唐揚げ不二子
休職に至るまでの経緯をまとめました。
正式に一か月の休職が決定した。 仕事の夢を見て目が覚めた。 ああ、もう仕事に行かなくていいんだと思った。 寝巻のままインスタントのミルクティを入れて飲む。 甘くてあったかくてホッとした。 こんな風にゆっくりお茶を飲むなんていつぶりだろうか。 昨夜は寝る前に息苦しくなってしまって、深呼吸を繰り返していたらそれを見ていた夫が背中をさすってくれた。 しばらくしたら動悸は収まった。 普段はめったにこんなことはしない。 こんな何気ない行動からも心配をかけてしまっていることがわかる。
一か月の休養の診断書が出たので提出するために会社に行くことになった。 薬を飲み始めたせいか、とにかく眠いし頭がぼーっとして物事が考えられないので夫に同伴してもらった。 個室らしきところに連れていかれて辞めるとか辞めないとか弁護士とか労基とか労災の話をしていたと思うのだが、いかんせん頭が働かないので私はただずっと黙って座っていただけ。 すべて交渉は夫にまかせきりで、結局休職扱いにはなったが 「今後のことはまた調べて連絡します。学校には人事課から連絡しておきます。」 ということに
午前中に、夫に病院に連れてきてもらった。 住宅街にある内科もやってる、とても小さな病院だ。 昭和の民家を改装したようなレトロな雰囲気の待合室。 風景画や静物の大きな油絵がいくつか飾ってあった。 受付を済ませ昨日書いたメモ書きを握りしめながら順番を待った。 「○○さーんどうぞー。」 先生は年配の男性で優しそうな雰囲気。 「今日はどうされましたか?」 できるだけ取り乱さないようにメモを見ながらこれまでの職場でのストレスと自分の体に起きている異変をメモを見ながら詳しく伝えた。 診
休むと決定したものの、罪悪感でなかなか寝付けず、あまり睡眠をとれずに朝を迎えた。 子供たちを送り出すと、夫が私を連れ出してくれた。 「朝ごはん食べに行こう。どこがいい?」 正直食欲はなくて、結局自分では決められず、コメダに行くことになった。 助手席でぼーっと流れていく景色を眺めながら、 あの置手紙を見て先輩たちはどう思うんだろうか。 逃げたと思うんだろうか。 だらしない奴と思うんだろうか。 なんでこうなってしまったんだろう。 弱い自分が情けない。 夫や子供に心配をかけて。
校長室に入り、椅子に座ることを促された。 校長は世間話から切り出したかったみたいだが、私はもう限界だった。 握りしめていた小言の手紙を出して涙で声が震えるのを必死に堪えながら、事の顛末を伝えた。 面談から数週間、相手には多少の改善を意識してくれている姿勢が見られたけど、今回の件で心が折れてしまった。 もう私の中では恐怖心でいっぱいで、毎日精一杯やってるけど、先輩たちの求めるレベルに到達するのは到底私には無理ですと。 更に土日使い物にならず夫にすごく負担をかけている事、仕事
金曜日にとあることで叱責を受けた。 その日は一人欠員がいてヘルプの人が来ている日だった。 片付けもほぼ終わり、リーダー先輩は職員室に呼ばれたらしく 「私はちょっと抜けますのでお願いします」 とだけ言い残して給食室から出ていった。 私は残っていた自分の仕事を終わらせてヘルプの人が話しかけてきたので雑談していた。 しばらくしてリーダー先輩が戻ってくるなりばたばたと作業をし始め、私の顔を見るなりすごい剣幕で吐き捨てるようにこう言った。 「私が職員室に呼ばれたのは知ってるでしょう
休日は毎回異常な眠気が襲ってくるようになった。 昼間はほとんど布団から出られない。 この頃夫は、土日は朝から仕事に出ていたので、子供たちの世話は私がしなければならなかった。 朝は何とか子供たちに買ってあったパンやヨーグルトを準備して食べてもらい、自分は布団に戻った。 ほぼ一日中寝ているので、当然子供たちはYouTubeとswitch三昧。 せめて散歩くらい連れて行かねばと思うけど、異常な睡魔と疲労感には抗えない。 私はなんてダメな母親だろうと自分を責めた。 やりたい家事は山ほ
定期面談の次の出勤日からの数日間。 私は平静を装いながら、一日一日を過ごした。 リーダー先輩は何度か言葉を飲み込んでいる様子が見られた。 理不尽な叱責も少なかったように思う。 毎日一日中いつ怒られるかとビクビクしながらずっと緊張状態で仕事をしていた。 何回か注意を受ける日もあったものの、キレられるということはなく、私も平静を保って過ごせていた。 給食は相変わらず食べた気がしないし実際に全然食べられなかった。 何を食べても砂利の味。 数日たってから校長と少し話す機会があった
