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【目印を見つけるノート】1550. だいたい直観で見ています

朝から、演繹法と帰納法について書かれているnoteを読みました。いや、体調が今一つよろしくないので、「見ていた」ぐらいの方が正解でしょう。いや、どういう状態でもそうかもしれませんね😅

自分の場合ですが、行動する、お話する姿や書くものを見て、どのような方か想像することがあります。

それは例えば、一般的にざっくりいえば、
すぐ怒鳴る→短気な人。
必要以上に触ってくる→好色な人。
噂話が好きな人→考えていない人。
など、三段論法ならぬ二段論法になる場合も多いのですが、人はそう単純なものでもありません。
短気なのを気にしているのかもしれませんし、好色なのを戒めているのかもしれませんし、噂話はしないようにしようと考えているのかもしれません。だとすると、別の軸を一本加えると三次元的に見られるようにも思います。特定の性質だけが「その人」でないことは明らかでしょう。
ただ、物語の主要な役以外で書くのなら、「短気な人」、「好色な人」、「噂話の好きな人」と断定的に置かれるでしょう。

それでも私は見ています。

ものごとを観察するのが科学の基本だといいます。だとすると、その主体である人を観察するということもそれなりに学として成り立つように思うのですが、心理学になるのでしょうか。
また不勉強なジャンルが出てきた。
河合隼雄さんとユングしかちょろっと読んでいないぞう🐘
私は一般的な心理テストをいっときよく見ていましたが、どれにもあてはまるような、あてはまらないような感じがしました。
逆に、こう答えればこういうタイプになるだろう、作ってしまえるなと気づいたぐらいで。
よくSNSで見る診断も左脳だったり右脳だったりで混乱します。

そのようにぼんやりと自他を観察してもいるので、何を学ぶにしても、不勉強なりに、私は通して人を見ているのかもしれません。

先日、ボルヘスの短編を学習しいくつか読んでいたのですが、何か書こうと思うとその塊がどんどん大きくなって収拾がつかなくなるし、頭にあることを手で再現するのが今日は困難ですので、やめておこうと思います。

短くいえるのは、この方が博覧強記というだけではなく、たいへん複雑な大きいものを見ていたのだろうということです。これまで、幻想文学という言葉が一種の衝立てになっていましたが、実際に見てみると幻想とは感じませんでした。他のお話に幻想があるのでしょうが、現時点で見ている限り、そのくくりではないと感じます。

あとはまったく脈絡がないですが、
小松左京さんの『岬にて』という短編を強く思い出したことと、
しきりに『メナール版パスカル全集』(日本語訳は白水社)が中断したのが残念だと思うばかりでした。
思考がいろいろ飛ぶのはどうなのかと思いますが、これも辿っていけば何かつながりがあるのかもしれませんね。

直観的です。

直観、というのはロジックとしてどういうくくりになるのでしょう。

こんな状態のときにはこれですね。
The Smiths 『What Defference Does It Make?』

たいへんポップなギターとリズムの上になかなかシニカル、シビアな歌詞というのがこのバンドの特徴ですが、この曲もまた一筋縄ではいきません。
Heavy words are so lightly thrown(重たい言葉が、いとも軽々と投げつけられる)という一句がなかなか重たいのですが、それを示す言葉じたいは出てきませんし(多分)、どんな言葉だったんだろうと想像するばかりです。考えていくと、それがどのような言葉だったのかが問題ではなくて、
曲のストーリーは、この警句めいた言葉を表すためだったのかなとも思えます。

えーと、アンドレ・ジイドの『狭き門』にもそのようなニュアンスを感じました。

熱がまだあるので、ふわふわした文章になったような気もしますが、今日はこれぐらいで。
お読み下さって、ありがとうございます。

尾方佐羽

追伸 休むときはスペイン語講座を聞こうかな。

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