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【目印を見つけるノート】1630. やわらかい夜の歌声とエッセイ

元The Smithsのもろもろに関わる、MorrisseyとJohnny Marrお二人の論戦?をSNSで拝見していますが、どちらがいい、悪いということではなく、元々の方向が違うのだなと思うばかりです。

昨今は再結成ブームのようで他の方々に「あの人たちもか👀‼️」という印象もありますが、まあどうするにせよ、当事者同士で十分話し合ってからでも遅くはないかと思います。

さて、秋分の日。
今日はちょっとだけお出かけして、多摩川沿いの湧水を見てきました。

ここが、国分寺崖線(こくぶんじがいせん)の一端なのです。

際を歩く人でした。
滅多にないぐらい、風がとても強かったですけれど気持ちがよかったです。鳥は軒並みホバリングしていました。

お墓参りは来週行く予定です。

ちょっと趣向を変えて、モンテーニュの『エセー』をパラパラと読んでいました。前書きから工夫していますね。

たぶん、モンテーニュがどこの国のいつ頃の人か知らなければ、「ああ、ギリシアの喩えが多いなあ。好きなのかな」となるのですが、なぜそうしたのかは今なら想像できます。
ギリシアの喩えはこの時期『無難』だったのだろうと。

えーと🤔癖で「誰それはなぜこうした(書いた)のだろう」と読みながら考えたりします。1580年に前書きが書かれていますから、フランスでは宗教戦争(内戦的な)の真っ最中です。
それ以前から、ラブレーがやいのやいの言われ、ノストラダムスに怪しげな風評があったのもじかに知っていたでしょう。何なら会ったことがあるのかもしれないです。

それならば、「自分はどう書いたらいいのか」と考えたはずです。
彼は法官を勤め、その後は国王の侍従をしていた時期がありますので、社会的地位が相当高い人です。その立場で好き放題赤裸々に書けるはずはありません。ラブレーが書いたような破天荒な創作も、ノストラダムスのような意味深な象徴詩もアウトでしょう。面白いけれど。

エセー=エッセイは「試み」という意味だそうです。物語でも、記録でも、詩でもない。日常誰にでもあることを自分の経験や古今東西のストックから引いてきて、自分の考えを綴る。今日いわれるエッセイのもとです。

ただ、始まりかどうかというのは分かりません。
何かひとつの概念を語る場合も、上記のような表現をすることがあります。マキアヴェッリも、自宅でひとり静かに歴史上の人物を書くときの態度を綴っていますが、あれもエッセイ的といえます。

その流れでいえば、『徒然草』も『方丈記』もそのジャンルでしょう。随筆ですね。ただ、日本の随筆の場合は仏教がベースにありますので、少し異なるかもしれません。モンテーニュは聖書をベースにはしていないようです。
宗教戦争の最中だから。

今日、エッセイというともっと広義なように思いますが、モンテーニュは上記のようなことを自身のスタイルとした点が特徴的です。そしてそれは自由に書き散らせるものではなく、『試み』……制限があるからこその手段なのだと合点しながら読んでいるのでした。

そして、制限の枷が書く人の技量を高めてもいるのではないかと思いました。

以上が私のエッセイです😉

もう夜も更けてきました。
八代亜紀『Fly Me To The Moon』

スタンダードナンバーの聴き比べをするのが意外と好きです。この曲もフランク・シナトラさんやカウント・ベイシーさんや最近の方までたくさん演奏されています。
八代さんヴァージョンはハスキーなウィスパーで「やわらかい夜の歌声」というのがぴったりです。それでいてヴィブラートがしっかり効いているのが素敵。歌唱のお手本のようです。
そっと、抱きしめるように歌えたらいいですね。

今日はこの曲を聴きながら眠ります。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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