのびるために生きているわけじゃない」と思うことはあるでしょう。
「生きのびるために必要なこと」としては、例えばごはんを食べて、睡眠をとって、世間一般のルールに従い、与えられた仕事をこなし、ある程度のお金を稼いで…など、型にはまったものごとが並びます。
一方「『生きのびる』ではなく、『生きる』ために必要なこと」とはなんでしょうか。
それは側から見ると無意味だったり、非効率だったり、お金にならないものだったりするかもしれません。会社組織では無視されたり、呆れられたりするかもしれません。でもユニークで、なんともいえない魅力を感じることがあるものです。
穂村さんは、このように「生きのびる」と「生きる」の違いについて何度も触れ、「『生きる』ことに貼りついた短歌」のよさを語ります。
社会の歯車の中にただいるだけでは抑制されがちな「生きる」の自由さを感じられる歌が本の中では色々と紹介されていますが、、、ここでは割愛します。(実際に本を手に取って読んでみてほしい!)
ビジネスマンが短歌に触れる意義って?
ここまで「いい短歌」のポイントを書きましたが、さらにぎゅっと要約すると次のようにまとめられそうです。
いい短歌は我々の心を動かす
それは社会的な価値観や普遍的な表現には捉われない自由さがあるからだ
一方で、ビジネスの場ではどうでしょうか。
簡潔な説明や定量的に示せる根拠が重要視され、会社の利益向上に繋がることを客観的に示せないものが俎上に載ることはありません。一般的に評価される「素敵なこと」は強調され、社用資料には聴き心地の良い言葉が並びます。
すなわち、典型的なサラリーマンは「社会的な価値観や普遍的な表現に囲まれた世界」に身を置いており、それは「いい短歌の世界」と真逆です。
そのような状態で、心が発動する機会はどれほどあるでしょうか。
また、心を動かし慣れていない人が集まる組織から、画期的なビジネスアイディアやイノベーションは生まれてくるのでしょうか。そのような組織が、誰かの心に響く言葉や思想を謳うことができるのでしょうか。
よりよいパフォーマンスを目指すのであれば、時折普段の世界を離れて、意識的に心を動かしてみたり、どのような言葉が人々の心を動かすのかを身を持って体験した方がよいのではないでしょうか。
このような観点から、短い文章で人の心を動かす「短歌の世界」に触れてみる価値がビジネスマンにはあるといえそうです。
さらに言えば、短歌は30秒もあれば余裕で一首読めます。
映画を見たり、美術館に行ったり、旅をしたりでも心のストレッチはできますが、それらに比べて短歌は圧倒的に手軽です。
この点でも多忙なサラリーマンにはぴったりではないでしょうか。
おすすめの人
今回紹介した「はじめての短歌」は、全体的に親しみやすい文章で、数時間もあればさくっと読める一冊となっています。
掲載されている作品例も、堅苦しいものはまったくなく、現代社会の日常の一コマが詠まれているので、すっと頭に入ってくるものばかりです。
「短歌なんてまったく分からない」という人、とりわけ「会社員」として働いているみなさんに、ぜひともおすすめします!