【目印を見つけるノート】1585. ボタンを押さなければ
台風がイレギュラーなルートを辿りそうです。どうかできるだけ柔らかめでお願いしたいところです🙏
さて、
お話を聞くとやっぱり刺激を受けるのですね。けさは『江戸の学者さんノート』をちょこっと書きました。「い」のページに伊藤仁斎までダーッと書こうと思いましたが、池田草庵を書いただけでした。
ひゅるるるる🍃
朝から鞆の浦(広島)の常夜燈の画像を見ました。かの地のランドマークですね。
そういえば私、この前に福山市で行けなかったところが結構あって、阿伏兎(あぶとかんのん)観音さんも行っていないし、野々村立圃さんの文献ももっと見たいし、芦田川だって湾曲部まで辿っていないし、福山の吉備津神社も、神辺だってまだ……菅茶山記念館にはすごく行きたいです。菅茶山の書を見て交友関係を全部メモしてきたい。
福山と尾道の境目(国境、今なら市境ですか)なんて、行っていないのに夢にまで出てきました。番所があって、お役人さんがいるのです。
きのう、荻生徂徠(おぎゅうそらい)についての講義のあと先生に質問したのです。彼の学派(古文辞学)は国学、詩文の方に引き継がれていくということでした。
「頼山陽(らいさんよう)は詩文の方ですか」と質問したら、そうですとおっしゃっていました。当たった😉
頼山陽は広島の方ですが、菅茶山の廉塾の塾頭で太い繋がりがあります。
江戸と上方に学問の流れがあって、それがどのように受け継がれていったのかと考えるのも面白い。「繋がり」を手繰るのが私の楽しみのひとつです。
もうひとつ、時間の視点をずらしてみるのも有効な手段です。
毎年書いていますが、1945年の今日は福山で空襲があった日です。お城が焼け落ちたお話を何度も書いていますが、8月6日に広島で原爆が投下され、9日には長崎で原爆が投下されました。その間に何もなかったのかというと決してそうではない。広島から100kmしか離れていない福山はその間に空襲を受けたのです。
ここでひとつ、
核兵器がおそろしい、甚大かつ壊滅的な被害をもたらすのは真っ先に考えなければいけませんが、日本の各都市に綿密に計画された空襲(空爆)が行われたことも思い出したほうがいいのではないかということです。どちらも無差別に市民が犠牲になるもので、人や建物、おしなべて生活へ深刻な影響を与えます。
爆弾のボタンを押さなければ、ケガをしたり亡くなったりする人は生まれないのです。
そこからもう80年が経とうとしているのに、まだ同じようなことが繰り返されているのを見ると暗澹たる気持ちになりますが、だからこそ「静かに」書き続けていく意味があるのだと思っています。
The Cranberries『Zombie』
久しぶりにクランベリーズです。
ガザのキャンプの女の子がお料理をするSNSをフォローしていますが、急に真っ暗な画面になり「近くで空爆が」という文字を見て絶句します。同様に、ガザのキャンプの子どもたちのためにお料理を大量に作って持っていっている男性グループのSNSも見ますが、子どもたちに配っているところの側で空爆される動画もありました。
何もできないのはもどかしいですが、
見ることはとても重要だと思います。
見るというのは関心を持つということでもあるからです。
マザー・テレサの言葉をあげておきましょう。有名なのですけれど、孫引きでも意外と出典を探すのが難しいのですね。
《愛の反対は憎悪ではない、無関心である。人間の最大の苦しみ、悲惨は、自分がすべての人に見棄てられている、自分はもうどうでもよい不要な存在なのだと感じさせられる、その絶望なのだ。人間が他者に対して無関心になるとき、その人こそ最悪の貧の人に堕すのだ。》
『テキスト国際理解』米田伸次ほか著 国土社
それでは、お読みくださってありがとうございます。
尾方佐羽
#エッセイ
#ブログ
#日記
#8月8日
#福山市
#空襲
#空爆
#江戸の学者さん
#荻生徂徠
#頼山陽
#菅茶山
#繋がり
#マザーテレサ
#見ること
#暴力
#無関心
#音楽
#TheCranberries
#Zombie
#毎日note
#noteの書き方
#平和