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【目印を見つけるノート】397. ギガテラとナノピコ
6~7年ほど前のしくじりを回収できました。
ありがとう💕
おつりはいいです……やっぱりほしい。
きのうはMasafumi Gotohさんのnoteをわれながらかなり熱心に読みました。もう1000以上スキがついていますので、あえて引用しませんが、ここのところ見たnoteの中で、いちばんでした。
クリスマスの日のnoteもかなり熱心に読みました。そういえば。
Masafumi Gotohさんやくるりさんのnoteはミュージシャンだからとか、有名だからとかいう枠を超えて、きちんと考えて書かれていますし、もちろん読ませるだけの文章力やテーマに対する考えもあると思います。私はアジカンさんやくるりさんの熱烈なファンではありませんが、書き手として一級だと思います。
さらに、
けさはYahooオリジナルということで取材された高杉良さんへのインタビューを読んでいました。こちらも、平易で長くない文章でしたが、読みごたえがありました。
というのを特にあげたいと思うのは、読みごたえのあるものがあまり見つけられないということでもあります。もちろんこれは主観ですので、人によって読みごたえがある・ないというのは変わるでしょう。私がそこまでいろいろ読んでいないのでしょう。
ただ、口はばったいですが、誰もが恒常的にできるものでもないのかなとも思います。私もできないクチかな😅
書き手としてどう思われるかというのは脇に置いて、読み手として見るとそのようなことになりますでしょうか。
⚫読み手として見ると
以前仕事で数年、いろいろな原稿を読む機会がありました。いくつぐらいでしょう、まあ結構そこそこ。たいていは一般の方でまれに作家や研究者の方です。
そこで見ると小説やエッセイ、研究問わずいくつかのパターンがあるように思いました。
・自分のことだけを書く
・他の人を動かそうとして書く
・自分が組み立てたものを書く
・自分が好きなものについて書く
この4つに大別できたように思います。
面白いなと思ったのは後のふたつですね。その中でも、純粋に読み手になってしまったのは2つしかありませんでした。研究書と鉄道旅行記。
どれを書く、書きたいというのは自由ですので誤解なされませんよう。私が見た中ではということです。
そういえば、あまりなかったなあというものがあります。
・人について突っ込んで書く
・人を取り巻く世界について書く
・自然に踏み込んで書く
より広い方や、自分でないものにベクトルが向かないのは特徴的な傾向だったと思います。上の3つに該当する名著はいくつもありますし、私が見たものにあっても不思議ではないのですが、ほとんどなかったです。
データがギガテラとなっていく中で、人間はナノピコになっていく?
私が読んだのはごくごくわずかですので、それを持って現代を分析するようなことはできませんが、見過ごさないほうがいい点かもしれません。
⚫けさのばら
末っ子も咲いて全部が一堂に会しているのですが、ちょっとさびしい気持ちです。もっとゆっくり咲いてくれても、的な。親みたい😅
けさの末っ子。
今日の1曲はアジカンさんの曲を。ベタな選曲ですみません。でもこの曲が単純に好きです。
ASIAN KUNG-FU GENERATION『リライト』
それではまた、ごひいきに。
尾方佐羽
追伸 新しい小説はきのうで40%ぐらいですが、え、あれぐらいでもう40%なの?と少し戦々恐々としています。きょうは連載中の『16世紀のオデュッセイア』にかかりきりになりますので、それほど進まないでしょう。
そちらは今日の夜更新です😊