ここ何回か、休みの日は夫が私のためにとせっせと夕飯を作ってくれた。 ボリューム満点のビーフステーキと参鶏湯。 子供達にはこれまた大量のクリームシチュー。 「食べないから良くならない。ちゃんと食べな。」 たくさん作れば数日作らなくて良いだろうという彼なりの優しさだ。 気持ちはとてもありがたいしうれしいのだがいかんせん胃の調子が戻らない。 ゆっくりかみしめて味わうことにしようと思う。 気分転換しろ 休日は家にいても何もせず布団にいるかふさぎ込んでいる私に、夫がゲームを勧めてき
人事課との面談の数日後、校長との面談が決まった。 この面談は特に私がこうなったからというわけではなく、定期的に行われる面談ということだったので、全員が順番に行うというものだった。 なんにせよ私にとってはタイミングが良かった。 人事課からは連絡が入っていたらしく、あまり時間はなかったけど話を聞いてもらうことができた。 今回は前回のように当たり障りのないことを言ってごまかす必要はない。 途中堪えきれずに感極まってしまったりしたが、続けたい気持ちはあるがメンタル的な面で辛
私の様子がおかしくなって夫が人事課に突撃してからというもの、夫にはとても助けてもらっている。いや、正確には転職してからか。 最初のころは仕事に慣れるまでは、という気持ちでやり始めてくれたのだと思う。 最近は私がこんな状態なので以前にも増して洗濯や洗い物、夕食もできる限り作ってくれるようになった。 元々私は料理は好きな方だったし、余裕があればメイン+2、3品つくるのが苦ではなかった。 できた料理の写真を撮っては、せっせとインスタグラムに投稿したりしていたし、今日は何にし
当日は仕事終わりに夫が迎えに来てくれました。 私が逃げないように(笑)というのは冗談で、雨だったことと、私へのエールの意味もあったと思います。 何を話せばいいんだろう… 緊張しつつ人事課のドアをたたきました。 担当してくれたのは面接のときもお世話になった方でした。 にこやかな笑顔で迎えてくれて、個室へ案内されました。 私「お時間取らせてしまってすみません」 担「いえいえ大丈夫ですどうぞ」 入ってしゃべろうとするともう涙が止まらないので、最初に 「見ての通り精神状態が不安
水曜日までは何も起こらないように、悟られないように、とにかく普段通りにロボット化して業務をこなしていました。 相変わらず胃の調子が悪く、食が全然進んでいなかったので、昼食時に先輩に 「不二子さん胃の調子悪いんですか?」 と聞かれ、しかたなく 「最近ちょっと調子悪いんですよね…」 と答えると、それ以上突っ込んで聞かれることもありませんでした。 リーダーの先輩は 「腸はどうなの?長引くようなら医者に行ってくださいね。」 と、極めて義務的な感じで声をかけて終わりました。
次の日は幸いにも土日で仕事は休みでした。 メンタルが完全に死んでる私のために夫が朝ごはんから夕飯まで担当してくれて、昼ご飯も仕事の合間にパンを買ってきてくれたりして一日中横にならせてもらっていました。 おかげで少し元気になれたような気がしました。 日曜の午後はだいぶ体も動かすことができました。 「いつでも辞めていいんだよ」と言ってもらえたおかげでだいぶ気持ちが楽になりました。 月曜日。 朝からオエオエしながら出勤して必要最小限の業務連絡のみの会話で一日過ごし、勤務
夫に問い詰められ、もう隠してもしょうがないと思った私は、 今の自分の状況を白状しました。 仕事が肉体的にも精神的にもハードで辛く苦しいこと 言葉こそ丁寧だが先輩の叱責がつらいこと 一日に何度も叱責されることで委縮して、 パニクってミスを連発してしまうこと 食欲がわかず胃がおかしいこと 一番年配の先輩にあきらかに敵意を持たれていること 仕事中に感情の制御ができなくなってしまったこと 他にも何かいろいろとしゃべった気がするけど取り乱していたのでよく覚えてません。 夫はひとと
二学期が始まって一週間くらいしたころから、なんだかおかしいな、調子悪いなと自分の体や頭の変化にうすうす感じ始めました。 朝、歯ブラシは必ずオエオエするし、通勤中は毎日息苦しく、深呼吸を何度繰り返しても心臓がバクバクして一向に収まらない。(このまま車道に飛び出したら仕事いかなくていいかな。でも子供たちおいていけないしな。)なんてよからぬことを考えながら通勤する日々。 出勤しても心臓のバクバクは収まらず、無意識にため息を繰り返し「不二子さん、ため息つくのやめてもらっていいです